2008年7月6日(日)
埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第155回
例会の日。「梅雨の中休みで暑くなるので、熱中症の注意と水
分補給を十分に…」との予報を聞いて、家を出る。
JR武蔵野線吉川駅に集まったのは14名で少な目。3組に分
かれて10時10分にスタートした。
=元荒川と新方川に沿って=
まず南口に生息?する、「なまずの里吉川」のシンボル、黄金
のなまずモニュメントを見る。親なまずは全長4.8mで、世界最
長だという。
北に向かい、駅前の二つの車道に挟まれた狭い旧道へ。「よし
かわ天然温泉ゆあみ」の前庭に、旧ソ連の人類初宇宙遊泳飛行
士レオーノフ氏などが、来館記念に植樹した若木が立っていた。
りっぱな本堂の日蔵院に入る。先着のグループが、ご住職のご
好意で本堂内の古い板碑を見せてもらえるという。
一緒に本堂内陣に入り、弘安2年(1284)銘の板碑(上)や、
ピカピカの閻魔(えんま)大王などを拝観する。
2週間後の八坂まつりの準備で開けていた仲町のみこし蔵の
前を通過し、カシやクスなど広葉樹の多い吉川の総鎮守、芳川
神社へ。
境内には、天満、古峰、八坂、稲荷などの諸社も鎮座する。
ここのみこし蔵も開けられ、みこしが表に出ていた。
境内の真ん中に、クワの葉に似た見慣れぬ木があり、「神紋の
梶の木」との標石が立つていた。
中国や東南アジア原産で、平安時代の七夕には、葉に詩歌を
書いて竹に下げたという。
吉川橋に近い延命寺も、鉄筋コンクリート造りの新しくて豪華な
本堂と庫裡(くり)が目につく。
永仁3年(1295)の開基、3代将軍家光から祈願所としてご朱
印十石を賜り、武蔵国新西国三十三番霊場の第1番札所にもな
っているという。
本堂前に、「武蔵国札所第一番」の標石が、境内には仏足石が、
そして門前の古いお堂の中には、文安3年(1446)の銘という
板石塔婆(いたいしとうば)などが横たえてあった。
新方川と元荒川が合流し、満々とした流れの吉川橋を渡ると越
谷市。すぐ先で元荒川を渡り、左岸堤防の草の道に入ると、薄日
が出てきて蒸し暑くなった。
木陰がないので少し先で堤防を離れ、中島の集落を貫く道筋へ。
中島稲荷神社があったので、わずかな木陰で小休止して水分補
給をする。
鳥居には、このあたりの農村の秋の旧事・十日夜(とうかんや)
の大きなワラ鉄砲が下がっていた。
次の前畑集落も緑陰がなく暑いので、昼食地へと先を急ぐ。
少しは川風があるかと、新方川の右岸堤防に上がった。
遠くからも目につく、太い煙突と西洋宮殿のような造りの大きな
建物の対岸まで進む。
言われなければそれと分からぬ越谷市のゴミ処理場。このよう
なゴミ処理却場は、ほかでは見たことがない。
草の刈り込まれた堤防を進み、千代田橋を渡って北側に広がる
越谷総合公園へ。来週から始まる高校野球県予選会場のひとつ、
越谷市民球場の、正面に近い緑陰のベンチに12時21分に着く。
=花田苑を経て越谷レイクタウンへ=
暑いのでゆっくり休憩、14時近く、午後のコースに向かう。
総合公園西側の、池の縁や体育館前を通過し、新方川左岸堤防
へ。周囲は緑の田んぼが広がるが、暑さは厳しく日陰が欲しい。
次の橋を渡って、越谷市の日本庭園「花田苑」へ行く。江戸時
代の名主、宇田家の長屋門を復元したという、堂々たる長屋門
が入口になっている。
園内の総面積は2万1290㎡、回遊式の地泉庭園が中心で、
西側には「こしがや能楽堂」がある。庭園は後にして、まず能楽
堂に入ることにした。
正面中庭を隔てて、中心の舞台があり、それを囲むように和室
や大広間、展示室や数室の楽屋などがある。涼しい展示室で汗
をぬぐいながら、能についてのビデオを鑑賞する。
能の奥深さに引き込まれたのか?、思わず頭の下がる人も…。
和室や大広間の廊下からは、池泉式庭園の眺めがすばらしい。
汗も引いたので能楽堂を出て、庭園をめぐることにする。暑かっ
た日差しも、雲が広がり幾分しのぎやすくなった。
記念撮影後、思い思いに池の周りを一周し、入苑から1時間余
り過ごして花田苑を出た。
東越谷の住宅地を南に進んで裁判所前を通過し、元荒川の不
動橋を渡る。少し先で右折、朱塗りの山門をくぐって、大相模不動
尊大聖寺に入った。
大聖寺は、天平勝宝2年(750)開基の古寺。中世には岩槻城
主太田資正や北条氏繁の尊信を得て栄え、天正19年(1591)
にはこの寺に泊まった徳川家康から寺領60石を賜ったという。
本堂そばのタブノキは、樹齢500年と推定され、一部空洞の幹
回りは4mあり、樹高は高くはないが、枝をこんもりと広げている。
本堂屋根下にある「なでぼとけ(おびんずるさま)」の身体中を
なでて健康を祈り、南側の山門を出た。
大きな山門は正徳5年(1715)の建立で、山門に掲げられた
「真大山」の山額は、老中松平定信の筆といわれているという。
相模町5丁目を南に抜けると、造成中の越谷レイクタウンの広
大な空き地が広がり、東側には建築中の巨大なイオンモールも
見えてきた。
レイクタウンの中心、広大な大相模調整池の南側でミーティング
をする。
池のそばまで下り、途中のコンビニで買ってきた缶ビールなどで
乾杯し、暑かった今日の歩きを振りかえり歓談する。
駅前緑地の見田方遺跡公園を抜けて、17時50分にJR武蔵野
線の新駅、越谷レイクタウンに着いた。
(天気 晴後曇、参加 14人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 越谷、
歩行地 吉川市、越谷市)
【追記】午後訪ねた花田苑については、7月10日のブログにて
改めて紹介しました。
埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第155回
例会の日。「梅雨の中休みで暑くなるので、熱中症の注意と水
分補給を十分に…」との予報を聞いて、家を出る。
JR武蔵野線吉川駅に集まったのは14名で少な目。3組に分
かれて10時10分にスタートした。
=元荒川と新方川に沿って=
まず南口に生息?する、「なまずの里吉川」のシンボル、黄金
のなまずモニュメントを見る。親なまずは全長4.8mで、世界最
長だという。
北に向かい、駅前の二つの車道に挟まれた狭い旧道へ。「よし
かわ天然温泉ゆあみ」の前庭に、旧ソ連の人類初宇宙遊泳飛行
士レオーノフ氏などが、来館記念に植樹した若木が立っていた。
りっぱな本堂の日蔵院に入る。先着のグループが、ご住職のご
好意で本堂内の古い板碑を見せてもらえるという。
一緒に本堂内陣に入り、弘安2年(1284)銘の板碑(上)や、
ピカピカの閻魔(えんま)大王などを拝観する。
2週間後の八坂まつりの準備で開けていた仲町のみこし蔵の
前を通過し、カシやクスなど広葉樹の多い吉川の総鎮守、芳川
神社へ。
境内には、天満、古峰、八坂、稲荷などの諸社も鎮座する。
ここのみこし蔵も開けられ、みこしが表に出ていた。
境内の真ん中に、クワの葉に似た見慣れぬ木があり、「神紋の
梶の木」との標石が立つていた。
中国や東南アジア原産で、平安時代の七夕には、葉に詩歌を
書いて竹に下げたという。
吉川橋に近い延命寺も、鉄筋コンクリート造りの新しくて豪華な
本堂と庫裡(くり)が目につく。
永仁3年(1295)の開基、3代将軍家光から祈願所としてご朱
印十石を賜り、武蔵国新西国三十三番霊場の第1番札所にもな
っているという。
本堂前に、「武蔵国札所第一番」の標石が、境内には仏足石が、
そして門前の古いお堂の中には、文安3年(1446)の銘という
板石塔婆(いたいしとうば)などが横たえてあった。
新方川と元荒川が合流し、満々とした流れの吉川橋を渡ると越
谷市。すぐ先で元荒川を渡り、左岸堤防の草の道に入ると、薄日
が出てきて蒸し暑くなった。
木陰がないので少し先で堤防を離れ、中島の集落を貫く道筋へ。
中島稲荷神社があったので、わずかな木陰で小休止して水分補
給をする。
鳥居には、このあたりの農村の秋の旧事・十日夜(とうかんや)
の大きなワラ鉄砲が下がっていた。
次の前畑集落も緑陰がなく暑いので、昼食地へと先を急ぐ。
少しは川風があるかと、新方川の右岸堤防に上がった。
遠くからも目につく、太い煙突と西洋宮殿のような造りの大きな
建物の対岸まで進む。
言われなければそれと分からぬ越谷市のゴミ処理場。このよう
なゴミ処理却場は、ほかでは見たことがない。
草の刈り込まれた堤防を進み、千代田橋を渡って北側に広がる
越谷総合公園へ。来週から始まる高校野球県予選会場のひとつ、
越谷市民球場の、正面に近い緑陰のベンチに12時21分に着く。
=花田苑を経て越谷レイクタウンへ=
暑いのでゆっくり休憩、14時近く、午後のコースに向かう。
総合公園西側の、池の縁や体育館前を通過し、新方川左岸堤防
へ。周囲は緑の田んぼが広がるが、暑さは厳しく日陰が欲しい。
次の橋を渡って、越谷市の日本庭園「花田苑」へ行く。江戸時
代の名主、宇田家の長屋門を復元したという、堂々たる長屋門
が入口になっている。
園内の総面積は2万1290㎡、回遊式の地泉庭園が中心で、
西側には「こしがや能楽堂」がある。庭園は後にして、まず能楽
堂に入ることにした。
正面中庭を隔てて、中心の舞台があり、それを囲むように和室
や大広間、展示室や数室の楽屋などがある。涼しい展示室で汗
をぬぐいながら、能についてのビデオを鑑賞する。
能の奥深さに引き込まれたのか?、思わず頭の下がる人も…。
和室や大広間の廊下からは、池泉式庭園の眺めがすばらしい。
汗も引いたので能楽堂を出て、庭園をめぐることにする。暑かっ
た日差しも、雲が広がり幾分しのぎやすくなった。
記念撮影後、思い思いに池の周りを一周し、入苑から1時間余
り過ごして花田苑を出た。
東越谷の住宅地を南に進んで裁判所前を通過し、元荒川の不
動橋を渡る。少し先で右折、朱塗りの山門をくぐって、大相模不動
尊大聖寺に入った。
大聖寺は、天平勝宝2年(750)開基の古寺。中世には岩槻城
主太田資正や北条氏繁の尊信を得て栄え、天正19年(1591)
にはこの寺に泊まった徳川家康から寺領60石を賜ったという。
本堂そばのタブノキは、樹齢500年と推定され、一部空洞の幹
回りは4mあり、樹高は高くはないが、枝をこんもりと広げている。
本堂屋根下にある「なでぼとけ(おびんずるさま)」の身体中を
なでて健康を祈り、南側の山門を出た。
大きな山門は正徳5年(1715)の建立で、山門に掲げられた
「真大山」の山額は、老中松平定信の筆といわれているという。
相模町5丁目を南に抜けると、造成中の越谷レイクタウンの広
大な空き地が広がり、東側には建築中の巨大なイオンモールも
見えてきた。
レイクタウンの中心、広大な大相模調整池の南側でミーティング
をする。
池のそばまで下り、途中のコンビニで買ってきた缶ビールなどで
乾杯し、暑かった今日の歩きを振りかえり歓談する。
駅前緑地の見田方遺跡公園を抜けて、17時50分にJR武蔵野
線の新駅、越谷レイクタウンに着いた。
(天気 晴後曇、参加 14人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 越谷、
歩行地 吉川市、越谷市)
【追記】午後訪ねた花田苑については、7月10日のブログにて
改めて紹介しました。
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