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竹薮と竹林

2006-05-03 05:53:22 | 自給
何故かインターネットが繋がらない。他の機能が問題ないので、ケーブルテレビの何かが不調なのか。こうなると何も出来ないのだから、便利と言うのは、随分不便な気分にさせられる物だ。

竹薮の片付けを続けている。竹薮は全部で500坪あるので、このうちの400坪を切り開くつもりだ。もう一息である。問題は切った竹の片付けの方で、これが、まだ山のようにある。真竹なので、5月末になると、竹の子が生えてくる。

ここでやっと繋がった。

竹の子が出てくる前に、片づけを終わっておきたい。それで出てきた竹の子を、全て取ってしまう計画でいる。今年竹の子を一切出さないで、一年間待つと、あの強い密集した根も、トラックターで耕運できるぐらいにはなるそうだ。

今年の孟宗竹の竹の子シーズンは3回、竹の子堀をやった。記憶では何度かはやっているのですが、せいぜい1、2本掘って見たと言うぐらいで、本格的にやったの初めてのことだった。これが結構面白かった。大変な作業だと言うのも分かったのだけれど、やりだすと止まらない面白さもあった。それで、3回目には竹の子堀専用の鍬を購入して、やった。

2回目の時、専用の道具を使うと、3倍の速度で掘れる事が分かったのだ。4,800円した。しかし、この後真竹のシーズンも残っているし、そうとう思い切って購入した。お店で置いてある最後の物だった。今頃遅れて買う人はいないだろう。
張り切って始めると、やはり道具だ、手に持ったとき少し重いな、と感じたのですが、この重さが調子よく竹の根を切り取ってしまう。弱点は付け根のぐらつきだろう。クサビをこまめに管理してやる事が大切なようだ。

3倍の速度で、多分1時間で10本は掘った。6分で1本か。真竹の方が急に楽しみになった。この真竹と孟宗竹の違いは、どこにあるのか。全く違うのだか、素人に分かる判別法はないか。この辺の人に聴いて判らない人はないのだが、全体の様子の違いで、一瞬で見分けているので、どこが具体的に違うのかと成ると、素人向きの判別法はない。そこで、先日田んぼで一緒に作業した、湿生花園の高橋さんに伺うと、節のところが2本の線にになっているのが孟宗竹だ。こう教えてくれた。これは分かりやすい。その時はそう思ったのだが、その後、2本ねぇー、2本が難しい。そのとき、植木屋さんのまごのりさんから教わったのが、孟宗竹の由来である。中国から入って、門外不出だった物が、江戸時代広がっていった、そうだ。全国至る所に今はあるのだが、竹が貴重だった、物が全て貴重だった時代の事だ。

真竹の竹薮を100坪ほど残す予定だ。それで美しく管理してみようと思う。坪1本としても、100本の竹の子も取れるはずだ。これを上手く保存すれば、一年食べられる。乾し竹の子もやってみたい。細工物には、真竹じゃなければいけない。大工さんが地鎮祭の四方に使うのも真竹だ。小田原で使う、正月飾りも真竹のはずだ。松飾りの3本立てる竹は真竹のはずが、多分孟宗の方が、見栄えがいいというので、最近は孟宗の方が多く見かけるようになってしまった。舶来を縁起物に平気で使うのが日本人だ。

真竹の方がおいしいと言う。味の事は、何でも難しいのだが、この辺の人は押しなべてそういう。今年はどちらもみっちり食べる事になるので、私なりに結論を出したいと思っている。最近分かったのは、同じ孟宗竹でも、竹林によって味が、特にあくが違うと言う事だ。よく管理された、肥沃な竹薮では、あくが少ないように思った。それだけでなく、以前栃木のお寺の竹の子は、よく管理されているのですが、あくが強かった。翌日には食べられないほどだった。土の違いもあるのではないだろうか。

竹薮は困った物だが、竹林は美しい。管理された竹林の見事さは、格別な物だ。以前、アメリカから環境会議で見えた方に、竹林を案内した。ビューティフルの連発であった。かぐや姫が、出てきて不思議がない、神秘的に美しい竹林だ。日本の自然の、管理された美しさの、象徴だと思う。

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