津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

先祖附によると

2009-06-10 16:51:04 | 歴史
    (1) 6/4ブログ「未確認なれども」
    (2) 6/7ブログ「もしかしたら」     について

(1)村井虎之允家のご先祖様は、私の推察通り織田信長に仕えた村井長門守であった。
   先祖附は「信長公江被召仕五万石拝領仕天正元年七月京都所司代相勤居申候処
   同十年六月信忠公御生害之節戦死仕候」と非常に簡単に紹介している。
   子・作右衛門も「様子御座候而其後切腹」作右衛門嫡子・村井左太郎は前田徳善院
   に育てられ、後堀尾山城守より合力を受け京都で牢人していた。
   この人が細川忠利に召し出された。

     ■村井長門守 ja.wikipedia.org/wiki/村井貞勝
     ■前田徳善院 www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/maedagenni.html
     ■堀尾山城守(忠晴)
       ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%B0%BE%E5%BF%A0%E6%99%B4

(2)平井伊一郎家の先祖木下内記については、備中足守藩主木下利定の子とするには
   確定的な情報が記されていなかった。但し豊後日出(藩主・木下氏)に一時期居住し
   ているところからすると、その可能性は有り得ると思われるがなにせ史料が乏しい。
   京都で牢人し、肥前長崎の旅宿で亡くなったとされる。その子平山才蔵が召出された。

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謹告

2009-06-10 08:23:30 | 徒然
 わが電脳機器は、所有者同様老域に入りいささかくたびれ気味です。
今迄使用しておりましたメールアドレスは、受信は出来ても返信が出来ないというトラブルが終に改善できずに参りました。別アドレスから返信するという不便さを解消すべく、今般アドレスを変更いたしました。ご面倒をお掛けしますがよろしくお願い致します。

         各位様                  津々堂 敬白

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