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楽観に至る動禅

2021-12-23 04:23:04 | 身辺雑記
 

  ノボタンの花が楽観農園に一株だけ咲いていた。いわゆる狂い咲きなのかもしれないが、開園を祝って咲いてくれたようだ。この美しい花が水田の防風林になる。図鑑など見ると2ḿになる灌木とあるが、実際は1ⅿぐらいである。

 人生をやりとげるという人間として生まれた大冒険が、誰にも待っている。この大冒険をやり遂げるためには、日和見と楽観が必要である。と私は考えるようになった。大きな冒険になるほど、船出の日和見が必要になる。嵐が予測される日に出発する人はいないだろう。

 人間が生きると言うことにある、どうしようも無い悲しい絶望がある。それは死が待っていると言うことではないだろうか。生まれたことはまたとない幸運であったが、残念ながら死ぬのである。今をどれだけ充実させて生きるかと言うことになる。

 今をより良く生きるためには日々の準備がいる。日和見は到達できない目標への、失敗の中で生まれてくる知恵では無いか。良い日を選ぶことが出来る判断力が日和見を産む。冒険には確かな技術が必要なのだ。そして、時を定めて実行される。

 知恵によるためらいと同時に心の奥底に楽観的な心持が無ければ、冒険に出発することが出来ないにちがいない。心配が先に立つのでは、人生の冒険を始められない。人間が生きるという冒険は誰もが一人でなんとしても成し遂げなければならない、またとない大冒険なのだ。

 明の永楽帝の時代の大冒険家鄭和の冒険は、インド、アラビア、アフリカ東岸など、南海諸国に及んだ。未知の世界に挑む冒険という意味では、まさに先駆者である。鄭和はもとは雲南出身で馬和を名乗るイスラーム教徒であったという。

 明国に捕まり、宦官にされたという複雑な人生である。世界に冒険の船旅をすることになるには、数奇な人生の挫折の末である。世界で最も優れた、最初の冒険家の日和見は相当のものであったはずだ。そうでなければ、アメリカ発見などできるはずがない。

 バスコダガマよりも100年も前の時代の人である。そんな鄭和に突如、永楽帝から“南海大遠征”の命が下る。明の威信を四海に広めるべく、200隻の大艦隊と2万8千人の総員を率いた鄭和は、1405年に史上空前の第一次航海に旅立つ。

 その後、生涯で大艦隊を指揮すること実に7回。鄭和の航跡はアフリカの喜望峰を越えて、コロンブスより60年早くアメリカ大陸の発見にまで達したという。 鄭和が日和見の優れていたことは、その複雑な人生にあったのだろう。中国の覇権主義とはいったいどういうものなのかと思う。

 「冒険と日和見」は花田清輝の著作である。学生時代一番影響を受けた人だと思う。大きな冒険ほど日和見をしなければならないという柔軟な思想家。日和見の先にあるものが楽観主義なのだと思う。どれだけ日和見をしたところで、冒険の行く先は見えてくるものではない。

 出来ることの範囲で行うことは冒険では無い。出来ないかもしれない冒険に乗り出すことが、すべての人の人生である。だからこそ面白くなるのが人生である。冒険の無い人生を生きると言うことは、人生を生きてないと言うことだ。

 出来ないかもしれないことに乗り出してゆく楽観。これが生きると言うことの醍醐味では無いだろうか。最近そう思うようになった。そう思うと今日一日絵を描くと言うことは実に冒険への挑戦だと思えてくる。人生を費やす価値があるという一日の充実。

 楽観と言う思いに至る事ができたのは動禅によってである。毎朝動禅を行うと言うことを決めた。だいたい一時間ぐらいの動禅体操である。スワイショウに始まり、24式太極拳。蹴り上げ。腹筋体操。手足バッタン運動。足開き体操。蹴り上げ。手足上げたまま体操。仰臥禅。3回目の蹴り上げ体操。最後に片足立ち金魚運動。

 これをできる限り目をつぶったまま行う。それは未だ半眼が出来ないからである。半眼とは目を薄く開いているが見ていない状態である。半眼が出来るまでは、つまり目から見るという意識が消えるまでは目をつぶっていることに決めた。薄眼で見ているよりはましだと思うからだ。

 パラリンピックの視覚障害者の部、出場の気持ちが少しある。もちろんそんな大それた事では無いが、両目に緑内障があり、すこしづつ進行している。見えなくなったときの、体の動き方というのも少し意識していると言うところもある。

 目を閉じて動けば、難しくなる動きもある。両手を上に上げて片足に重心を置いて動くというような場合、私にはうまく運動することが出来ない。よろける。よろけることが体操である。立派に出来るだけが体操では無い。ダメな動禅こそ本当の動禅のようだ。

 特に最後の片足立ち金魚運動など、片足20で4回やるのだが、その20回が情けないが出来ない。眼を空いても出来ないのだから、目を閉じればなおさら出来ない。でもいつか出来ると思い、よろけながら立ち金魚になる。出来る運動より、よほどの運動になることが分かった。

 この出来ないと言う事がむしろ重要だと思うようになったのだ。出来ることをやると言うより、出来ないことを何とか出来るように努力すると言うことの中に、色々のことが隠れている気がしてきた。出来る日もたまにはある。また翌日まったく元にできないに戻っている。

 こうして2年も出来ない体操を繰り返している。そろそろ出来ても良いのではないかと思うのだが、相変わらず前進が無い。何か問題がある。体感が弱い。腹が決まっていない状態である。これでは何事にもグズグズは仕方がない。

 おおよその体操というものが、体幹の強化、柔軟性、強靱に由来する。だから片足立ち金魚運動はとても重要な運動なのだが、だから出来るまでやろうと考えている。出来ない体操を出来ないまま日々続けている内、何か人生というのは出来る出来ないと関係のないものらしいと感じるようになってきた。

 出来ないままであるが、それを受け入れる。それでいいと思えるようになれるかどうか。それが楽観に繋がる。楽観の哲学はビックボス新庄さんと同じである。ちょっとビックボスではどうかと思うが、大きくは違わないと思う。だから前に進める。

 監督になり、来年選手として選抜試験に出てみたいと言っていた。選考する人が監督なのだから、自分が選ばれるのでは無いかというのだ。なかなかおもしろい。楽観は誰の人生にも必要な素晴らしい思想だ。今日も勇気を持って絵を描くことが出来る。

 絵の大冒険の最中に、楽観農園に挑戦するのは余計なことに思えたのだが、そうではなかった。人生はやり尽くせるわけでは無い。できる限りの事をやろうとすることだと思い直した。そう思い無理かもしれない楽観農園の実現に向けて頑張る。
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