3月8日(火)朝、思いがけず雪となった徳島県三好市の民宿岡田を出発して、四国霊場
中の最高所、標高910mにある66番雲辺寺(うんぺんじ)にお参りをして、県境の尾根から
香川県観音寺市に下りました。
67番大興寺を経て、観音寺市街の近くにある68番神恵院(じんねいん)と69番観音寺
を目指します。高松自動車道の下を通過して、国道11号の交差点の手前にあった、簡素な
「お遍路さんの休憩所」。

3月9日(水)は、観音寺市街の若松屋別館をスタートして、財田川沿いを進んで71番
本山寺(もとやまじ)を経て、72番弥谷寺(いやだにじ)に向かいます。標高220mにある
弥谷寺のふもとに、遍路さんのための「いやだに温泉足湯」が設けられていました。

この日は、まだ先が長いので足湯にはつからず、弥谷寺に上がりました。
弥谷寺境内で昼食を済ませ、別格霊場18番の海岸寺や、番外霊場佛母院(ぶつぼいん)
に詣で、県道217号を南へ、72番曼荼羅寺(まんだらじ)方面に向かいます。JR予讃線と
県道205号を横断した南側に出来ていた、ヘンロ小屋29号多度津・おかのやま。

ちょっとした高台にあるので、この後向かう73番出釈迦寺(しゅしゃかじ)の奥の院がある、
我拝師山などが望まれます。
翌3月10日(木)、72番曼荼羅寺のそばの門先屋旅館を出発、75番善通寺、76番金倉
寺(こんぞうじ)、77番道隆寺(どうりゅうじ)を経て、丸亀市内に入ります。丸亀の中心街に
近い、JR丸亀駅の南側の交差点近くにある、ヘンロ小屋丸亀城乾18号。丸亀の特産である
うちわを形取って、近畿大の歌 一洋教授がデザインしたものです。

3月11(金)は、午前中に高松市西郊の霊場を巡りました。最初に80番国分寺に参拝の
後、81番白峯寺(しろみねじ)を目指して国分寺の北側背後を走る稜線に向かって上ります。
標高380mで稜線を走る県道180号に出るのですが、そのすぐ下の斜面に設けられている
のがこの東屋(あずまや)です。

ひとしきり上りが続いた後なので、いつもここでひと息を入れました。南側眼下に、いまは
高松市に合併した旧国分寺町の家並みや、ため池、山並みなどが一望です。

山上の霊場である81番白峯寺と82番根香寺(ねごろじ)を経て、高松市街地の南方に
ある83番一宮寺(いちのみやじ)へ向かいました。JR予讃線の鬼無駅(きなし)近くを通過
し、本津川を渡った東側、飯田町の民家の一角が、飯田お遍路休憩所となっていました。

「おもてなしステーション」の看板もある、河野さんのお宅でした。

一宮寺の納経締め切り時刻に間に合うか心配だったので、外のベンチでちょっとだけ休ま
せていただきました。
この日は、高松市内のビジネスホテルに入り、テレビで東日本大震災の発生を知り、大変
驚きました。
3月12日(土)、屋島山上の84番屋島寺から85番八栗寺を経て、午後、さぬき市に入り
ます。86番志度寺(しどじ)のある志度の町並みの中ほど、さぬき市青少年交流プラザ前に、
新しい休憩所がありました。

この日も先を急ぎ、ここには寄らずに通過しました。
86番志度寺にお参りを済ませ、87番長尾寺に向かいます。長尾島であと1.5㎞ほどの、
鴨部川堤防沿いにある風通しのよい休憩所。ここも今回は通過です。

3月13日は結願(けちがん)の日、長尾寺そばの民宿ながお路(じ)をスタートして、88番
大窪寺を目指しました。県道3号から入った、平行する鴨部川沿いにある休憩所。

再び県道に出て前山ダムに向かって上がり、ダムの南側にある前山お遍路交流サロンへ。
歩き遍路が、大窪寺への結願前の最後に立ち寄るところ。ここで申請すれば、「四国遍路
大使任命書」がもらえます。私も第1598号をいただきました。

館内には、四国遍路に関する歴史的な資料や、写真、図表などが展示されています。

ゆっくりと休んで館内を観覧したあと、標高740m女体山を越えて正午過ぎに、無事88番
大窪寺に結願することが出来ました。
今回の3回目の遍路では、9回にわたって遍路道にある休憩所を紹介しましたが、前回ま
でに無かったところに、たくさん休憩所が設けられていました。歩き遍路にとっては大変あり
がたいことです。ご尽力いただいた皆さんに、心から感謝申し上げます。
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中の最高所、標高910mにある66番雲辺寺(うんぺんじ)にお参りをして、県境の尾根から
香川県観音寺市に下りました。
67番大興寺を経て、観音寺市街の近くにある68番神恵院(じんねいん)と69番観音寺
を目指します。高松自動車道の下を通過して、国道11号の交差点の手前にあった、簡素な
「お遍路さんの休憩所」。

3月9日(水)は、観音寺市街の若松屋別館をスタートして、財田川沿いを進んで71番
本山寺(もとやまじ)を経て、72番弥谷寺(いやだにじ)に向かいます。標高220mにある
弥谷寺のふもとに、遍路さんのための「いやだに温泉足湯」が設けられていました。

この日は、まだ先が長いので足湯にはつからず、弥谷寺に上がりました。
弥谷寺境内で昼食を済ませ、別格霊場18番の海岸寺や、番外霊場佛母院(ぶつぼいん)
に詣で、県道217号を南へ、72番曼荼羅寺(まんだらじ)方面に向かいます。JR予讃線と
県道205号を横断した南側に出来ていた、ヘンロ小屋29号多度津・おかのやま。

ちょっとした高台にあるので、この後向かう73番出釈迦寺(しゅしゃかじ)の奥の院がある、
我拝師山などが望まれます。
翌3月10日(木)、72番曼荼羅寺のそばの門先屋旅館を出発、75番善通寺、76番金倉
寺(こんぞうじ)、77番道隆寺(どうりゅうじ)を経て、丸亀市内に入ります。丸亀の中心街に
近い、JR丸亀駅の南側の交差点近くにある、ヘンロ小屋丸亀城乾18号。丸亀の特産である
うちわを形取って、近畿大の歌 一洋教授がデザインしたものです。

3月11(金)は、午前中に高松市西郊の霊場を巡りました。最初に80番国分寺に参拝の
後、81番白峯寺(しろみねじ)を目指して国分寺の北側背後を走る稜線に向かって上ります。
標高380mで稜線を走る県道180号に出るのですが、そのすぐ下の斜面に設けられている
のがこの東屋(あずまや)です。

ひとしきり上りが続いた後なので、いつもここでひと息を入れました。南側眼下に、いまは
高松市に合併した旧国分寺町の家並みや、ため池、山並みなどが一望です。

山上の霊場である81番白峯寺と82番根香寺(ねごろじ)を経て、高松市街地の南方に
ある83番一宮寺(いちのみやじ)へ向かいました。JR予讃線の鬼無駅(きなし)近くを通過
し、本津川を渡った東側、飯田町の民家の一角が、飯田お遍路休憩所となっていました。

「おもてなしステーション」の看板もある、河野さんのお宅でした。

一宮寺の納経締め切り時刻に間に合うか心配だったので、外のベンチでちょっとだけ休ま
せていただきました。
この日は、高松市内のビジネスホテルに入り、テレビで東日本大震災の発生を知り、大変
驚きました。
3月12日(土)、屋島山上の84番屋島寺から85番八栗寺を経て、午後、さぬき市に入り
ます。86番志度寺(しどじ)のある志度の町並みの中ほど、さぬき市青少年交流プラザ前に、
新しい休憩所がありました。

この日も先を急ぎ、ここには寄らずに通過しました。
86番志度寺にお参りを済ませ、87番長尾寺に向かいます。長尾島であと1.5㎞ほどの、
鴨部川堤防沿いにある風通しのよい休憩所。ここも今回は通過です。

3月13日は結願(けちがん)の日、長尾寺そばの民宿ながお路(じ)をスタートして、88番
大窪寺を目指しました。県道3号から入った、平行する鴨部川沿いにある休憩所。

再び県道に出て前山ダムに向かって上がり、ダムの南側にある前山お遍路交流サロンへ。
歩き遍路が、大窪寺への結願前の最後に立ち寄るところ。ここで申請すれば、「四国遍路
大使任命書」がもらえます。私も第1598号をいただきました。

館内には、四国遍路に関する歴史的な資料や、写真、図表などが展示されています。

ゆっくりと休んで館内を観覧したあと、標高740m女体山を越えて正午過ぎに、無事88番
大窪寺に結願することが出来ました。
今回の3回目の遍路では、9回にわたって遍路道にある休憩所を紹介しましたが、前回ま
でに無かったところに、たくさん休憩所が設けられていました。歩き遍路にとっては大変あり
がたいことです。ご尽力いただいた皆さんに、心から感謝申し上げます。


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