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冬至から始まる農作業

2021-12-24 04:17:48 | 楽観農園


 ため池で遊ぶゆずとゆずマメの親子である。溜め池の漏れを止めるためにため池で遊んで貰った。ゆずマメはまだ7ヶ月である。お乳を貰っている。水牛は一年くらいは親のお乳を貰う。モミジをふくめて3頭とも元気で不安が無い。草が充分にあるので、水だけ心配してやればいい。

 太陽は冬至の日によみがえるという考え方が沖縄にはある。冬至の日を大切にする意識は強いような気がする。中国で言う「一陽来復」である。日本のどこにでもある考え方なのだが、いくらか風習への影響が中国に近いと言うことかもしれない。易経にある考え方のようだ。

 一年のうち最も昼が短くなる冬至は、日の短き日に至るを意味する。冬至の前後になると太陽の力が弱まって一時的に死んで、太陽は帰り来ることになる「一陽来復」によって再びよみがえる。 太陽をすべての命の根源として考える。

 クリスマスも太陽の誕生日に合せて、キリスト教では冬至の日にしたという説もある。天照大神が岩戸に隠れたのも、この日なのでは無いか。いずれにしても、この日が太陽の誕生日なのだ。今日から始まる一年が農業者にとっての一年の巡りになる。

 沖縄の冬至はカボチャとゆず湯では無い。タイモのジューシーを食べる風習である。三枚肉とタイモの入った雑炊か、混ぜご飯である。タイモは見たところは里芋であるがいくらか大きい。タロイモの一種ということだ。タロイモはそもそも日本人の主食の一つであったとされるものだ。南の島々の人は長くタロイモ主食である。

 サトイモ科のものはすべてタロイモでもいいのだが、沖縄では語源のポリネシアのTAROに近いタ(ろ)イモになり、田いもに変化したのではないか。里芋の類は東アジアの人々のお米の前の主食の一つである。だから祭事にはタイモを使う沖縄の風習は、赤飯に近い意識があるのだろう。雑炊には豚の3枚肉を入れるところがいかにも沖縄的である。

 小田原に行った時に渡部さんから頂いた、里芋は際だって美味しい。特別な味がする。柿の下田んぼのさらに下で作った。土寄せがすごい。ソバ殻を70㎝ほどかぶせて作っていた。どんな味になるのか、楽しみで見ていたのだが、まさに絶品だった。今度は石垣島の楽観農園でもタイモを作りたいものだ。

 タイモは水の中で作る。本島で田んぼを探していて、見付けたと思うと、タイモの田んぼだった。昔はお米が作られていただろう所にも、タイモが植えられていた。お米よりは利益が出るのかもしれない。田んぼを探し歩いていて、見つからないので、タイモの畑を見るとがっかりすると言うおかしな感じになった。タイモだって立派なものだ。ただ里芋の味になれていると、少し違和感がある。

 月の満ち欠けに従う農法があるが、太陽の日照時間に競べれば、植物の影響などほとんど無視していいほどのものだ。日照時間は影響などという程度では無く、すべてを司っている。植物は太陽光の巡りに従って生きている。だからこそ冬至が重要な再生の日になる。農業を行うものには冬至に新しい一年が始まる。そうもう次の活動が始まったのだ。

 南にある石垣島では冬至と言ってもそれほど日は短くならない。7時24分日の出。18時2分が日没。夏と冬の日照時間差は二時間半ぐらいのものらしい。東京が五時間と言うから、生活感覚としては日が短くなったというような特別な感じはしない。昨日も6時まで農作業ができた。

 朝がいつまでも暗いという感じはあるが、夕方6時まで外で動けるということであまり冬という感じがしない。早朝の今も22度あり、昨日の昼も28度まで上がった。先日台湾で農業をしている、友人の話では台湾は石垣島より気温が大分下がると言うことである。

 これは意外だったのだが、台湾には高い山があり、その影響で石垣のような海洋性気候とは違うようだ。山脈に遮られて気候に大きな違いがある。台湾には山岳民族と呼ばれる原住民とされる人種も存在する。生物の生存も随分違うのだろう。一時間で行ける所だすぐにでも行ってみたい。緯度は石垣島と同じでも、気候も風土もだいぶ違うと考えなければならないようだ。

 季節が変わると言うことの影響の小さい石垣島ではあるが、気分は一朝来復で、心機一転して楽観農園の建設に向かう。冬は暑すぎないと言うことで農作業には向いている季節で有り難い。一応の田んぼが出来る水は確保できた。これは第一の恵みである。

 そして、冬至の22日に石垣市の農業者になることが認められた。農業者の新たな冒険の出発の日には相応しい日だった。これも日和見の一つであった。役所に書類を頂きに行った。こういうことは小田原でも、山北でも無かった。

 役所で作業小屋の建築許可のことを聞いた。農振農用地でも作業小屋であれば建設をして良いと言うことだった。設計書や様々な書類が必要と言うことで、それも貰ってきた。倉庫についてはもう少し待とうと思っている。田んぼがともかく優先である。

 これで3回目の新規就農である。農業者は引っ越しはしないという、驚くべき小田原の農業委員会の見解で、山北で農業者になっていたにもかかわらず、小田原では認めないという、人権侵害を受けた。県の指導により、小田原市の農業委員会は、私に対して謝罪をして農業者になることを認めた。

 石垣市ではどうなるのか、不安な気持ちで届け出の受理を待っていた。もしダメだったら面倒なことになると心配だったのだが、幸い認められた。楽観農園の完成まで、あと5年は体調を整えでできる限りの事を行う。楽観農園の構想はどんどん広がってゆくので、冒険の果ては今だ見えない。

 1年目の本当のスタートは地主さんとの契約では1月1日である。今はフライングで建設を始めているわけだ。といっても1月9日に稲の種を浸種するのだから、苗床は年内に出来ていなければならない。残り一週間である。ユンボ作業ばかりだから、自分には出来ないので歯がゆい。

 ユンボが昨日の午後やっと復帰して、少し作業が進んだ。今日は苗代の形が出来上がるはずだ。いよいよ肥料を入れたり、ベットを作ったり出来るところまで進んできた。よみがえり堆肥を入れて、水牛でコロバシャである。田んぼの硬盤作りと作土を入れるところまではユンボの仕事である。

 今日は「水遣り」の準備をした。一番田んぼと溜め池の水の出口には杭を打ち付けた。杭に水の高さの印を付けるのだ。溜め池の底の高さが一番田んぼの高さより高くなくては成らない。一番田んぼで代掻きをするときには溜め池の水がすべて田んぼに入らなくては成らない。

 今日はバケツと10ミリの透明ホースを使って水遣りを行う。40メートルのホースにうまく水が入るだろうか。やったことがないので、少し心配になる。田んぼの方が高くなければ良いのだが、見た目はほぼ同じに見える。ということはもう少し掘らないと、耕土が入れられないと言うことか。

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