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食糧の安定供給の確立

2022-12-19 04:33:43 | 自給

 のぼたん農園の麦畑予定地の土壌の様子。

 日本は食糧が自給できない国になった。それはここ50年ほどの間に起きたことだ。江戸時代の日本は完全自給の国だった。食糧自給は国を維持する上で最も重要なことだ。食糧は価格の安い国から買えば良いというのが、竹中平蔵の指導したアベ政権の考え方であった。安倍が目指すとした瑞穂の国とは随分と矛盾した国だった。

 この50年日本人の主食がお米でなくなったと言うことがある。50年前は1年間で2俵120㎏食べていた日本人がその半分以下しか、お米を食べなくなった。今は一人が1俵のお米も食べない。1年に50㎏のお米しか食べなくなった。日本人はお米が主食で無くなったと考えて良いくらいのことだ。

 主食ばかりの食事から、副食中心の食事になったと言うことがある。昔はご飯をおかわりする子供が、元気なよい子と言うことになっていた。食が細くて食べられなかった私は、お代わりするのが大変なことだった。それでも無理をしてお代わりをしていた。良かったのか悪かったのかはいまでは不明。

 お米から肉を食べる食事に変化している。肉は食べない食事だった。経済成長と共に肉の消費量が増えるのは、世界的な傾向である。縄文人もやはり肉が好きだったらしい。イノシシと鹿の骨が遺跡からでる。沢山取れれば、肉を多く食べたらしい。

 健康と食事というものが完全に覆った。ご飯だけでなく、炭水化物の取り過ぎが不健康の原因と言われるようになった。1日に250gから325gの炭水化物を摂取することが望ましい とされている。これはご飯3杯分ほどである。この炭水化物の1日の摂取基準量は食事から摂取するエネルギーの半分ほどを良しとする。

 私の場合で言えば、年寄だからご飯を軽く2杯と泡盛100ccと言うことになる。このほかに間食は一切なしと言うことになる。せんべいやクッキーなど間食をすれば、泡盛はその日は飲めなくなる。それが嫌で間食はしない。これが一年50キロの泡盛を含めたお米の消費量になる。実際はもっと少なそうだ。

 体重を55キロで一定するように食事で調整している。超えたならば、泡盛を飲まない。時々超えるので泡盛休みが入る。週2回ならば丁度よい。一日玄米4合(600グラム)もお米を食べていた時代がある。いくら肉体労働をしているとしても、これでは長生きは出来ない。日本食が健康食というのも、ご飯を減らしたときの話である。

 宮沢賢治の詩のように、3合の玄米を食べたいたら年165キロである。それくらい日本人がお米を食べた時代ならば、日本は瑞穂の国である。食糧自給は稲作で可能になる。これから世界は食糧難時代に入ってゆく。飢餓は今まで以上に深刻な問題になる。その時また日本は瑞穂の国に戻るほか無い。

 小麦の輸入はだんだん困難になる。価格はお米に競べてかなり高くなるだろう。国産小麦と言うことになるのだろうが、これは現状ではかなり難しいとみている。戦後の日本は関東平野の里山はほぼ麦畑と行って言い。日本が小麦を大量に作っていた場所は、傾斜地であるか、現在市街地になっている所だ。

 食糧危機が訪れて、かなりの無理をしても日本の農地で麦を作るとすれば、また米麦の二毛作と言うことを考えなければ無理だろう。二毛作は東北では出来なかった。関東から南の温かいところであれば、冬に麦を作り、夏にお米を作った。しかし、これが百姓に過酷な労働になった。

 私も米麦の二毛作に挑戦していたが、なるほど難しいと言うことが挑戦してよく分かった。二毛作をするには機械が無ければ出来ないと考えた方が良い。すべて手でやろうとすれば、身体を壊すほどの過酷な労働に成る。特に梅雨時に麦刈りをして、田植えに入る。

 この時期を乗り切るには、コンバインと乾燥機が必要になる。大農家でなければ無理だ。こうした大型機械が出てきて、米麦の二毛作が可能になったころには、米余りが言われだした。米麦の二毛作は戦後の食糧危機時代のやりかただった。麦は麦畑でつくり、大豆などとの二毛作の法が具合が良い。

 すでに海外から食糧危機が始まっている。日本の38%の食糧自給率を早急に今の倍の75%ぐらいまで上げなければ、国の安定がなくなる。簡単に考えれば、農家も農地も2倍必要と言うことだ。政府も建前としては食糧自給率の向上を掲げている。しかし、向上どころか相変わらず低下傾向である。建前だけで本気に成らないからだ。

 理由は明確である。農業は企業が取り組んでいないからである。日本の政策は企業中心に考えられている。もし三井農林が米の一〇%を生産していれば、政策も変わるはずだ。農家など止めれば効率的だというのが政府の考え方なのだが、なかなか農家はすっきりとは止めない。

 政府はどこかでこのことを苦々しく考えているので、農家を保護するような政策が出てくるはずがない。しかし、もうそんなことも言っていられなくなってきた。このままでは国内の農業がさらに衰退する。安い海外の食料を買えば良いというような甘い考えは通用しなくなる。

 具体的に田んぼと麦が作れるような体制を確立しなければならない。例えば行政が機械を所有し、貸し出す仕組みが全国どこでも行われるようにする。大型機械の貸し出しがあれば、米麦の二毛作も復活できるかも知れない。貸し出し機械があれば、若い人の新規就農もかなり楽になる。

 地方では人口減少が急速に進んでいる地域がある。農地の放棄も進んでいる。放棄農地を政府が集約、新規就農者に無償で貸し出す制度を作る。農業技術はその地域地域で違う。地域の就農学校を充実整備する。そして卒業者への農地の斡旋の責任を持つ。

 たぶん政府は予算が無いと言うだろう。軍事費予算なら安全保障のために倍増するが。農業予算など無いと説明するはずだ。国の安全保障を考えたときにどちらが重要だろうか。明日の食料を確保すると言うこと以上に、重要なことなど無いはずだ。ここに国民の合意が出来るかどうかである。

 食料は確実に不足して、価格が高騰してゆく。それは原油の供給以上に明確に、遠からず起こる世界の問題である。エネルギーは価格が上がれば、供給も自然に増える。しかし、食料は作らない限り量は増えない。世界の人口増加に競べて、食料生産可能な面積は限界に達している。水資源も同様に限界である。

 今整備さえすれば、日本の農地は十分に活用が出来る。一番の問題は農業者の減少である。経営が出来ないから、減少している。経営が出来るようになれば、間違いなく農業者は増加する。農業はおもしろい仕事だから、生活可能なら間違いなく増える。

 定年もないから、80歳代の現役農業者もいる。自衛官を増やすらしいが、80歳では採用されないだろう。自衛官は生産をしない。労働人口が減少する中で、どちらが緊急的に重要なのかは明白なことだ。まだ間に合う。国民が明日の食事が一番重要だと当たり前に認識すれば、日本も変わる。

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