津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・魚住氏(祖・加賀)

2009-06-16 20:49:04 | 歴史
 加賀を祖とする三流の魚住家がある。
  右衛門兵衛
   加賀---+---与右衛門---+---武右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・→勝門助家
        |           |
        |           +---市郎右衛門・・・・・・・・・・・・・・→武兵衛家
        |
        +---与兵衛----------源右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・→太郎家

■ 加賀(右衛門兵衛) 
       丹後にて被召出御知行三百石被下候、此節(立石表於鑓下)之御加増千七百石都合
       二千石被仰付名を加賀と改被下、御鉄砲五十挺御預被成候、其後病死

  与右衛門 別禄三百石被下加賀果候以後弐百石御加増、於豊前病死
                  (転切支丹 慶長拾九年頃)

  武右衛門(初・杢之允) 
       当御国にて忠利君より新知百五拾石被下候(綿考輯禄・巻十五)
       原城にて武功之面々御褒美被下候 百五十石先知被可返下 寛永十五年九月朔日   
                            (綿考輯録・巻四十九)

■ 杢之允(与右衛門二男・市郎右衛門) 
       有馬御陳にも罷越候、御帰陳の上御中小姓与に被召加、貞享二年新知弐百石被下 
                            (綿考輯禄・巻十五)
       御馬廻衆二番・谷内蔵允組 百五十石
       寛永九年十二月~同十五年十一月 玉名郡奉行

■ 与兵衛(加賀二男)  
       岐阜戦功吟味--与一郎様御意御傍ニ居申候衆(綿考輯録・巻十四)
       魚住与助 後休無様(与一郎・細川忠隆)二而与兵衛と云、右衛門兵衛か二男なり
       加賀二子与兵衛休無様へ被成御附休無様より御知行三百石被下候
                            (綿考輯禄・巻十五)

  源右衛門(孫右衛門) 与八郎様御供ニて御国へ罷越候処、光尚君より御知行三百石被下候
                            (同上) 
     魚住加賀、与兵衛については、当ブログ 「細川内膳家・家譜 その二」 に詳しい。
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性懲りも無く・・・

2009-06-16 15:25:15 | 徒然
 BBSを再開しました。トップページの左下の「瑣事奏論」がそうです。
この言葉は筑紫哲也さんの「多事争論」に引っ掛けて、私が作った造語ですがちょっと気にいっていて再登場です。前回はいかがわしい投稿に手を焼き、止めてしまいましたが、今回は管理を充分行っていこうと思います。ご活用ください。
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