2011年7月17日(日)
梅雨明け以来1週間余り、首都圏は連日猛暑が続くが、今日は、カタツムリ歩行の第206回
例会に参加した。
集合地は、西武池袋線の大泉学園駅、10時5分にスタートする。駅北口に立つ高層のビル。
こちらは商業ビルのようだが、線路を挟んで南口にも同じ名の、マンションらしい高層ビルも
あった。
線路の下を南北に抜ける道路の上を通過して、北西に延びる細い商店街を進み、北側にある
北野神社へ。
境内左手に、「ねりまの名木」に選定されているムクロジの大木が立っていた。樹高14m、幹
の太さ1.6mとのこと。
北野神社は、江戸時代は「土支田村(どしだむら)の番神様(ばんじんさま)」と呼ばれ、村人の
崇敬を集めていたとか。
ちなみに番神様とは、法華宗(現在の日蓮宗)独特の三十番信仰のことで、神仏混交時代に
1か月30日を神々が毎日交代で守護するということのよう。
明治政府は、神仏習合の思想を禁止し三十番神の名勝を廃止させ、以後、北野神社となった
という。
三十番信仰については、先月のカタツムリ歩行で歩いた、隣の保谷駅近くの寺にもそのことが
記されていた。
境内にはりっぱなケヤキが多く、大きなイチョウもあり、駅の近くながらよい緑陰が残されている。
神社の西に出て、住宅地を北に進んで白子川の流れに出た。川は3面とも護岸されているが、
流れはきれいで、水草がいっぱい茂っている。
流れに沿って付けられた道を下流の次の橋、中島橋のところまで進む。橋の南側に、古い豆腐
屋の看板が出ていたが、すでに閉店していた。
看板の電話番号を見ると、東京の市内局番が3桁(現在は4桁)の時代のものだ。
橋の北側を東西に走る「したみち通り」に入って右折すると、すぐに公園があり、「練馬区登録
史跡 旧大泉村役場跡」の標識が立っていた。
さらに100mほどのところには小泉牧場があり、ホルスタイン牛がたくさん、暑さを避けて牛舎
に入っている。
駅から直線なら500mほどのところ、周辺は住宅地に囲まれ、近くには大泉小のあるこのよう
な場所に牧場が残っているとは。
道路際に、練馬区の保存樹木になっているイチョウが数本あり、その木陰に椅子が並んでいた
ので借用し、水分補給をした。
さて次に向かおうかと立ち上がり、来たときに不在だった道路の北側にある小泉牧場の小屋を
のぞいたら、牧場主の小泉與七さんが居られた。4時に起きて牛の世話をした後、ひと眠りして
いたとのこと。
牧場の牛乳で造ったアイスクリームを販売しているというので、椅子のところに戻り、小泉さん
のお話を伺いながらいただく。
この地に牧場を開設されたのは、岩手県田老町出身のお父さんで、昭和10年(1935)との
こと。お父さんは東京の大学で学んだ後、郷里に戻る予定だったが、昭和8年3月の三陸大地震
で郷里が被災したのであきらめ、ここに牧場をつくられたという。
それを小泉さんが引き継ぎ、現在は3代目のお子さんとともに経営を続けておられ、東京23区
に残る唯一の牧場とのこと。
現在の敷地は約800坪あり、44~45頭の乳牛を飼育されているという。近年の都市化に伴
い、近隣からの苦情などでご苦労されたようだが、ご自身は、大学で学んだことなどを生かして、
区や学校など地元との強調を図られ、「苦労はなかった」と明るい表情で話された。
後列、左から2人目が小泉さん。
都市部での牧場経営者ということで、多方面から取材を受けておられ、朝日新聞の「日曜ナント
カ学」など、掲載された紙面を何点か見せていただく。
NHKラジオの「ラジオ深夜便」の「心の時代」などにも出演されたとのこと。シンポジウムに参加
されたときの、堀田 力さんとの出会いが、忘れられないとも言われた。
道路際には、地下20mから汲み上げているという自家用の水道があり、飲んでみたらまろやか
な味わいだった。この地は、東京23区でも最後、昭和50年代後半に水道が引かれたとのこと。
いろいろ話を伺っているうちに1時間も経過したので、この後は寄り道せずに、ゴールに直行する
ことにする。
近くの民家の壁面に咲く花、ルリマツリという花のよう(コメント参照)。
再び白子川沿いに出て北東に進む。浅い流れにはカモが泳いでいた。
駅前から伸びる大泉学園通りと交差して、川を離れる。通りにあった真珠園を呼ぶ花屋の温室前
には、きれいな花が咲き競う。
隣のJA東京あおばの、「こぐれ村」と呼ぶ建物前にも、草花の鉢が並んでいた。
北園交差点の三差路を右折して、都道24号を東へ、交差点際の居酒屋の入口横には、鉢植えの
植物が涼しげに吊されている。
すぐ先の三差路で左の細い通りに入ると、和菓子店があり、地元特産の練馬大根をあしらった、よ
うかんやまんじゅう、最中(もなか)などを販売していた。
緑の多い住宅地の中には、珍しい棚からスイカの下がったお宅もある。
今日のゴール、大泉氷川神社には12時5分に裏手から入る。社殿は鉄筋コンクリート造り。武藏
一の宮の氷川神社(さいたま市大宮区)を勧請したものだが、創立年月は定かではなく、明治7年
(1874)には当時の橋戸村の村社となったという。
白子川を望む高台にあり、緑に包まれた境内、手水舎のそばで昼食をしたが、先着しているはず
の皆さんの姿が見えないのが不思議だ。
食事を終える頃、Sさんが来られ、先着した何人かが食事をしていたところ、お宮参りの奉祀を終
えた神主さんから、ここで食事をするとは何事かと言われたとのこと。皆さんは、近くのびくに公園
に移って食事をされたとのことだった。
私たち7人は裏手から入ったので、そのことを知らずに食事をしたのだった。南側の都道24号に
下り、びくに公園に向かう。
東京外環自動車道と関越自動車道とが交差する大泉ICの南側に、びくに公園の森が広がっている。
斜面林の下に小さい流れがあり、ホタルの生息地にもなっていた。斜面林の上に上がり、広場の木
陰で今日のミーティングをする。
今日参加の山浦敬子さんは、7月20日に出発して、12月下旬までデンマークの全寮制の国民高等
学校に入られ、カルチャー教育を受講されるとのこと。帰国後の経験談を伺うのが楽しみ。
木陰でも35度前後かと思われる猛暑はきつかったが、小泉牧場での小泉さんとの素晴らしい出会い
に恵まれ、歩いたのはわずかの距離ながら、充実したウオークだった。
帰路は、白子川沿いを南西に進み、東映撮影所の東側を経て大泉通りへ。昭和30年代(1955~)
を思わせる、こんな店も残っていた。
駅の近くの店に入って冷たい飲物で涼をとり、15時近く、大泉学園駅から帰路につく。
(天気 快晴、 距離 4.5㎞(ゴールから駅までを含む)、地図(1/2.5万) 吉祥寺、志木、
歩行地 練馬区、歩数 7800)
小泉牧場を紹介したWeb page もご覧下さい。
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梅雨明け以来1週間余り、首都圏は連日猛暑が続くが、今日は、カタツムリ歩行の第206回
例会に参加した。
集合地は、西武池袋線の大泉学園駅、10時5分にスタートする。駅北口に立つ高層のビル。
こちらは商業ビルのようだが、線路を挟んで南口にも同じ名の、マンションらしい高層ビルも
あった。
線路の下を南北に抜ける道路の上を通過して、北西に延びる細い商店街を進み、北側にある
北野神社へ。
境内左手に、「ねりまの名木」に選定されているムクロジの大木が立っていた。樹高14m、幹
の太さ1.6mとのこと。
北野神社は、江戸時代は「土支田村(どしだむら)の番神様(ばんじんさま)」と呼ばれ、村人の
崇敬を集めていたとか。
ちなみに番神様とは、法華宗(現在の日蓮宗)独特の三十番信仰のことで、神仏混交時代に
1か月30日を神々が毎日交代で守護するということのよう。
明治政府は、神仏習合の思想を禁止し三十番神の名勝を廃止させ、以後、北野神社となった
という。
三十番信仰については、先月のカタツムリ歩行で歩いた、隣の保谷駅近くの寺にもそのことが
記されていた。
境内にはりっぱなケヤキが多く、大きなイチョウもあり、駅の近くながらよい緑陰が残されている。
神社の西に出て、住宅地を北に進んで白子川の流れに出た。川は3面とも護岸されているが、
流れはきれいで、水草がいっぱい茂っている。
流れに沿って付けられた道を下流の次の橋、中島橋のところまで進む。橋の南側に、古い豆腐
屋の看板が出ていたが、すでに閉店していた。
看板の電話番号を見ると、東京の市内局番が3桁(現在は4桁)の時代のものだ。
橋の北側を東西に走る「したみち通り」に入って右折すると、すぐに公園があり、「練馬区登録
史跡 旧大泉村役場跡」の標識が立っていた。
さらに100mほどのところには小泉牧場があり、ホルスタイン牛がたくさん、暑さを避けて牛舎
に入っている。
駅から直線なら500mほどのところ、周辺は住宅地に囲まれ、近くには大泉小のあるこのよう
な場所に牧場が残っているとは。
道路際に、練馬区の保存樹木になっているイチョウが数本あり、その木陰に椅子が並んでいた
ので借用し、水分補給をした。
さて次に向かおうかと立ち上がり、来たときに不在だった道路の北側にある小泉牧場の小屋を
のぞいたら、牧場主の小泉與七さんが居られた。4時に起きて牛の世話をした後、ひと眠りして
いたとのこと。
牧場の牛乳で造ったアイスクリームを販売しているというので、椅子のところに戻り、小泉さん
のお話を伺いながらいただく。
この地に牧場を開設されたのは、岩手県田老町出身のお父さんで、昭和10年(1935)との
こと。お父さんは東京の大学で学んだ後、郷里に戻る予定だったが、昭和8年3月の三陸大地震
で郷里が被災したのであきらめ、ここに牧場をつくられたという。
それを小泉さんが引き継ぎ、現在は3代目のお子さんとともに経営を続けておられ、東京23区
に残る唯一の牧場とのこと。
現在の敷地は約800坪あり、44~45頭の乳牛を飼育されているという。近年の都市化に伴
い、近隣からの苦情などでご苦労されたようだが、ご自身は、大学で学んだことなどを生かして、
区や学校など地元との強調を図られ、「苦労はなかった」と明るい表情で話された。
後列、左から2人目が小泉さん。
都市部での牧場経営者ということで、多方面から取材を受けておられ、朝日新聞の「日曜ナント
カ学」など、掲載された紙面を何点か見せていただく。
NHKラジオの「ラジオ深夜便」の「心の時代」などにも出演されたとのこと。シンポジウムに参加
されたときの、堀田 力さんとの出会いが、忘れられないとも言われた。
道路際には、地下20mから汲み上げているという自家用の水道があり、飲んでみたらまろやか
な味わいだった。この地は、東京23区でも最後、昭和50年代後半に水道が引かれたとのこと。
いろいろ話を伺っているうちに1時間も経過したので、この後は寄り道せずに、ゴールに直行する
ことにする。
近くの民家の壁面に咲く花、ルリマツリという花のよう(コメント参照)。
再び白子川沿いに出て北東に進む。浅い流れにはカモが泳いでいた。
駅前から伸びる大泉学園通りと交差して、川を離れる。通りにあった真珠園を呼ぶ花屋の温室前
には、きれいな花が咲き競う。
隣のJA東京あおばの、「こぐれ村」と呼ぶ建物前にも、草花の鉢が並んでいた。
北園交差点の三差路を右折して、都道24号を東へ、交差点際の居酒屋の入口横には、鉢植えの
植物が涼しげに吊されている。
すぐ先の三差路で左の細い通りに入ると、和菓子店があり、地元特産の練馬大根をあしらった、よ
うかんやまんじゅう、最中(もなか)などを販売していた。
緑の多い住宅地の中には、珍しい棚からスイカの下がったお宅もある。
今日のゴール、大泉氷川神社には12時5分に裏手から入る。社殿は鉄筋コンクリート造り。武藏
一の宮の氷川神社(さいたま市大宮区)を勧請したものだが、創立年月は定かではなく、明治7年
(1874)には当時の橋戸村の村社となったという。
白子川を望む高台にあり、緑に包まれた境内、手水舎のそばで昼食をしたが、先着しているはず
の皆さんの姿が見えないのが不思議だ。
食事を終える頃、Sさんが来られ、先着した何人かが食事をしていたところ、お宮参りの奉祀を終
えた神主さんから、ここで食事をするとは何事かと言われたとのこと。皆さんは、近くのびくに公園
に移って食事をされたとのことだった。
私たち7人は裏手から入ったので、そのことを知らずに食事をしたのだった。南側の都道24号に
下り、びくに公園に向かう。
東京外環自動車道と関越自動車道とが交差する大泉ICの南側に、びくに公園の森が広がっている。
斜面林の下に小さい流れがあり、ホタルの生息地にもなっていた。斜面林の上に上がり、広場の木
陰で今日のミーティングをする。
今日参加の山浦敬子さんは、7月20日に出発して、12月下旬までデンマークの全寮制の国民高等
学校に入られ、カルチャー教育を受講されるとのこと。帰国後の経験談を伺うのが楽しみ。
木陰でも35度前後かと思われる猛暑はきつかったが、小泉牧場での小泉さんとの素晴らしい出会い
に恵まれ、歩いたのはわずかの距離ながら、充実したウオークだった。
帰路は、白子川沿いを南西に進み、東映撮影所の東側を経て大泉通りへ。昭和30年代(1955~)
を思わせる、こんな店も残っていた。
駅の近くの店に入って冷たい飲物で涼をとり、15時近く、大泉学園駅から帰路につく。
(天気 快晴、 距離 4.5㎞(ゴールから駅までを含む)、地図(1/2.5万) 吉祥寺、志木、
歩行地 練馬区、歩数 7800)
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