津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

松合山中「丸目蔵人の墓」の真実

2009-06-08 15:47:59 | 新聞
2006年02月17日のブログで「丸目蔵人の墓」を以下のように書いた。
【丸目蔵人のお墓が、宇城市不知火の松合の山中にある。もう四五年前だが、友人の杉山を見に行く途中で偶然発見した。もっとも表示板が有ったからなのだけれど。丸目蔵人は球磨郡錦町に居住していたようで、役場の近くにお墓がある。遠く離れた松合の山中のあのお墓は何故あそこに有るのだろう。】

 この疑問に答えてくれたのは、6月5日付「熊本日日新聞、同名異人の剣術家だそうな。
宇土城主名和伯耆守秋高(顕孝)に仕官を求められたが、剣の修行の為に山に入ったという。塚原卜伝の新当流を学び自らの剣を「新当琢磨流」と称した。ご子孫のお宅には伝授書などが残されているという。伊予松山の生まれだというが、どういう経緯があっての来熊であったのだろうか。三年越しの疑問が氷解、これにて一件落着。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする