あるきメデス

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国分寺・小金井・小平の緑陰を歩く(東京)

2011-07-06 21:12:11 | 江戸・東京を歩く
 2011年7月3日(日)

 梅雨の中休みで少し蒸し暑いこの日、カントリーウオークグループの第185回例会に参加した。
暑さを避けて、いつもより1時間早くJR中央線・武蔵野線の西国分寺駅に集合し、9時10分に駅
を出た。
 
 ==武藏国分寺からお鷹の道を経て殿ヶ谷戸庭園へ==


 武蔵野線に沿って線路西側を南下、新しいマンションに沿ってりっぱな街路樹が続く。縄文時代
の竪穴住居を復元した武蔵台遺跡公園を抜けて、西元町四丁目へ。


 豊富な緑陰が残る旧鎌倉街道の切り通しを下ると、武蔵国分尼寺跡。奈良時代中期、聖武天皇
の命により、国分寺とともに建立されたところ。

 金堂の石の基礎や復元された塀があり、一帯は国分寺市立歴史公園となっている。

 JR武蔵野線のガードを東に抜け、平行する府中街道を横断する。国分寺市立四中校舎の西隅
に、文化財資料展示室があったので、入館して発掘品などを観覧した。

 すぐ東が武蔵国分僧寺(こくぶんそうじ)跡。金堂や講堂、鐘楼跡などの草地が広がり、ところど
ころにケヤキなどの大木が大きく枝を広げている。


 北に回って楼門をくぐり、現存の国分寺境内に入った。

 正面に1733年に建立された本堂があり、その周囲は万葉植物園になっていて、万葉集に読まれた
草木がたくさん植え込まれ、各々に万葉集の歌が記されていた。


 本堂の西側斜面には、うっそうとした樹木に囲まれて仁王門と薬師堂が立っている。


 「お鷹の道」と呼ぶきれいなせせらぎに沿って東に少しで、武蔵国分寺資料館がある。そばの「史跡
の駅おたカフェ」でチケットを求め、長屋門から館内に入った。

 西側には「国分寺崖線(がいせん)」と呼ぶ武蔵野段丘の斜面下から流れ出す湧水源がある。竹や
ぶや古木の柿など豊富な樹木に囲まれた一角に立つ資料館には、この周辺の遺跡からの出土品や、
武蔵国分寺の模型などが展示されていた。


 その先、崖線下の弁天様を祭った湧水の池は「真姿の池(ますがたのいけ)」と呼ばれ、「全国名水
百選」と「東京の名湧水57選」に選定されている。



 そばの農家では、自作の農産物を直売していた。蒸し暑くなってきたので、涼を求めて湧水に入る幼
児やワンちゃんもいる。

 東元町三丁目の住宅地を進み、交通量の多い都道145号に出る。国分寺駅に向かって緩やかに上
がり、駅のそばにある国名勝の殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園に11時半に入る。

 緑の豊富な園内、東側にある紅葉亭と呼ぶ東屋に入り、昼食にした。

 殿ヶ谷戸庭園は、大正2年(1913)から4年にかけて造られた、後の満鉄副総裁江口定條氏の別邸。
その後三菱財閥の岩崎彦弥太氏に買い取られ、昭和49年(1974)に東京都が買収したとのこと。

 国分寺崖線の南の縁にあり、武蔵野台地と崖線の自然が良好な状態で保存されていて、四季それぞ
れに多くの花に彩られる。いまは、ナデシコやギボウシなどの花が見られ、あちこちにあるモミジの新緑
の彩りも気持ちよい。

 ==二つの大学を抜けて玉川上水緑道へ==

 昼食後、崖線からの湧水を集めた次郎弁天池に下り、竹林やハギのトンネル、大芝生地など園内を一
周し、記念撮影をして12時40分に出発した。


 かなり日差しが増え、午後の太陽が蒸し暑い。都道145号を南町二丁目まで進み、その先200mほど
で左折する。JR中央線の線路近くまで進んで、東京経済大の正門を入った。

 構内は、正門前の桜並木をはじめ樹木が豊富。校舎の間を東に下って行くと、崖線下の緑陰に新二郎
池があった。1957年から11年間在職の、北沢新二郎学長の時代に池として整備したという。

 ここも「東京の名湧水57選」に選定されているようだが、この時期の湧水は少ないようで、水はほとんど
無い。さらに続く緑陰の土道を南に進み、大学構内を抜けた。

 崖線下の道を東へ進むと朱塗りの橋があり、その奥に貫井神社の社殿が立っている。創立は天正18
年(1590)、境内にも湧水があり、当初は貫井弁財天と呼ばれていたという。


 弁天池の岩の上で、たくさんのカメが甲羅を干していた。東に隣接して、真明寺が並んでいる。

 さらに東へ、都道248号に出て、貫井トンネルの上を越える遊歩道に上がり、「はけうえ遺跡」の案内板
の立つ緑陰で小休止する。周辺からは、旧石器時代の異なる生活面や、縄文早期の縦穴住居跡などが
発見されたという。

 小金井警察署のある、都道134号との交差点に出て右折し、うっそうとした木々に覆われた南側の滄浪
(そうろう)泉園に入る。

 明治・大正期に三井銀行の役員や衆議院議員を歴任した、波多野承五郎の別荘跡。現在は約3分の1
になったというが、それでも約12,000㎡あり、武蔵野の面影をとどめる樹林に覆われている。

 ここも国分寺崖線に面し、崖下の池のほとりから湧水が出ている。

池のほとりを一周すると、「おだんご地蔵」と呼ぶ正徳3年(1713)の地蔵と、寛文6六年(1666)に祭ら
れた小金井市で最古という「鼻欠け地蔵」が立っていた。


 都道134号を西へ、高架となったJR中央線下を北に抜けた少し先に、色鮮やかなヤマモモがたくさん実
をつけている。


 桜並木の道を北に向かい、東京学藝大小金井キャンパスに入った。


 校門前にヤマユリが咲き、広い構内は松やケヤキなど、豊富な樹木が枝を伸び伸びと広げている。陸上
競技場と野球場の間から、北側の車道に抜けた。


 やはり校内にうっそうとした緑陰の残る東京サレジオ学園の横を進んで、上水南町三丁目の北側で玉川
上水緑道へ。

 ところどころにノカンゾウの咲く緑道は、広葉樹の緑陰が続き、午後の蒸し暑い日差しを和らげてくれる。
上水の流量はいまは少な目だが、流れにはコイの泳ぐのが見下ろせ、深い堀割りから往時の豊富な流れが
しのばれる。


 中ほどで西武多摩湖線を横断し、その先は歩きやすい土の道となる。一橋大や津田塾大の南側を通過し、
小平中央公園を抜けて、16時18分に西武国分寺線の鷹の台駅にゴールした。

(参加 16人、天気 曇一時晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市、小金井市、
 小平市、歩数 22.5000)


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