中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

昨日マスコミのインタビューをうけました

2007年05月22日 15時52分36秒 | 活動日誌
       (マスコミの合同インタビュー  県委員会の2階会議室で)

 昨日は、マスコミ各社の合同インタビューを受けました。参議院選挙に臨む政治的姿勢や政策をはじめ、趣味や子育てや家族のことなど質問は多彩でした。

 「なぜ、いつも赤い服なのですか。特別な意味が?」「入党したのは何歳?なぜ?」「ずっと共働きで困難ではありませんでしたか」「ストレスの解消は?」「子どもは生みたかったでしか。何人生みたいと思いましたか。娘さんにも子どもを生んでほしいと思いますか」などとの質問もありました。

 赤い服は私のトレードマークになってしまいました。最初に立候補したときに「赤が似合うし目立つし、これでいったら?」との支持者のご意見で赤いスーツを作って、いつの間にか今では赤くないと「今日はどうしたの?」と言われてしまうようになりました。
 
 子どもについては、結婚すれば生まれるのが自然だし、なんとしても生みたいとか、生みたくないとか、考えてはいませんでした。授かりもの。ほしくても、生めない方もいますし。そして娘が子どもを生むか生まないかは、娘夫婦の決めることですね。

 私の場合は、「働くことは当たり前」の考えでしたから、「子育てに専念」の選択肢はありませんでした。困難があったら、そこで解決するようにがんばろうと。
 でも、二人目のときは「共働き、大丈夫かな」とちょっと不安に・・・・3人目からは、「4人、5人も同じかな」と。「案ずるより生むがやすし」。

 しかし、私の職場は日勤だけで、8時ー5時の規則正しい勤務に恵まれていましたから、夫がほとんど遅い帰宅でも何とかやってこれました。仲間の助けもずいぶんお借りしました。
 
 今の子育て中の親御さんは、労働条件が劣悪です。本当に困難です。子育て支援の第一、土台となるのは、人間らしい労働、生活できる賃金です。この解決のために、がんばりたいと思います。若者も、結婚して子どもを生むことができるように。「ネットカフェ」で寝泊りでは・・・あまりに悲惨です。

 入党は22歳のとき。
「貧乏と戦争はなくせる。なくそうとしている党がある」事を知ったから、入党したときは、胸の中でふうせんが膨らむ思い、目の前の霧が晴れて、感動で一杯でした。「貧乏は父ちゃんのせいではない」と分かったし、世の中を変えてゆく見通しが見えたからです。そのために、がんばってきた先輩がいたことも知って、私もその一員にと決意しました。
 あのときの感動を大事にしようと、新鮮な気持ちになれました。


(庭のテッセン満開  10年ほど前は200も300も、花の屏風のように一面に咲かせていた鉄線が、庭をいじった時にいじめられて見る影もなく弱ってしまいました。細々生きているのを見て、「もうだめかな」と何度も思いましたが、今年、カムバックの勢いを見せ始めました!)

 高山村の宮川貞子さんに会いました。女性後援会の事務局長さんです。

 「高山村で、参議選挙のために朝だちをはじめているよ。さなえさんの顔入りのうちわでも作ろうか、何か工夫しようって、相談しているよ。中央病院でも宣伝しようとおもってる。」との話に、とっても、とっても元気づけられました。
 
 宮川さんは中央病院の患者さんでもあるのです。皆さんに元気を与える震源地のような人です。若くて病気になったのに、片麻痺なんて、何のその。

井上参議院議員のメルマガで、参議院本会議の出席は152人だけ、選挙のため大量に欠席との報告。なんという無責任な態度!腹が立ってしょうがない。こんな無責任な議員に任せておけるかと、闘争心が湧いてきました。
先日の党首討論では、自民党と民主党の小沢氏の違いがまったく明確になりませんでした。
 共産党10議席で党首討論ができ、11議席で議案提案権が得られます。井上さんはじめ比例五議席はなんとしても!!私も開拓精神で挑戦です!!
コメント
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