大日本赤誠会愛知県本部ブログ版”一撃必中”

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硫黄島日本兵のDNA一致 終戦から64年目にして、家族の元に遺骨が帰る

2009年12月11日 14時15分18秒 | 注目すべき話題

大東亜大戦の戦没者で、南方で戦死した日本兵の遺骨としては初めて、厚生労働省がDNA鑑定による身元特定に成功したことがわかった。遺骨は今月8日、遺族に引き渡された。遺骨のDNA鑑定は2003年度から始まっているが、身元を特定できたのはシベリア抑留中の戦没者だけで、フィリピンや沖縄など南方戦線での死者の例はなかった。 身元が特定された遺骨は昨年7月、硫黄島を訪れた政府の遺骨収集団が見つけた。同島西部の「島民平和祈念墓地公園」近くの地中に埋まっており、旧日本軍が建造したコンクリートの防御陣地付近から掘り起こされた。遺骨のそばでは万年筆も見つかった。持ち主のフルネームが漢字で彫られており、厚労省が硫黄島に駐留した兵士名簿を調べたところ、同じ名前があり、本籍地の自治体に照会して遺族の所在を突き止めた。

遺族が希望したため今年3月、甥(おい)に当たる男性から口の粘膜細胞の提供を受け、遺骨のDNAと照合したところ、10月、「血縁関係がある可能性は99%以上」との鑑定結果が出た。遺骨は今月、終戦から64年余を経て故郷に帰された。「身内で焼いてあげたい」という遺族の希望に沿い、焼骨(しょうこつ)をせず、発見されたままの姿で引き渡したという。 この男性が南方戦没者のDNA鑑定で特定された第1号となるが、厚労省は「遺族の希望で名前や出身地は明かせない」としている。同省には遺族から、近く親族だけで静かに葬儀を行うと連絡があった。

厚労省によると、大戦中に本土以外で亡くなった人は約240万人。うち約115万人の遺骨は海外に残されたままとされる。統計がある1991年以降で、身元が判明した遺骨は約1100柱。うち約730柱はDNA鑑定によるものだが、いずれもシベリア抑留中に死亡した人々だった。 厚労省には過去、南方の戦没者では遺族から約20件のDNA鑑定の依頼が寄せられたが、ことごとく一致しなかった。遺留品や戦友の目撃証言など身元特定につながる手がかりがあっても、高温多湿の環境で遺骨が傷み、DNAを取り出せないケースも多い。この男性の場合には土中に適度な温度で埋まっていたことでDNAが取り出せたという。戦没者の遺骨収集などを担当する厚労省援護企画課は「今回は偶然が重なって、DNA鑑定で遺族を見つけることができた。今後も地道に遺骨収集を続けていきたい」としている。

@家族の元に帰る事ができればどんなに嬉しい事やら。本来すべてのご遺骨が家族の元に帰って当たり前の筈だが、先にも書いた通り敗戦国とはいえ余りにも冷たい仕打ちだ。こうした事業には惜しむ事無く厚労省は予算をつぎ込むべきだ。