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猫と水牛を飼っている。

2024-05-20 04:54:09 | 身辺雑記


 今1匹だけ猫が居る。「ルル」である。水牛は3頭居る。「わかば」「さくら」「のぼたん」である。みんな名前がある。ブログを書いている今は、猫が膝に来ている。甘えるわがまま猫である。農園に行けば、水牛が寄ってくる。どちらも可愛いが、家畜と猫はさすがに違う。

 水牛は放牧してあるので、毎日紐を引っ張って、飼われている事を認識させている。時々水牛を綱で繋いで置いた方が、家畜として扱うためには良いと言われる。しかし、水牛だって自由に歩き回れる方が良いだろう。餌だって食べ放題だ。

 繋ぐとすれば、水を運ばなければならない。これが案外大変な作業になる。だから繋ぐのは、池のそばになる。今なら池のそばにいくらでも草があるので、溜め池掃除を兼ねて、水牛もすこしづつ繋いでいる。これは動物虐待に当たるのか当たらないのか、いじめている考えはないが。

 猫のルルは福島の原発事故現場周辺で、事故直後に生まれた猫である。だから今13歳と言うことになる。ルルは家猫で、外には出さない。猫の場合外に出すのが、動物虐待になるらしい。猫に選択権があるとしたら、自由な外暮らしで、危険な中で暮らすのと、家暮らしで安全に暮らすのではどちらを選ぶだろうか。

 ルルは最近急に弱ってきた。あまり食事が食べれなくなった。ペット病院で見て貰ったが、特に腎臓に悪い数値があると言うわけではないそうだ。でも猫は食事が細く成ると、そう長くないことが多かったので、心配している。確かに痩せては来たが、様子が良い日もある。

 小さい頃彷徨い歩いて、餌も食べれずに育ってしまったために、身体も小さく弱い猫なのだ。もしかしたら、産まれたのが原発事故現場から遠くない場所と言うことなので、小さな頃に放射能の影響を受けたために、身体が弱いまま育ったのかもしれない。汚染された食べ物しかなかったはずだ。

 身体は弱い猫だが、気は強い猫だ。小さいくせに、他の大きな猫を脅かしていた。身体が倍もあった白黒ブチのスズをいじめて困った。スズは気持ちの優しい猫で、歳も大分上なのに、何でもルルのやりたいように任せていて、何かあれば逃げてしまい、絶対に手を出さなかった。猫の性格も様々である。

 ルルの弱ってきた姿を見ていると、ペットはもう飼えないという気持ちになる。何十匹も猫や犬の死を看取ってきて、そのつらさには、いつも耐えかねるものがある。何度も金魚や鶏も含めて、死の立ち会いを重ねても、犬や猫に死に慣れるということはない。

 ある意味両親の死よりも、辛いものがある。母も父も一緒に暮らしていて、看取った。父も母も覚悟のある人だったので、私が打撃を受けると言うよりも、生きると言うことの全貌を見せて貰ったという感じがした。寂しいことであるが、受け入れられた。ありがたいことに自分のことより私のことを考えてくれた両親だった。

 確かに死んでもう居ないと言うことはあるが、今でもよく相談をしたり、教えられたりしている。両親は私よりも大分高級な人間だったのだ。両親が立派と言うこともあるが、私が相当にだめ人間なのだ。だめでも仕方がないとやってきていままできてしまった。

 犬や猫の場合、私が保護者なのだ。手の中で保護している、大切な物を失うという感じには、耐えがたい辛いものがある。石垣に来たときに5匹の猫が居たのだが、今はルル一匹になってしまった。毎年1匹づつ死んだと言うことになる。年寄猫ばかりで、一番若いルルが残った。なんども辛いものがあり、次に猫を飼うという元気がない。

 猫を又飼う。犬を又飼うという気力が湧かない。しばらく前までは、今度はまた犬が飼いたいと考えていた。子供の頃から小田原で暮らしている頃まで、犬をいつも飼っていた。向昌院にいた甲斐犬のクマが最初の犬である。最後の犬が死んでから、猫だけを飼うように成った。

 最後の犬はやはり、福島から来たセントバーナードである。おとなしい優しい犬だった。死ぬまで間、一緒に暮らしたという感じだった。預かって、死ぬのを見届けるというような役割だった。この優しい犬からも教えられることが多かった。飼い主が行方不明になり、その後辛い環境が続いたのに、人間を信頼していた。

 福島から来た犬は他にも飼ったが、それは原発のそばに繋がれたまま、置き去りにされ1ヶ月餌を食べないで、弱り切っていた。その犬でさえ健気だった。飼った犬は立派な奴ばかりだった。十分世話が出来たのか恥ずかしいぐらいだ。犬は真面目で一途だ。裏表がない。私がだめな奴なのに、どの犬もせめないで許してくれた。

 だから、犬を又飼いたいというのは、犬に助けて貰いたいという感じがある気がする。ルルが弱ってきているから、犬ならば強い気持ちで飼えると思うのかも知れない。まあ犬だって死ぬことには変りはない。もう生き物は飼えない歳のかもしれない。

 まだ猫が膝の上に居る。猫に助けられて書いているわけだ。のぼたん農園で助けられているのは3頭の水牛だ。のぼたん農園に行く楽しみが、水牛に会うことだ。水牛は家畜として飼っているのだが、結局ペットのように飼っている。福仲先生は繋いでおけと言われるのに、放してあげたくなる。

 放しておくと従わなくなると言うことなのだが。そんなことはない。毎日金属ブラシで擦ってやる。これで手名付けることが出来る。左手で紐を引っ張って従わせておいて、金属ブラシで擦る。紐で引くと水牛は従わざる得ないと言うことを理解している。水牛は想像できないくらい頭が良い。

 ワカバは3ヶ月種付けのためにのぼたん農園を離れていた。戻ったときにはのぼたんは母親を忘れていると、言われていたが私には信じられないことだった。のぼたんは2歳3ヶ月なのに、戻った母親のワカバを見て、またお乳を飲んでいる。

 私は可愛がるばかりだから、甘く見られているのだが、紐でしばらく引っ張ってやると、自分が従っているという意識が出来るようだ。しかし、のぼたん農園で産まれた、のぼたんは少し違う。さくらやわかばは他で育った、のぼたん農園に来た水牛なので、甘えるという感じではない。

 のぼたんは、産まれたときからのぼたんの傍にいるので、関係が大分違う。まあ、かなりペット的な水牛になったと言える。のぼたん農園では他所で育つ水牛は違う飼い方なのだと思う。放し飼いの水牛は日本では他には居ないだろう。放牧で自由に育ったからといって野生的になるという事はない、といえるだろう。

 しかも大勢の人に特別に可愛がられてきた。人間がどういうものかの理解がのぼたんは少し違うようだ。家畜として育ててないので、仕事を出来るかという点では問題があるが、多分やらせればやってくれると思う。人間と居ることは好きだし、頭も良いので何をやるのかはすぐに分るはずだ。

 本当は鶏を飼えばいいのだが、飼う気がどうしても起きない。やはり、鶏を飼うのを止めた理由が引っかかっている。重い気持ちで止めたのだ。サトウキビ畑の放し飼いというのは、可能性があるような気がしている。サトウキビ畑の回りに、2mのネットを張る。その中に放し飼いをしておく。

 サトウキビは背が高いから、鶏が葉を食べることはないだろう。サトウキビが小さい間だけ、鶏は別飼いをする。サトウキビの間を鶏が歩き回り、虫や雑草を食べる。糞がサトウキビの肥料になる。サトウキビがあれば、上からの鷹や鷲の攻撃も避けられるかも知れない。

 今は2列の50mほどのサトウキビがあるから、ここでまず実験をしてみる価値はあるかも知れない。その意味ではパイナップルも同じかも知れない。鶏はパイナップルの葉は食べないだろう。これは試してみなければ分らないことだ。鶏を飼う気になれるのだろうか。
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