第4日 2019年5月31日(金)
== パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(1/3・パドヴァ) ==
イタリア北東部、パドヴァの北郊にあるクラウン プラサ ホテル パドヴァにて5時40
分に起床した。3階の部屋から外を眺めると快晴である。6時50分からホテルのレスト
ランでバイキング朝食をした。
7時58分にホテルを出発して、パドヴァ市内の観光に向かう。今日の最高気温予想は
25℃とのこと。
パドヴァ(Padova)も、昨日回ったベローナやトレヴィーゾなどと同様ヴェネト州にあ
り、パダナ平野に位置する活気あふれる商工業の中心地。
周辺地域を含む人口は約21万人でパドヴァ県の県都であり、州都ヴェネツィアの西約
34㎞にある。
郊外に広がる農業の中心地であり、服飾、繊維、食品などが主要産業で、世界的な見本
市が開かれることでも知られ、1222年開設のパドヴァ大学はイタリアで2番目に古い
大学で、ガリレオ・ガリレイやダンテなどが教授を務めているという。
8時40分にパドヴァ中心街の北側、アレーナ市民公園のそばでバスを下りた。
待っていた英語ガイドのフティアーナさんに従い、緑豊富な公園を南へ進むと左手に見
えてきたのはスクロヴェーニ(Scrovegni)礼拝堂。
礼拝堂の場所が、古代ローマの競技場(アレーナ)跡に隣接しているので「アレーナ礼
拝堂」とも呼ばれ、堂内は1305年にスクロヴェーニが奉納した、ジョット・ディ・ボ
ンドーネが描いた西洋美術史上もっとも重要な一連のフレスコ絵画で覆われているという。
そばに銅像があるが、誰の像かは分からない。
公園を出て、トラムの走る通りに面してズッカーマン邸がある。
19世紀初めに起業家ズッカーマンのために建てられたもので、現在内部は現代彫刻や
装飾、貨幣や家具などの博物館になっているようだ。
その先には郵便局らしい建物があった。
さらに進んで城門をくぐり広場に出た。
その一角にあるカフェ・ペドロッキ(Pedrocci)に入る。
1831年創業の老舗カフェで、入口にライオン像がある。
2階はイタリア統一運動とファシズム時代の町の歴史を伝える小博物館のようだが、1
階の入口とカフェを少しだけのぞくに留める。
すぐ南西側には市庁舎↑があり、相対して建つパドヴァ大学前↓を通ってエルベ広場へ。
たくさんのテントに野菜や果物などの露店が並び、人出も多い。
広場の北西側の大きなアーチの目立つ建物は、この街の人々に最も親しまれサローネ
(Salone)とも呼ばれるラジョーネ(Ragione)宮。
パドヴァの行政府の法廷として1218~19年に建てられ、周囲を飾るアーチの続く
柱廊と竜骨状の屋根は1306年に改築されたとのこと。
2階の広いサロンには宗教と占星術を題材としたフレスコ画で飾られている。
1階のアーケードと柱廊には50以上の商店が並び、かつてはヨーロッパ最古の商業セ
ンターだったという。
1階の食料品店を見ながらアーケードを進み、広場のテントに並ぶたくさんの商店も眺
めながら進む。
壁面に宗教画が描かれた教会のような建物があるが、何なのか分からない。
エルベ広場から細い通りを南に向かって進み、イタリアでも最も有名な聖地というサン
タントニオ(S.Antoni)聖堂前へ。
パドヴァの聖人、サンタントニオの墓のために建てられたものとか。
正面はゴシック様式で、ビザンチン様式の8つのドームと尖塔も付いた回教寺院風な巨
大な聖堂で、1232年に着工し16世紀に完成したという。聖堂の正面は長さ37m、
高さ28mあるとか。
正面中央の入口↑から聖堂に入り内部を拝観したが、撮影は禁止なので、わずかの寄付
を納めてもらった日本語ガイドからその一部を紹介する(印刷品質はいまひとつ)。
大聖堂内部
聖人の墓とチャペル
聖アントニオの伝記から「欲深い男の心臓の奇跡」
同じ伝記の「溺死した女性を生き返らせる奇跡」
後光の礼拝堂が並ぶ部分
聖ヤコブ礼拝堂の十字架画の一部
本祭壇と内陣
その後、聖堂に接する修道院の5つある中庭に入り、回廊から堂内の建物などを眺める。
中庭のひとつには、樹齢200年というタイサンボクの古木が立っていた。
聖堂前の広場には、ガッタメラータ(Gattamelata)騎馬像がある。
ヴェネツィア共和国の傭兵隊長ガッタメラータの騎馬像で、傭兵隊長としてフィレンツ
ェ教皇庁に仕え、1434年にはヴェネツィア共和国下級司令官となり、ヴェネツィア防
衛やヴェローナの征服に成功するなどして総司令官にまで出世し、1443年パドヴァに
て没した人だという。
そばの、尖塔の立つ建物はサン・ジョルジョ礼拝堂で、1377年に建てられ内部は一
面フレスコ画で覆われているという。
サンタントニオ聖堂前から西南へと進んで、楕円形の広大な公園(広場)に行く。周囲
の一部には露店も並んでいた。
プラート・デッラ・ヴァッレ(Prato della Valle)で、古代にはローマ劇場があった
場所で、18世紀に建造されたよう。
緑豊富な公園の中央に堀が巡らされていて、彫刻が80点も縁取っている。
南東側には複数のドームのサンタ・ジョスティーナ(S.Giustina)大聖堂が望まれるが、
工事中のようで塀に囲まれていた。
これでパドヴァ観光を終えた。10時09分にバスは出発して次の観光地、南南西へ約
90㎞のフェラーラに向かう。(続く)
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== パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(1/3・パドヴァ) ==
イタリア北東部、パドヴァの北郊にあるクラウン プラサ ホテル パドヴァにて5時40
分に起床した。3階の部屋から外を眺めると快晴である。6時50分からホテルのレスト
ランでバイキング朝食をした。
7時58分にホテルを出発して、パドヴァ市内の観光に向かう。今日の最高気温予想は
25℃とのこと。
パドヴァ(Padova)も、昨日回ったベローナやトレヴィーゾなどと同様ヴェネト州にあ
り、パダナ平野に位置する活気あふれる商工業の中心地。
周辺地域を含む人口は約21万人でパドヴァ県の県都であり、州都ヴェネツィアの西約
34㎞にある。
郊外に広がる農業の中心地であり、服飾、繊維、食品などが主要産業で、世界的な見本
市が開かれることでも知られ、1222年開設のパドヴァ大学はイタリアで2番目に古い
大学で、ガリレオ・ガリレイやダンテなどが教授を務めているという。
8時40分にパドヴァ中心街の北側、アレーナ市民公園のそばでバスを下りた。
待っていた英語ガイドのフティアーナさんに従い、緑豊富な公園を南へ進むと左手に見
えてきたのはスクロヴェーニ(Scrovegni)礼拝堂。
礼拝堂の場所が、古代ローマの競技場(アレーナ)跡に隣接しているので「アレーナ礼
拝堂」とも呼ばれ、堂内は1305年にスクロヴェーニが奉納した、ジョット・ディ・ボ
ンドーネが描いた西洋美術史上もっとも重要な一連のフレスコ絵画で覆われているという。
そばに銅像があるが、誰の像かは分からない。
公園を出て、トラムの走る通りに面してズッカーマン邸がある。
19世紀初めに起業家ズッカーマンのために建てられたもので、現在内部は現代彫刻や
装飾、貨幣や家具などの博物館になっているようだ。
その先には郵便局らしい建物があった。
さらに進んで城門をくぐり広場に出た。
その一角にあるカフェ・ペドロッキ(Pedrocci)に入る。
1831年創業の老舗カフェで、入口にライオン像がある。
2階はイタリア統一運動とファシズム時代の町の歴史を伝える小博物館のようだが、1
階の入口とカフェを少しだけのぞくに留める。
すぐ南西側には市庁舎↑があり、相対して建つパドヴァ大学前↓を通ってエルベ広場へ。
たくさんのテントに野菜や果物などの露店が並び、人出も多い。
広場の北西側の大きなアーチの目立つ建物は、この街の人々に最も親しまれサローネ
(Salone)とも呼ばれるラジョーネ(Ragione)宮。
パドヴァの行政府の法廷として1218~19年に建てられ、周囲を飾るアーチの続く
柱廊と竜骨状の屋根は1306年に改築されたとのこと。
2階の広いサロンには宗教と占星術を題材としたフレスコ画で飾られている。
1階のアーケードと柱廊には50以上の商店が並び、かつてはヨーロッパ最古の商業セ
ンターだったという。
1階の食料品店を見ながらアーケードを進み、広場のテントに並ぶたくさんの商店も眺
めながら進む。
壁面に宗教画が描かれた教会のような建物があるが、何なのか分からない。
エルベ広場から細い通りを南に向かって進み、イタリアでも最も有名な聖地というサン
タントニオ(S.Antoni)聖堂前へ。
パドヴァの聖人、サンタントニオの墓のために建てられたものとか。
正面はゴシック様式で、ビザンチン様式の8つのドームと尖塔も付いた回教寺院風な巨
大な聖堂で、1232年に着工し16世紀に完成したという。聖堂の正面は長さ37m、
高さ28mあるとか。
正面中央の入口↑から聖堂に入り内部を拝観したが、撮影は禁止なので、わずかの寄付
を納めてもらった日本語ガイドからその一部を紹介する(印刷品質はいまひとつ)。
大聖堂内部
聖人の墓とチャペル
聖アントニオの伝記から「欲深い男の心臓の奇跡」
同じ伝記の「溺死した女性を生き返らせる奇跡」
後光の礼拝堂が並ぶ部分
聖ヤコブ礼拝堂の十字架画の一部
本祭壇と内陣
その後、聖堂に接する修道院の5つある中庭に入り、回廊から堂内の建物などを眺める。
中庭のひとつには、樹齢200年というタイサンボクの古木が立っていた。
聖堂前の広場には、ガッタメラータ(Gattamelata)騎馬像がある。
ヴェネツィア共和国の傭兵隊長ガッタメラータの騎馬像で、傭兵隊長としてフィレンツ
ェ教皇庁に仕え、1434年にはヴェネツィア共和国下級司令官となり、ヴェネツィア防
衛やヴェローナの征服に成功するなどして総司令官にまで出世し、1443年パドヴァに
て没した人だという。
そばの、尖塔の立つ建物はサン・ジョルジョ礼拝堂で、1377年に建てられ内部は一
面フレスコ画で覆われているという。
サンタントニオ聖堂前から西南へと進んで、楕円形の広大な公園(広場)に行く。周囲
の一部には露店も並んでいた。
プラート・デッラ・ヴァッレ(Prato della Valle)で、古代にはローマ劇場があった
場所で、18世紀に建造されたよう。
緑豊富な公園の中央に堀が巡らされていて、彫刻が80点も縁取っている。
南東側には複数のドームのサンタ・ジョスティーナ(S.Giustina)大聖堂が望まれるが、
工事中のようで塀に囲まれていた。
これでパドヴァ観光を終えた。10時09分にバスは出発して次の観光地、南南西へ約
90㎞のフェラーラに向かう。(続く)
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