毎朝見ている朝の連ドラ「虎と翼」で闇米を食べずに栄養失調で死んだ判事の話が出てきた。出るだろうと思っていた。闇米を食べずに死んだ方は山口良忠判事は、主人公の三淵嘉子 さんとは同じ時代の判事である。この脚本家はすごい調査をしているので、出てくると思っていた。
山口判事の死は、ある意味帝国主義日本が起した侵略戦争の結末に見えるのだ。戦後日本の混乱と飢餓社会は、中国の最前線で7年間戦地にいた私の父にしても、中国での戦時中以上に厳しく苦しい時代だったといっていた。食料がないと言う地獄の中に、生きた。その地獄から這い出ようと、悩み抜いて生きた。
私が小学校2年生ぐらいの時だと思うが、数えてみると昭和33年と言うことのようだ。同級生のMさんの弟さんが、栄養失調でなくなられた。まだそう言うことが、身の回りにあった時代なのだ。戦争が終わり13年後のことである。昭和31年の経済白書にはもはや戦後では無いとあるのだが。
多分その時に学校の先生が、闇米を食べずに死んだ山口判事の話をしたのでは無いかと思う。先生も多分山口判事と同年代で、飢餓の時代を生き抜いたのだ。山口判事がなくなられたのは1947年とあるから、10年ちょっと前の事だったことになる。栄養失調と言うことに直面して、先生は思い出して、人ごとではなく話されたのではなかっただろうか。
家に帰り山口判事の話を父に聞いたのだ。する父はびっくりするほど深刻な表情に変わった。戦後の混乱期にも、立派な人がまだ日本にも居たのかと感銘を受けたと話してくれた。 誰もが生きるために闇米でも何でも捜して食べたのだと。それは犯罪ではあるが、仕方がないことと受け入れざる得ない時代だったと。
父もそのことに苦しんでいたのを感じた。そういう自分を恥じたと言うことだった。日本にはこんな立派な人がまだ居たのだから、日本はまだ大丈夫だと思ったと話した。あまりに真剣な態度だったので、この事件がよほど堪えたに違いないと思えた。
父は闇商売が得意だったはずだ。闇物資を手に入れて、商売をして成功をした人だと思う。米軍基地に忍び込んで、便所の板を外してきて、家を作ったというような人なのだ。ヤクザの知り合いが家に現われるような人で、闇物資の流通をやる人の間では信望があった。
そんな父が、山口判事の特別な生き方に、かなり深刻に衝撃を受けていた。その衝撃の意味まではよくは分らなかったが、特別なことだという印象は強く残り、時々山口判事のことを思い出していた。法を守る判事が故に、闇米を食べないで、餓死を覚悟した人のこと。
人間の生き方である。佐賀県出身の人だから、葉隠れを思い出してしまう。同時に、山口判事の同年代の人達は戦争に徴兵されている。父は明治生まれの人だからもう少し上の世代で戦争に7年も行った。山口氏は裁判官だったために戦争に行かなかったのだ。戦死した仲間に対する負い目と言うようなものや、責任感のようなものも、あったのかもしれない。
そういう諸々の背景があり、闇米を食べないという判断をしたのだろう。私の子供時代にも米穀通帳というものがあり、それを持って地方から東京に出てきて、住み込みで働いたのだ。お米屋さんから、お米を配達して貰うのに、米穀通帳がないと頼めなかった事を覚えている。
食糧不足から、お米は配給制度が続いた。しかし、闇米の方が流通の中心になる。配給のお米はお米屋さんがブレンド米を作って、配給していた。だから美味しくなかった。美味しいお米が食べたい人は、高い闇米を買っていた。山口判事が聞いたら驚くような事に、配給制度は変って行く。
食糧管理制度は、米価を維持するというような、違った意味を持つ制度になる。米農家の保護。自民党の支持母体だった農家が、むしろ旗に米価を上げろとかいて、国会でデモを毎年繰り返した。農家が減る事で、自民党は食管制度を止める。そして米国手帳もなくなる。
日本では米は余るものになった。食管制度のために、作られたお米をすべて国が買ってくれるから、お米さえ作れば暮らして行けた。所がその米価が維持できなくなり、自主流通にお米は成る。それでもお米は生産過剰である。日本は食糧自給は出来ない国になったが、かろうじてお米が食料の安全保障になっている。
しかし、今年はバヤリースオレンジが販売停止になった。ブラジルのオレンジの不作の影響らしい。これは始まりである。世界の食糧不足時代の予兆である。あらゆる産物が不足するだろう。そもそも国力が落ちて、円が今以上にやすい国になれば、海外の食糧を輸入を続けることは難しくなる。
そして、国内でもインバウンド海鮮丼ではないが、観光客が価格をつり上げることになる。観光客には1000円のラーメンも1万円のお寿司も半値くらいの感覚なのだ。だから海外から沢山の観光客が来ているのだ。どうもお米の値段が上がり始めているのは、海外旅行客の需要増加のためらしい。
食料は足りなければパニックになる。有り余るくらいあって丁度なのだ。今年の日本の気候はすでに怪しげである。キャベツ一個が300円で高いと言うことらしい。300円ぐらいしなければ、私は作る気になれない。今まで、食料は安すぎたのだ。
世界では食糧不足は続いている。中国やインドのような人口爆発の国が、世界中に出てくる。しかし、食料の生産は限界に対して居る。日本が食料輸入に苦しむ時代は近づいている。山口判事の事をまた思い出すことになるのだろう。
敗戦から食糧不足になったのだが、そもそも日本国内での食料生産は6000万人ぐらいが限界と考えた方が良い。日本人の労働力はその辺が限界だ。海外から労働に来てくれることも遠からず無くなるはずだ。日本の普通の農家はなくなる。企業的農家と自給農家になる。
高くて買えないから、自給して食糧を確保しようと言うことになる。私の家も相模原で開墾生活をしたのだ。私の母は隣の畑で働いていて、労働力が買われて、父と結婚したのではないかと思う。何しろ、お婆さんは目黒に暮らしていて、馬糞を拾ってはリックに詰めて、相模原まで出掛けていたのだ。
母は山梨の富士吉田で教師をしていたのだが、給与だけでは食料さえ十分に買えずに、生活が出来ないと言うので、弟が開墾しながら駒沢大学に行くというので、相模原で開墾を手伝っていたのだ。二人は農業の専門家だから、上手く開墾をしていたのだ。
国の政治の一番の目的は国民を飢えさせないことだ。その政治がデタラメだから、日本人は自給的生活を確立した方が良い。農業はますます縮小するだろう。農家はさらに半減する。輸入食料の確保は価格が高騰し、難しくなる。企業的農家は食糧の増産をするだろうが、十分な労働力の確保が出来ないはずだ。
食糧自給をすることは、日本人の暮らしの安全保障になる。