津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

鍋島閑叟公

2009-06-26 18:30:24 | 歴史
 勝海舟、氷川清話に曰く
「肥前の鍋島閑叟(直正)侯は、名高い名君だが、たいへん陽明学の学問に達しておられたということだ。文久三年の正月には、将軍家文武の補導を命ぜられて、ときどき江戸城において将軍を訓導せられたのは大名の中でも昔から例がないことだ。候は一生国事に奔走せられたことは、いまさらいうまでもなく世間に知れわたっている。」

 細川の最後の藩主(14代)・護久候の正室が、この鍋島閑叟候女・宏子である。護全、護晃、護立(16代)等が宏子の子である。(15代護成は妾腹)当然のことながら、護貞--護煕と鍋島家のDNAが受け継がれている。陽明学は如何か・・?(×)
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鎮魂の日

2009-06-26 13:55:18 | 熊本
 空梅雨の中で熊本は56回目の鎮魂の日を迎えた。昭和28年6月26日、熊本は未曾有の大水害に見舞われた。当時私は小学校六年生(11歳)だったが、学友27名(?)を失った。我が家も鴨居の高さまで浸水し、命からがら脱出して命を拾った。避難先のお寺から翌朝帰宅すると、我が家の前の数軒が流失していた。思い出したくない悪夢である。

 今日の熊本は、梅雨とは思えない青空が広がっている。当時大暴れした白川も、川底を露出させているところがある。水不足で田植えが出来ないでいるところがあると聞くと、雨が欲しいと切実に思うし、なんとも複雑な気持ちにさせる。アジサイの花々があちこちで立ち枯れして、哀れな姿をさらす鎮魂の日である。 
                                                   合掌
コメント (1)
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