あるきメデス

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イタリア8日間の旅⑥ ボローニャ、パルマと世界遺産モデナ観光(1)

2019-08-15 18:54:21 | イタリア旅行
 第6日 2019年6月2日(土)
 == ボローニャとパルマそして世界遺産モデナ観光へ(1/3・ボローニャ) ==



 イタリア半島北部、ボローニャ東郊のホテルNHヴィラノーヴァで6時に起床した。
     
 今日も快晴である。7時からホテルのレストランで朝食をする。

 8時にバスでホテルを出て、ボローニャ観光のために市街地中心部に向かい、8時28
分にボローニャ中心街の西側辺りで下りた。

 ボローニャ(Bologna)は、一昨日訪ねたフェラーラ、ラベンナと同じエミリア ロマー
ニャ州の州都でボローニャ県の県都。人口約39万人の基礎自治体で、今回訪ねた観光地
では最大の都市である。

 国内で最も重要な高速道と鉄道が交差しており、ボローニャ中央駅はヨーロッパ40以
上の都市と鉄道で結ばれているイタリアで最重要のハブ駅とのこと。

 イタリアを牽引する重要な経済都市でもあり、絵本、靴、美容器具などの国際見本市が
開かれている。

 町の特徴は保存状態の良い中世からの建造物で、1944年に空爆を受けているにもか
かわらず、歴史地区にはルネサンスやバロック時代の重要な芸術作品が多く残り、歴史と
活気を感じさせる街のよう。

 世界最古の大学、ボローニャ大学は11世紀後半に創立され、世界でもトップクラスの
水準を誇るボローニャ歌劇場も市の中心部にあるようだ。

 この街発祥の有名な食べ物としては、スパゲッティの「ボロネーゼ」や、タリアテッレ
(きしめん風パスタ)、ラザーニャなど、美食の街としても知られているという。

 バスを下りたところに、公園のような緑豊富な一角に教会が目につく。サン・フランチ
ェスコ教会で1263年に完成しており、イタリアゴシック様式の教会としては古いもの
の一つ。

 ロマネスク建築が根強いイタリアにおいてフランスゴシックの影響が見られる貴重な建
造物のよう。

     
 道路際にある緑色の三角屋根と円柱の小さな建物は、石棺を納めた墓らしい。

 今日も、一昨日にフェラーラなどをガイドしてもらった日本語ガイドのジャン カルロ
さんの案内で東に向かって回廊の下などを進む。
     
 「ポルティコ」と呼ばれる回廊は、旧市街に総延長40㎞もあるという。

 世界最古の大学のあったボローニャには、各地から多くの学生がやってきた。その学生
たちの住まいとして通りに張出すように2階を増築したので、アーケードのようになった
のだという。

 メインストリートにも狭い路地にもポルティコがあり、雨風を避けたり夏の暑い陽射し
を遮ってくれるなど、天気を気にせずどこにでも行くことが出来る。

 ヴィア・クアットロ・ノヴェンブレ(Via Ⅳ Novembte)通りに入ると城壁のような長大
な建物が現れた。

 市庁舎のある大きな建物・コムナーレ(Comunale)宮の南面らしい。ひとときこの町を
治めた教皇代理使節の居館として、13~15世紀に建築と改築が行われたという。


 すぐ先が、旧市街の中心部になるマッジョーレ(Maggiore)広場である。
     
 約800年にわたり地理的にも政治的にもボローニャの中心地で、広場の南側はサン・
ペトロニオ(San Petronio)大聖堂。


 西から北にかけて市庁舎↑、北側にはインフォメーションセンターのあるポデスタ
(Podestà)館↓といった歴史的建造物に囲まれ、周辺にはレストランやカフェが並ぶ。

 ポデスタ館は、神聖ローマ帝国皇帝の任命した都市長官の住まいだったところ。フレデ
リック1世が任命してやってきた長官を、ボローニャ市民が1164年に追い出して自由
都市ボローニャが誕生し、市民は首長を選出して以後はそのオフィスとして機能したよう。

     
 市庁舎中央部のアーチにある銅像は、グレゴリウス暦採用で知られた第226代教皇グ
レゴーリオ(Gregorio)13世(1502~85)教皇で、ボローニャ出身だという。
         

 市庁舎とポデスタ館の間には、ネプチューン(Nettuno)の噴水がある。トップに立つのが
海を鎮めるために手を差し伸べる海の神、ネプチューンで、町の人からは「巨人ジガンテ」
と呼ばれている町のシンボルのよう。
     
 ピウス4世の法王選出を記念して、1563~66にジャン ボローニャにより制作され
たもの。ジャン ボローニャは、マニエリスム時代の最も偉大な彫刻家の一人で、ミケラン
ジェロに次ぐ巨匠と考えられているという。

 海を支配するネプチューンは教皇の世界支配を象徴し、基盤の4つ角は東西南北の四方
を表しているといい、基盤の周囲の人魚の胸からは水を噴き出している。


 南側のサン・ペトロニオ大聖堂は、14~17世紀にかけて建設された大理石とタイル
によるゴシック様式の建物で、今も未完成とのこと。

 高さ44m、横58m、奥行132mの堂々たる建物。

     
 中央入口を飾る彫刻は、初期ルネッサンスの傑作のひとつで、中央に聖母マリアとキリ
ストが、左右に聖ペトロニオと聖アンブロージョが守っているのだという。

     
 マッジョーレ広場から、東に向かって回廊を抜けたり細い通りなどを進む。
          


 途中にチーズやハムなどの専門店が並ぶ一角もあった。
    

 その先、二つの通りに挟まれた赤茶色の歴史を感じさせる建物が目につく。
     
 メルカンツィア(Mercanzia)宮殿で14世紀に税関として建築され、商業関係の争議
があると中央のバルコニーから裁判官が顔を出して判決を言い渡したとか。現在は商工会
議所として利用されているという。近くには、木製の回廊もあった。
     

 その角を北にすぐ、次の広場に面して2つの斜塔が立っている。ローマの道の一つ、エ
ミリア街道の旧市街入口という戦略的に重要な位置にあり、ボローニャの伝統的シンボル
のよう。

 12世紀にボローニャには100以上の塔がそびえ立っていたが、天災や戦争、戦時中
の道路拡幅などで破壊され、現在はそのうちの20が残っているとか。
     
 高くて傾きの大きいのがアシネッリ(Asinelli)の塔(97m)、低いのがガリセンダ
(Garisenda)の塔(47m)。

 12世紀にともに皇帝派だった貴族のもので、中世のイタリアを二分した皇帝派と教皇
派の争いはどれだけ高い砦(塔)を造るかであったという。

 高い方のアシネッリの塔には498段の階段で上ることができ、かなりの急階段だが上
がるとボローニャ市街が一望できるようだ。

     
 2つの塔の前には、ボローニャの守護聖人であるサン・ペトローニオの像が立っていた。
         


 再びマッジョーレ広場に戻る。市庁舎の壁面にたくさんの人の写真が並ぶ。第2次大戦
中のレジスタンスで犠牲になった2千名で、この町の近年の歴史を物語っている。
     

  
 ここで9時53分から10時15分までフリータイムとなる。今日は共和国建国記念日
で、1946年6月2日に実施された国民投票により王政を廃止し共和制国家が建国され
たことを記念する日。

 広場には大きなスクリーンが張られ、その前に軍人や在郷軍人らしい人などが行進して
集結し、相対して市や軍の幹部かと思われる人が並び、式典が始まろうとしていた。




     









 その一部をのぞき見しているうちに時間となり、バス乗り場に向かう。



 4階建て建物の2階中央の部屋の下に「グリエルモ マルコーニ」の表示があった。
    
 マルコーニはこの部屋に住んでいたようで、日本語ガイドのジャン カルロさんから説
明もあったが、メモしてないので詳細は忘れた。

 グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi・1874~1937)は、無線電信を発
明したことで知られるボローニャ生まれの発明家。1909年にはノーベル物理学賞を受
賞している。

     
 サン・フランチェスコ教会のそばからバスに乗り、10時32分に出発した。

 次の観光地、西北西に約100㎞のパルマに向かう。(続く)






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