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久留米旅行と小田原行き

2023-12-19 04:16:45 | 身辺雑記


 月に一回小田原には行く。その時に東京にも行く。今回はそれに加えて、久留米に行った。たまたま、福岡に行くピーチの飛行機の格安航空券が買えたからだ。セールで上手くチケットがとれれば格安である。福岡から成田も安かったので、直接石垣から成田に行くより安かった。

 この機会に前から行きたかった久留米に寄って行くことにした。石垣島から福岡空港までは1時間半。福岡空港から久留米までは1時間ぐらいかかった。福岡のような大きな町よりも、久留米ぐらいのいくらか小さな町の方が安心する。

 久留米は人口が30万人くらい。金沢と小田原の間くらいの町だ。青木繁と坂本繁二郎の生まれた町だ。古賀春江も久留米出身だ。昔は変わった絵描きが生まれた町だった。多分今はそういうこともないのだろう。というか今は絵描きなどどこにも登場しない時代だ。

 今回、石橋記念館で古賀春江の絵を見た。7人のお坊さんを描いた奇妙な絵だ。このお坊さんがなんとも、変だ。人間ではない。形態だけの仮面的な異様なお坊さんが、不思議な儀式をしている絵。実に怪しい。私が考える絵とはほど遠い。しかし、このおかしな絵に力があることにも驚いた。絵は善し悪しだけではない。

 坂本繁二郎の自画像の絵も実にいやな絵だった。いやなのだが忘れられないような絵。自画像だが、なんとも不機嫌極まりない絵だ。こんな人と会いたくもない。人を不愉快にするような絵でいいのかと思った。これほど病んだ精神がむき出しの絵はない。ゴッホの自画像以上だ。すごい絵だとは思うが、絵はこれでいいとは思えない。これは禅病にかかった画家の姿だ。

 ほかに2点あったのだが、どうということもない絵とはいえないようなものだった。上手ではあるが、それだけで精神が存在しない。なぜえと絵らしきものがあるのかと思った。多分私の絵も、今のところ絵らしきものに過ぎない。この大きな壁をどうすれば越えられるのだろうか。

 この時期石垣島を離れるときは、寒さに要注意なのだ。石垣島は28度だ。今のところ、夜の温度も20度以下に下がることがない。だから、雪が降るようなところに、突然来るというのは体調を崩す危険がある。以前小田原の家が凍り付いていて、ホテルに泊まったことがあった。

 着いた日の夜は早速久留米の名物の焼き鳥屋に飲みに行った。ところが、どこも満員では入れなかった。久留米の12月の土曜日に、予約なしでゆく方がおかしかった。でも、店を探しながら、久留米の飲み屋を探してウロウロうろついた。これがしたかったようなものだからいいのだ。

 冬の小雨の時折降る中を濡れながら、飲み屋を探して知らない町を歩く。それも悪くはない。ガラガラと戸を開けて、一人なんだけど入れてもらえないですか。と聞いて歩いた。まあ店の様子を見せてもらうつもりで歩いた。ネットに出ているような店はすべて満員。

 しょうがない駅前のホルモン屋にゆくかと戻る途上。路地の奥に赤提灯がある。開けにくい扉だったが、開けると誰一人いない店があった。おもわずひるんでしまったが、ともかく誰もいないから、扉を開けた以上座るほかない。おじいさんが一人いる。多分85歳にはなっている。ガラスケースには今日出す串焼きが、美しく並んでいる。

 値段はどこにもない。おじいさんが言うには、よその店は輸入物の串焼きだ、わたしのところは全部自分が指した本物。だからちょっと高いよ。その値段のない商品名の札は30品ほど。この字がなんとも素晴らしい。つい見惚れてしまうほどいい字だ。下手な字だが本物の味。

 つまり暗に高いということをいっているのかもしれない。まあいいだろうと思い頼む。そうだ店の名は「五右衛門」。壁に貼られたダルム、ハイボール、の字素晴らしさだけで十分。一流の字である。45年やっていると言われた。ダルムのおいしさは過去最高の素晴らしい。これなら高いのも仕方がない。

 しばらく飲んでいて、もう一本とお願いすると、ダルムは一本だけ。と、断られて終わり。ほかには入れなかったと思われる3人連れが来る。それで出ることにした。なんと1300円。あまりに安い。過去最安値だろう。きれいに串刺しにして、丁寧に焼いて、焼き加減も絶品。ビールもうまかった。といって好きなスーパードライの瓶だ。

 カウンターだけの無理して6人という小さな店。五右衛門でダルムを食べただけでも久留米に来た甲斐がある。また行きたいが、多分次にゆくともうないのだろう。今は夢だったような気がする。今度ゆこうと考えて、あちこち探したとしても多分たどり着けないのだ。そう思っておく。

 久留米に来た主目的の文化施設。ブリジストンの創設者石橋正二郎氏の生まれた町。ふるさと久留米に素晴らしい文化施設を作り寄贈されている。音楽ホール。美術館。日本庭園。バラ園。図書館。大学。坂本繁二郎のアトリエ。「世の人々の楽しみと喜びのために」

 昔ブリジストン美術館だったものは、今はアーティゾン美術館 Artizon Museum, Tokyoとなった。東京駅からまっすぐのすぐそばだ。今は野見山暁治展をやっている。収蔵作品の8点が展示されているらしい。3月までやっているから東京に出たときに見に行きたい。

 よくこれだけのものを個人で寄贈できたものだ。ベネチアビエンナーレの日本館も寄贈したらしい。中学生の頃、ブリジストン良い自転車に乗っていた。ブリジストンで正解だったと思った。今度タイヤを替えるときはブリジストンにする。

 実家は久留米の足袋屋さんだったとある。17歳で家業を継ぎ、地下足袋、ゴム靴。そしてタイヤと事業を発展させたとある。よほど商才のある人だったのだろう。道徳のある起業家である。孫さんとは違う。確か孫さんも福岡出身ではなかったか。

 ソフトバンクは孫さん一代でも危ういかもしれない。ブリジストンは100年は大丈夫だろう。石橋正一郎の精神を維持できれば、何世紀も続くかもしれない。どんな世界になっても、「世の人々の楽しみと喜びのために」この精神があれば大丈夫だ。

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