大日本赤誠会愛知県本部ブログ版”一撃必中”

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平成24年1月13日     京都勉強会     大西郷遺訓

2012年01月17日 10時12分40秒 | さむらい塾
(十)及び(十一) 文明とは道の普(あまね)く行はるるを言へるものにして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言うに非ず。世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の國に對しては、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己れを利するは野蠻なりという可し。




@1月11日より伊藤好雄さんと京都入り。諸々の所用と勉強会をこなし14日の午後帰路に就く。その途中、大垣市内の全昌寺に立ち寄る。大垣出身で新選組隊士”市村辰之助”さんのお墓が全昌寺に存在すると調べたので是非一度お参りをしたいと伊藤さんを誘う。勤皇/佐幕、佐幕/倒幕どのような立場であったにせよあの幕末の動乱の時代を生きた若き志士たちに熱い思いがよぎる。 
尚、辰之助の弟、市村鉄之助(14歳で入隊)は鳥羽伏見の戦いから土方歳三の小姓として五稜郭まで転戦するも、歳三の命を受けて遺品(有名な写真と遺髪)を日野に届け、そこに何年か匿われていたが、その後再度奮起し、西南の役で西郷軍に参加して新政府軍と戦い戦死している。


戒名は墓石の側面に「有隣院一官宗徳居士」と刻まれています。 合掌

孤軍たすけ絶えて俘囚となる。顧みて君恩を思えば涙さらに流る 。一片の丹衷よく節に殉ず。
雎陽(すいよう)千古これ吾がともがら。他にな びき今日また何をか言わん。義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所。
快 く受けん電光三尺の剣。只まさに一死をもって君恩に報いん。  近藤勇 辞世


次回、京都の勉強会は2月10日を予定しています。