津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

もしかしたら

2009-06-07 14:56:07 | 歴史

 細川家家臣略歴を眺めている。平山家というお宅があり、その家祖は木下内記とある。またまたひらめくものがあった。これは足守木下家か日出木下家に係わりある人ではないのか・・・。いろいろぐぐっていたら足守木下家に「内記藤栄」という人がいた。これまた先祖附で確認しなければ成らないが、まずは間違いないのではないかと思っている。

  +---木下家定---+---勝俊(長嘯子)
  |           |
  |   豊臣秀吉   +---利房---+---利當(備中足守藩主)---利定---+---公定
  |    ∥     |        |                       |
  +---高台院=================+---利次(旗本3,000石)         +---藤栄(内記)
              |
    細川藤孝--------+---忠興-----忠利
              |  |
              |  |        +----於岩 松平忠重室
              |  |        |        (上総佐貫→駿河田中→遠江掛川藩主) 
              |  |        |    
              |  |        +----於豊 木下利當室(備中足守藩主)
              |  |        |
              |  +---加賀---+----於栗 (梅松院室)
              |      ∥ 
              +----木下延俊
              |      ∥
              |      ●----+---俊治・・・・・・・・・・・・・・→(豊後日出藩主)
              |           |
              |           +---延次・・・・・・・・・・・・・・→(寄合交代衆)
              |           |  
              |           +---三郎左衛門・・・・・・・・→(細川家臣・木下家)
              |
              +---小早川秀秋

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ご先祖様は・・・

2009-06-07 11:58:55 | 徒然
 一昨日、私からすると再従兄弟のご子息に四十年振りにお目にかかった。私が書いたブログの断片的な情報を綜合して、お名指しでメールをいただいた時には、飛び上がらんばかりの驚きであった。墓参の為に来熊されるというのでお目にかかると、おなじDNAを持つ間柄だからすっかり打ち解けて、楽しい数時間を過した。お家は長曾我部一族のH家(家老)、長曾我部家没落後加藤家に仕えて1,000石、加藤家没落により浪人し、細川家に仕えた。随分古い家系圖があることは話に聞いていたが、これを見ることが出来た。長曾我部氏は秦河勝の子孫だと伝えられているが、H家の系図もそうである。さらに遡って除福の名前が見える。(承知はしていたがびっくり)
 我が家とH家は、母の実家T家とともに数代に渡っての婚姻関係によって、200年以上のお付き合いがある。祖母(T家)と30年以上起居を共にして、古い親戚との付き合いがあったことによる今回の再会である。

いささか過したお酒が、いろいろな驚きとともに酔いも増幅した感じであった。

 
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満月に欠け

2009-06-07 10:29:13 | 徒然
 今月も皆勤賞を目指して、そろそろブログを書かねばと思っていた矢先、急用が勃発外出してご帰宅は日が変わっていた。見上げると大きなまん丸のお月様である。満月の日に「欠け」とは洒落にもならない。
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