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中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

須坂市で選挙応援、国労長野地本旗開き

2007年01月12日 21時16分55秒 | 活動日誌
 (永井光明市会議員と街頭から訴え、永井さんが訴えている時、車からのたくさんの声援でした)

 須坂市の市会議員選挙は今月の28日告示でたたかわれます。今のところ流動的ですが、3名オーバーになりそうだということ。午前中は永井市会議員、午後は土谷市会議員の地域で活動しました。

 街頭からの訴えとその近くの訪問活動です。

 永井市会議員の演説中、ご近所を回ったら、あるおばさん「まだ決めてないのよ。でも、永井さんですね。親戚に共産党を応援している人がいるし、わかりました。応援します」と励ましてくださいました。

 ある町工場の近くで演説し終わったら、青年G君が「待っている人がいる」と案内してくれました。
 G君に聞いたら、「早く演説終わらないか」と言うので、うるさいと怒られたと思ったところ、「話がしたいから終わったら連れてきてくれ」とのことだったのです。

 「がんばってもらいたい。私はいつも中野さんに入れてきたんだ。微力だが今度も応援する。この機械、2000万円だ。修理に40万円かかったら、その修理代にも税金がかかってきた。そんなバカなことがあるか!
 自宅の下に工場を置いたのは、夜中まで働くためだ。零細企業から金を搾り取って、自民党はもうだめだ。本当にがんばってもらいたいんだ。
 これが家の仕事の主力になっている嫁だ。こっちは息子」と収まらない怒りが伝わってきます。

 おそらく引越しのためだと思いますが、土谷さんは初めてとの社長さんは、彼女への支持も約束してくださいました。息子さんが工場の外まで出てきて、「がんばってくださいね」とていねいにお見送りまでしてくださいました。

 嬉しい出会いが一杯。



(ラベンダー)
 
 夜は国労長野地本の旗開きで党を代表してご挨拶、社民党からは党幹事長である長野市会議員布目氏、ほかの国労関係の地方議員の皆さんが見えていました。
国労は、是非はともあれ(共産党は思想信条の自由を重んじています)組合として社民党を推薦していますが、共産党もまねかれます。

 祝賀会の席では、さまざまな政治論議でした。
 
 「中野さん、いつもご苦労さん。どうして共産党はぶれないのですか。いつでもしゃんとしている。なぜですか」
 「そうですねえ、いかがわしいお金は1銭ももらっていないからですかね」
 「なるほど・・」

 「民主党は自民と一緒じゃないか。もうだめだよ、あの党は。社民と共産党ががんばるしかないね」
 「そうですねえ。一緒にがんばりましょうね。でも、国政で民主党と協力して、護憲の社民、大丈夫ですか?」
 「んん・・・まるめられるかなあ・・」

 「社民のT県会議員は、改憲を公言している村井知事に投票した。いくらなんだって、ひどい。私は応援しない」

 などなど、アルコールも手伝って、自由な話が飛び交い、大変はずみました。
 私は、乾杯をしてから小一時間で失礼したのですが、そっと帰ろうとしたところ、「中野さんが帰られます」と紹介され、拍手で送り出されて恐縮してしまいました。

 
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常任委員会 、署名の準備、県労連旗開き

2007年01月11日 21時27分09秒 | 活動日誌
(蝋梅  飯田市から運んだ蝋梅です。いつもより早く咲くのも問題だなあ・・)


 3中総後、初の常任委員会、3中総を深める論議をしました。

 教育基本法が改悪され、現場でのたたかいもこれからです。30人学級、長野県では小学校6年生まで実現、中一には「中一ギャップ」の加配の先生がつけられました。
 しかし、教育基本法を跳ね飛ばすために、よりきめ細かな対応が求められています。中一ギャップ政策を発展させて、中学校にも30人学級を、は切実な願い。
 
 また、乳幼児医療費は、就学前まで、所得制限なしで無料にはなりましたが、自動給付方式のため、いったんは現金が必要。子育て中の若い夫婦にとって窓口払いは大きな負担です。
 その上、自動給付のための事務費として、1レセプト300円の自己負担です。

 「子育てネット」(代表 中野さなえ)がこの二つの問題の署名活動をする事になりました。ダムより子育て支援を、と村井県政への要求と共に、国への意見書採択ももちろんのことです。

 午後はその段取りですごしました。

 夜は県労連の旗開きで、党を代表してのご挨拶でした。

 それぞれのたたかっている組合からの報告に、会場は「がんばれよ!」など元気な掛け声。とりわけ大きな拍手が沸いたのは、善光寺の大勧進のみなさんへでした。

 一昨年、善光寺にも僧侶と事務職の県労連傘下の組合ができて長野県中を沸かせましたが、今日は9人の組合員の内、6人の方が参加していました。

 「昨年12月には、ボーナスの減額分を返還させました」との報告に、会場から大きな拍手と掛け声でした。

 私は早速席に行って「なぜお坊さんになられたのですか?」と、またお聞きしました。

 おひとりは「親類方がお寺さんで・・」と。もう一人の方は「人間らしい生き方の理想は宗教に生きることと思ってはいりましたが、現実は厳しいですよ」と、そして「政治はひどい。食うや食わずの人がいるのに、でたらめな使い方をするお金があるなら、何でその人たちのために使わないのかと、怒ってます」といっておられました。
 財政再建団体になった夕張市の実態も出されましたがが、役所幹部が責任を取らず、退職金をもらってさっさと撤退したことも怒る理由なのでしょう。リストラされた職員は再就職も難しく、途方にくれていることでしょう。


(善光寺 大勧進のみなさんと一緒に)
 
 「目指すところは宗教者の方も私たち共産党も同じですね」と私。「毎年元旦、善光寺前で街頭宣伝させていただいています。今年もありがとうございました」とお礼も言えてよかった。
 そしたら「本物の中野さんにお会いできて最高ですよ。私は自宅で時々、中野さんの演説を聞いているのですよ」といわれて、嬉しいやら恥ずかしいやら、感激でした。

 僧侶の皆さんは365日毎朝、五時半から(季節により時間はずれてゆくのだそうですが、それも一分刻みで!)お朝事(おあさじ)というお勤めをするのだそうです。だから起床は早い時は4時半頃とのことです。
 365日ですから、これは大変なことですね。

 「私は、明日は朝の街頭演説がない日だ、と思うと、気持ちが楽になってしまいますよ。修行が足りませんね」と笑いましたが、その道によって暮らしぶりが違ってくるものですね。
 
 「写真を撮っていいですか」とお願いしたら、快く応じてくださいました。天下の善光寺さんの職員との写真は、初めてです。うれしこと。
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「硫黄島からの手紙」を観る

2007年01月10日 22時11分00秒 | 活動日誌
 (ムラサキツユクサ  しばらく暖かだったので、つぼみを持った。でも、急に寒くなったので咲かずじまいかも。)


 学習日。
せっかく今年の冬に備えて購入したペレットストーブの調子が良くない。私の学習日に合わせて修理に来ていただきました。
 朝9時から3時過ぎまでかかりました。調子が戻り、ああ、良かった。
  
 私はその間、原稿準備のため新聞切抜きや資料読みなどで過ごしました。洗濯、さっと掃除、かたずけ、料理も、気分転換に行ないながら。

 さて、4時過ぎました。これからどう過ごそうか迷いましたが、映画「硫黄島からのたより」を観ようと決意、車を飛ばしました。5時の上映に間に合いました。

 正月休みも終わったばかり、映画館はすいていて10人ほどの観客でした。

 大変重い映画でした。防衛庁が防衛省になった今、ぞくぞくと背筋が寒くなる思いでした。自民党・公明党政治、そして民主党も含めて、またこの道を歩もうとしているのです。

 不戦の誓いで戦没者の遺骨や遺品を収拾している、硫黄島協会の人が、袋につめ土に埋められたため保存された、戦没者への家族の手紙を発見するところから映画は始まります。
 こうして協会の手によって発見された遺品のかずかずは、家族のもとへ、又は靖国神、遊就館に奉納されています。

 映画は、正義を問うことはあえて避けているようです。「天皇陛下、ばんざい!」と本気で思いながら死んでいった、一人ひとりの、家族を抱えた掛け替えのない人生が語られていました。
 また、兵士の会話で、いのちを捨てることへの疑問も投げかけられます。
  
 何より、戦争は一人ひとりの人間性を破壊して、残虐に、異常にしてしまうものだということを語っていました。
 「死」が麻痺してしまう。私は、画面を静視することができず、下を向いてやり過ごすこともありました。

 栗林中将の玉砕前の言葉が心に残りました。「家族のために命をかけても日本を守るのだと・・・しかし、その家族のために生きたいと思う・・」(たしかなせりふは覚えていないが、話の確信はそう受け止めました。)

 硫黄島では、21000人が死亡しているのですね。アメリカ軍も同じくらいの犠牲者です。むごい。
 島民は1100人、130人が軍として戦い、82人が死亡。

 硫黄島の当時の役目は、今の沖縄と同じです。地理的条件が軍事的にみて、非常に重要な位置にあるのです。そこには、住民の願いなどこれっぽっちも考えられていない。

 何が「戦後レジームの脱却」ですか!

 
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年金者組合、高教組の旗開き

2007年01月09日 21時05分51秒 | 活動日誌
 (カズエ   横浜に米軍のファントムが落ちて直撃され、2人の可愛い息子をなくし、自分も全身やけど、苦しんでなくなったカズエさん、彼女のために改良され名づけられたバラです。党本部の屋上に咲いていました。4日からの会議の時、昼休みにスケッチしてきました。)


年明けて、各団体が旗開き新年会を計画しています。今日は年金者組合、高教組の旗開きでご挨拶、交流しました。合間をぬって、事務仕事でした。

 どこでも意気揚々の旗開き、安倍内閣のもろさが実感できました。「負けるものか!」との庶民の強さで溢れていました。私たちは「正義」だからね。
 年金者組合も高教組も、昨年は大活躍でした。
 年金者組合はむしろ旗を立てての集会とデモ、教育基本法改悪と「九条の会」では、高教組は底力を出してすごいがんばり、私たちを励ましてくれました。

 年金者組合の旗開きには、前進座の方が5月の公演の宣伝に見えていました。
その方は永井多津子さん、いやびっくりでした。なぜなら、彼女は、昨年の全国赤旗祭りの2日目の中央ステージの司会をした人なのです!!
 「あんなにたくさんの方が・・驚きました」と彼女。

 親しくお話できて嬉しかったです。

 いろいろな方の人生に好奇心一杯の私、早速質問、「なぜ、いつごろ役者を目指されたのですか」
 
 答がすごかった。
 
 ずっといじめにあっていて学校に居場所がなく、小学校3年生の時にお母さんの勧めで劇団に入ったのだそうです。
 いじめは続いて高校卒業するまで一人ぼっち、休み時間は保健室。卒業後、芸能界に入って、前進座にめぐり合いはまり込んだのだそうです。
 
 ご挨拶で彼女が言った言葉は、「役者は40歳代ではまだひよこ、60歳になって油が乗ってきたかな、70過ぎて役者だなと・・・はてしもない世界・・」

 森光子さんのでんぐり返しを思い浮かべました。政治の世界で言えば、私、まだひよこに毛が生えたくらいなんだなと、これは私も今からか、と元気が出ましたね。世の中変えるのに、年齢は関係ないし、これから知恵が働く時かと。

 早速記念写真を一緒に撮っていただきました。



(永井多津子さんとツーショット)


 高教組の旗開きではまた、感動の話に出会いました。

 若い女性弁護士なりたてのOさん、非行少年の裁判の時、彼の中学の先生が立会いになってくれた話です。
 
 Oさんは中学の先生に好感を持てなかった経験があるので、「先生が弁護してくれるとは考えられないが、当たって砕けろ」と彼の担任の先生を訪問したそうです。
 予想に反して、先生は快く裁判の立会いまでやってくれ、その先生の証言が力になって、刑が最少にできたのだそうです。
 「先生が忙しい中、裁判のためにやってきてくれた。やってくれると思わなかった。この先生との人間関係が彼の救いだった。ことあるたび、彼を励ましてくれていた先生だったのです。先生を決め付けてみてはいけないと・・」

 私は、「当たって砕けろ」というOさんの熱意に打たれました。この熱意、彼を思う心が刑を軽くする道を開いたのです。この熱意はきっと彼に人を信じていいという、一番大事なことを伝えたに違いありません。

 この二つ、今日の旗開きで感激した話でした。

 
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やっと年賀状書き

2007年01月08日 21時43分46秒 | 活動日誌
 (もう一度 蝋梅 きれいなんだもの・ほんとはスケッチが間に合わないわけです)



 定例の常任委員会が急に変更になったため、デスクワークの日になりました。3中総の読みなおしや、講演の原稿書きをしました。

 原稿に向うと、いかに自分の知識があいまいだったかが良くわかって、本当にいい勉強になります。

 久し振りで、子どもの発達に関する本も手にしました。レイチェル・カーソンの「センスオブワンダー」もめくり返して、子どもの発達に大切な原点に立ち返り、すがすがしい気分になりました。

 自宅に帰ってからの大仕事は、年賀状でした。年末年始は全然書く暇がなく、今、来た年賀状に返礼を出すので精一杯です。
 
 選挙法の関係で、無差別に出してはいけないのはもちろん、印刷はだめで自筆でなければいけないので、気合がいるのです。
 でも返礼は、一枚一枚、心をこめて書きました。一つ一つの年賀状は、相手の気持ちが豊かに伝わってきて、嬉しい限りです。
 どの賀状も、「良い世の中にしたい」との気持つが一杯に溢れていました。

  だから、本当は絵手紙にして、私の気持ちを伝えたいところですが、とっても間に合いません。で、「字手紙」にしました。

 まだ全部書いてません、途中です。一月中につけばいいかしら? それでは遅いかしら?

 今晩は久し振りで夫となべを囲みました。娘のお土産のブリは、まずは刺身に、そして照り焼きに、あら煮にと活躍しましたが、今日はなべに入れて堪能しました。無駄なく食べることができましたし、非常に食べごたえがありました。
 これで、ぶりどのは、成就してくれるだろうと思います。「無駄なく」、これが大事な点です。 

 
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上田市党城下支部新年会、JMIU旗開きに出席

2007年01月07日 20時59分57秒 | 活動日誌
         (JMIUのみなさんと「がんばろう~!」それそれ!)


 上田市の城下支部の新年会、JMIU旗開きに、高村京子県会議員と一緒に出席、ご挨拶、懇談をしました。

 城下支部では支部長さんに政治的クイズ、「あなたならどうする?」で試されて、無事、候補者として合格の判定を受けました。「ほっ」!
 内容のひとつは、「共産党支持率3パーセント、自民40パーセント民主・・・・
さあ、これをどう分析してどうたたかいますか」というものでした。
 
 あなたならどうする? まさに3中総の内容をテストされてしまった!

 みなさん、大変がんばっている支部で、大いに励まされました。

 JMIUの旗開きは大変明るかったです。昨年は良くがんばってたたかった組合です。新聞を開くたび、全国のJMIUの皆さんのがんばりがのっており、わたしも大変励まされてきました。

 派遣労働者のたたかいもそうです。

 私は党を代表して、3中総で出された方針、憲法25条を守るために、社会保障の充実、逆立ち税制を正すこと、そして人間らしく働く雇用の実現のために、九条を守りとおすたたかいで、新しい政治を切り開くために連帯してがんばるとのご挨拶をして、楽しく懇談してきました。


(「団結、がんばろうー!おー!」となりは高村県会議員)

 長野富士通リストラの話に花が咲き、富士通下請けの高見澤電機のたたかいの方向にも熱が入った懇談となりました。
 富士通本社ボーナス2・6倍、某関連下請け会社は2・3倍とのこと。高見澤はゼロ。この差別。
 
 各職場の自己紹介がありました。高見澤電機や丸子警報機の皆さんの元気な顔が見られ、30人ほどの職場で4人の組合員でがんばって交渉し、実績をあげている組合の皆さんの発言も生き生きしていました。現場の皆さんはたくましい。私もエネルギー充電です。
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会議最終日

2007年01月06日 21時51分39秒 | 活動日誌
 (吉川春子さんと 「長野に来てくださいね、応援に」とお願いしました)


 中央委員会での都道府県・地区委員長全国会議の最終日、熱心な討論が続き、終了は午後4時。
 支部が主役で活発に活動するために、大変な努力をしている数々の発言に、今日も学ぶことがたくさんありました。

 「わらをもつかむ思いでも(民主党を頼れば)、このわらはつかんでも沈んでしまう」のジョークに爆笑。

 長野県からは、昨日の長水地区委員長の発言に続き、佐久地区委員長が発言、そして討論のトリは、わが今井長野県委員長でした。
 
 今井県委員長の話は大変率直で、かつての選挙で議席を失ってしまった失敗談や、今回の県議選での、飯田市区の大ベテラン、大坪氏の立候補決意の反響にも触れ(長野の人でないとわからないですね)、大いに会場を沸かせながら、心に染み入る発言で、私は深く感動しました。
 
 いつも県委員長の話は聞いているのに、今日は格別に感激しました。私も、県委員長のように人の心を打つ話をしたいと思いました。でも、とてもとても。苦労が違います。
 でも、私も熱意だけは一杯、私なりきに一生懸命やろうと思ったことです。

 3中総を受けて、自民・公明の悪政に真正面から対決できるのは共産党だけ、共産党が延びることが国民の苦難軽減の唯一の道と、決意を堅くして3日間の会議を終了しました。
 54人も発言しましたが、まだ、40人以上の発言通告が出ていたのです。残念ながら時間切れ。本当に熱心な会議でした。

 志位委員長のまとめでは、安倍内閣の任期中に憲法改悪をするとの宣言は、国民との乖離をいっそう激しくせざるをえないこと、また、改憲手続法を自民・公明・民主が合意に入っていること、山梨、愛媛、宮崎の知事選に民主党独自の候補者をたてることができない事実と、朝日新聞の「民主党なぜ勝敗をさける」の社説も例に紹介しながら、民主党では対立の足場がないことを重ねてあきらかにしました。

 そして、全国はひとつでがんばろうと訴え、会場は3月8日目指しての決意で心ひとつになりました。3月8日は、いっせい地方選挙投票日のちょうど一ヶ月の日です。
 
 娘が、年末年始は実家でゆっくり過ごそうと、年休もとって今日まで長野に滞在する予定で帰ってきたのに、年末から一緒にゆっくり過ごしたのは2日の日だけ。

 休みを一緒に過ごせなくて娘には悪いけど、その分、おかあさん、がんばるからね。娘から鶴岡に着いたよと、帰りの新幹線にメールで連絡連絡あり。

 きょうは天候が崩れました。さあ、寒波がきています。いよいよ雪の世界になるかな。吉川春子さんと写真に納まりました。隣は長水地区委員長、小池さん。
 吉川春子さん曰く、「寒くない長野なんて長野らしくない」。本当にそうなんです。暖かくなるなんて、地球がおかしくなっているからだもの。

 長野に着いたら、晴れてはいたが、道には雪でした。
 
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昨日に続き全国会議

2007年01月05日 23時42分30秒 | 活動日誌
 (夫を病院へ迎えに行ったときに、5階病棟の洗面所にあった鉢植えです。なまえは・・・?)


 3中総を終えて、今日から全国都道府県・地区委員長会議。今日は40人ほどの地区委員長などが、各地区の活動の報告をしました。

 心に残る報告はたくさんありましたが、赤旗新聞でも報道された群馬の桐生市での、「最後の10円」の出来事の地区委員会対応には感銘を受けました。

 最後の10円で公衆電話から共産党に「助けてください」と消え入るような声での電話。10円で切れたので、常任委員会をしている最中だったが、みんなでその公衆電話を探してその方を探し当てたというのです。電話を深刻に受け止めて、そのような行動をとったことに感銘をうけました。さすが共産党です。
 「あの時共産党に出会っていなかったら、死んでいたかもしれない」とその方は言っているそうです。
 本当に良かったです。

 私の生まれ故郷の宮城県の、塩釜地区委員会のガンバりにも励まされました。民医連の党組織ががんばっている報告、本当に元気が出ます。
 私も夫も、28年前には宮城県の民医連、坂病院で働いていましたから。私は、教員をやめて障害児教育の勉強中、坂病院で医局秘書のアルバイトをしていたのです。子どもを保育園にお願いする都合もあって、働かせてもらいながら勉強していました。
 塩釜地区委員会の地域に一年間住んでいましたから、懐かしく嬉しいです。

 秋田からは、秋田弁をゆたかに使っての地区委員長の報告に、笑いが耐えませんでした。
 困難は相当ある地区の「危機」を乗り越えた経過を、ユーモア一杯に話してくれました。
 例えば、なかなか会議が開けず困難を抱えていた支部に、地区役員が出かけて話し合い、20回も働きかけてやっと2人から始まりましたが、今では毎週きちんと開かれりようになり、元気な支部になったそうです。
 「支部会議にくるとほっとする」との支部員の呟きを聞き、「支部会議ってオアシス、エネルギー入れてまた砂漠へでてゆく」とのたとえに、会場は爆笑!!笑いながら、その真実が心に浸みました。支部会議がオアシスであるように、いい支部にしてゆきたい、そう思ってどこでもがんばっているのですから。

 今日も目一杯の会議、全国状況がつかめました。日本中の共産党が津々浦々で、平和と暮し、いのちを守るために奮闘しています。
 問題は、お聞きした経験を長野でどう生かしてゆくか、です。3中総では3月8日を投票日とみたてて取り組みをすすめることが決定されました。

 さて、夕食を食べるところを探しに、同僚と一緒にホテルのある池袋の街を歩きましたが、田舎者は都会にはなじめないものですね。人通りの多さと、ネオンのチカチカと、音楽など流れる華やかな雰囲気に飲まれて、疲れてしまいました。

 長野はいいなあ、やっぱり。ふくろうの声が聞こえる我家は、大変贅沢なところです。
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第3回中央委員会総会に傍聴出席

2007年01月04日 23時48分19秒 | 活動日誌
(雛菊  飯田市の地区委員会の玄関のプランタンに咲いていました) 


 正月明け早々、第3回中央委員会総会が開かれました。いっせい地方選挙、参議院選挙は今が本番と位置づけ、年末もがんばってきましたが、いよいよ本番の年に入りました。
 ダッシュをかけてがんばろうとの会議、全国都道府県委員長と地区委員長、それに参議院予定候補者が傍聴で出席、500人を超す大きな会議でした。

 党の意気込みを感じました。

 中央委員会総会は今日一日で、明日から2日間は、本日傍聴したわれわれの全国会議が行なわれます。

 幹部会報告の要は、国政でも地方政治でも、政党配置がどうなっているかがあきらかにされたことでした。
 安倍政権の危険性ともろさ、そして、民主党の評価の掘り下げが行なわれたのです。
 志位委員長の、民主党は自民党政治の3つの異常を共有する政党であり、「よりまし政党」ではないことが、この間の事実を根拠に語られました。討論では、各地からその事実を裏づける、オール与党体制化で行なわれている実態の報告が相次ぎました。
 開放同盟との癒着も、次々と実態報告がありました。

 外資系企業の献金を規制緩和したり、自衛隊の海外派兵におおっぴらに道を開く防衛庁の「省」への格上げ?には賛成、教育基本法改悪では最後に野党の約束を裏切ったり・・・これらは、財界の政党評価の通信簿と献金額という、財界の政治の直接支配のシステムにしっかりと民主党がはまってしまっているからです。

 もはや、民主党は「もうひとつの自民党」であることが、明確に打ち出されました。
 
 また、憲法25条の生存権を守るために、いのちと暮しを守る草の根の国民大運動を展開しようとの提起は、各地で行なわれている生活相談などの実践に基づいた方針で、私の胸にストンと落ちました。
 生保を受けることができずに餓死をした人もいます。このような犠牲者を出してはなりませんし、労働法もホワイトカラー・エグゼンプションなど、また改悪され、人間性を無視した形態にされようとの案も出ているところです。

  各差社会を作り出している政治との対決、そして、苦しんでいる人の救済は待ったなしです。

 などなど選挙をたたかうための、情勢の分析や方針が報告され、熱心な討論が、7時まで行なわれました。
 
 長野県からは石坂ちほさんが県政の報告をしましたが、「政務調査費は一円の果てまで領収書付き、透明度ナンバーワン。公費を使っての海外視察など、全くできなくなりました。」などの報告に、会場から「おーー」「わーー」とか驚きのうなり声が上がりました。
 世論と結んだ共産党の議席の値打ち、すごいですね。こうした値打ちを大いに語っていこうというのも、方針です。

 中身が濃くて、討論も早口で、メモが間に合わない。緊張していても、数字も聞き逃す、という具合で、なかなか大変な会議でした。

 東京都委員長の報告では、区議会議員の立候補者、自民党は前回347人、今回は366人。民主党は前回96人、今回は今既に174人、つまり、いっせい選挙は参議院選挙を狙って候補者を乱立させているとのこと、これは全国的傾向です。

 佐々木憲昭議員の報告では、大企業一社の資産が、1970年には6500億円だったのが、現在はその10倍の6兆円以上になっているとのことでした。驚きましたね。
 多国籍企業となって膨れ上がり、だから政治に直接関与して「強い日本」を作っていこうというのが御手洗経団連会長のビジョンなのです。

 などなど、書ききれませんのでこの辺で。

 ホテルに入ったのが8時、夕食は外に出るのも面倒だからと、長野県の地区委員のみなさんとホテルのレストランで、2100円也のコース料理を食べました。
 いつもは早食いで、しかもドサッと食べているものですから、「腹は一杯になったが、なにか物足りない。お上品なのは慣れてないなあ」と「明日の晩はここはやめよう」となりました。
 そして、近くの牛丼屋から、持ち込みカップに一杯の牛丼とおでんを仕入れて食べなおししていました。これで安心!?
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若槻地区の新春祝賀会に参加しました

2007年01月03日 16時54分25秒 | 活動日誌
(蝋梅  正確には素心蝋梅  名前がいいですね。「素心」だなんて・・玄関に飾ってあります。出所は昨日の日誌をご覧ください) 


 3日は例年、コミュニティセンターで若槻地区の新年祝賀会です。原田市会議員と共に参加しました。
上野区を含む若槻は、人口でいうと2万人ほどになるのでしょうか。その昔は若槻村だったところです。
 約180人の参加、地元の皆さんの「山登山太鼓」の演奏で幕開けです。保存会の皆さんによる獅子舞も披露され、郷土色ゆたかな新年の会でした。

 来賓挨拶は、区長会長さんと地元の県会議員、市会議員がやりましたが、親友会のF市会議員の挨拶はいかがなものかと思いました。
 
 道路開発や公共事業の重要性を切々と訴えた後(本当に必要か!)、「給食費を払えないのではなくて、払わない人がいることはゆゆしきじたい」と、家庭教育のあり方を批判したのです。

 確かに、ごくまれにそのような人もいるかもしれませんが、それは、本質的問題ではありません。圧倒的多くに方は、実際払えないのです。
 格差社会の原因を家庭に押し付けている、狭い、現実を矮小化した誤った捉え方に、現実を知らないこんな人が議員をやっているのでは、貧しき人はすくわれない・・と思いました。

 原田市会議員は、今年は乾杯の音頭の当番でした。



(大した枝振りでしょう?玄関に素晴らしい香りがただよっています)


 さて、交流は実に楽しく行なわれました。

 まず、三登山トレッキングの主催者、三登山愛護会のみなさんと意気投合、春のトレッキングで会いましょうと。私は三登山にすっかりひかれていますから、今年の春もぜひ行きたい。

 お酌をしてまわると、さまざまな話です。

 「私は何より、ただ働きに怒っている。昔、組合でがんばったものだが、企業の横暴は許せん。社民を応援してきたが、社民ではだめだ。原田さん、中野さん、応援するよ」

 「かんがえは違うが、共産党は好きだ。同じ考えのところもあるから、それでいいではないか」

 「表立ってはできない立場ですが、私は共産党が延びなけば日本の未来はないと思っています。少なくない保守の人がそう思っていますよ」

 そして「共産党には聞きたいことが沢山ある。納得できれば入党してもいい」という人までいたのです!

 党に対して、とっても暖かい雰囲気を感じました。

 そのあと、消防団の二次会に顔を出して、短時間お仲間に入れていただきましたが、ここでも楽しく交流ができました。

 帰りはいつも、原田市会議員と30分ほどの「ランデブー」散歩です。

 昨年は大雪で歩くのも大変でしたが、今年はなんという穏やかな日でしょうか。

 娘たちは映画を観に、夫は仕事をしに病院へいった、正月の3日でした。

 昨日紹介した「蝋梅」のスケッチの前に、今日は写真をアップしてみます。香りがしてくるようでしょう?

 明日は、朝7時55分の新幹線で東京、党中央委員会へ行きます。4,5,6の3日間、とまりで会議です。
 4日は第3回中央委員会総会の傍聴、5,6日は全国会議です。参議院の候補者は全員出席になっています。

 正月早々、4日に3中総を行なう中央の意気込みをしっかり受け止めたいと思います。


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