首都圏は午後から久しぶりの雨、いまはわが家周辺では雪になりました。明日
朝には、この冬初めての積雪となりそうです。
暖かだった1月最後の日曜日、きのう1月31日(日)は、カントリーウオーク
グループの有志で、東京下町ウオークをして、江戸の名残の地などを巡りました。
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2010年1月31日(日)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/42/11.421,139/46/17.071&scale=70000)
JR御茶ノ水駅の聖橋(ひじりばし)際前に集まったメンバー15人は、10時4
分にスタートする。
南へ下り、ニコライ堂の下を過ぎて、東側の神田淡路町に入った。通りの両側
には、名の知られた病院や医院が幾つかある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/0e/d09e8a64e2b008d4f60c9e4ad7e8c68a.jpg)
さらに進んで、老舗のそば屋や料理店などの建物の残る一角を過ぎ、旧交通博物
館前まで行って線路側を折り返して昌平橋を渡る。橋の欄干にカモメが羽を休めて
いた。
神田川左岸沿いを緩やかに上がって湯島聖堂に入った。元禄3年(1690)、5代
将軍綱吉が、上野の孔子廟を移し、漢学の府としたところ。
のち昌平坂学問所が設けられ、これが東京大学の前身となったという。
広い敷地の西側にある孔子像。背後の大イチョウは、枝を大きく広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/e7/fc34f27268aea990e4e365716d2c20ad.jpg)
入母屋造りの大成殿に上がる大きな鴟尾(しび)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/67/eabe68b8cc35420c47e3bdeff47af8ac.jpg)
聖橋の北側に出て、本郷通りから国道17号に回って近くの神田明神へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/05/2c10bfe312a6423cbd8e428f212eb486.jpg)
天平2年(730)創建と伝えられる古社。江戸時代の神田祭は、江戸城内に
入った山車を将軍がご覧になるので、天下祭りとして有名だったという。
きらびやかな山門を入った社殿前の広場では、11時半から伊勢大神楽の奉
納があるとか。いすに座って待つ人もいた。
社殿の西側から北側に幾つもある摂社を見ながら回り、北側の急階段を下り、
湯島3丁目に入って立瓜坂を上がる。
通りのそばに、古いポンプが残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/6b/29020dcd9f63a48922acc22fafaee523.jpg)
ひとつ西の通りに出て、突き当たりが湯島天神。今日もかなりの人出である。
遅れてきたTさんが、ここで待っていて合流した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d2/0872ded910f7057eefad036c18a2c0e3.jpg)
湯島天神は文和4年(1355)、湯島の郷人が菅原道真を祭り、のち文明10
年(1478)、太田道灌が再興したという。
学問の神とあり、受験生による合格祈願のお札が何重にも納められていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/dc/02e1729d13a18ee02caaa9b96a51a391.jpg)
梅の名所としても知られているが、梅園の梅は、まだ咲いている木はわずか
だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/1c/c72877c0affddff173e34abc960dd053.jpg)
北側の春日通に出て西へ少しで、麟院(りんしょういん)がある。
嘉永元年(1624)、徳川3代将軍家光の母、春日局(かすがのつぼね)が
再建し、65歳で没するまで20年の余生を送ったところとか。
広い境内には樹木が多く、都心とは思えぬ静かなたたずまい。この周辺は
何度も歩いているが、この寺のことは知らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/dd/23e7250ddfa9c5ddfbe33d5eabcb2869.jpg)
境内の西北の隅に、春日局の墓がある。墓の中央に丸い穴があるが、局が
「黄泉(よみ)の国からこの世を見通せる墓をつくるように」と遺言したことから
だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/1d/92120e98238dc9bb31bbb793dfb20d91.jpg)
寺の背後に向かって、細い路地を鍵の手のよう縫って進み、文京区総合体育
館の横を過ぎる。この体育館のプールには、土曜半ドンの頃、仕事を終えた午
後、よく通って泳いだことを思い出す。
その通りを北に突き当たったところに、東京大学の鉄門がある。狭い門から
東大構内に入った。
ちょうど正午になったので、構内で昼食をすることにした。近くの東大病院の
建物の地階にあったコンビニで弁当を買い、そばのベンチで食べる。
昼食を終えて病院の表側に回ると、建物の上部にあるデザインが目に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/de/068e61ccb9f1e58e8061de7e0f91dd74.jpg)
近くの広場には、明治初期にドイツから来日し、わが国内科学の基礎を築い
たベルツと、外科学の基礎を築いたスクリバの像が並んでいた。
グランドと剣道部の間から、構内の中心にある三四郎池に回る。もと加賀藩
前田家の上屋敷に築造された育徳園の園池で、夏目漱石の小説「三四郎」の
主人公が、よくここを散策したことから、名づけられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b4/a9daf28f574cbdf289b033aa8ebecb74.jpg)
安田講堂や理学部、工学部などの建物の横を回り、北側の弥生門で東大を
出た。
近くには、竹久夢二美術館を併設する弥生美術館があるが、入館はせずに
通過して不忍池に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b7/dbf5c97f77d67e5a07ded2022748192c.jpg)
少し先の建設業者の建物内に、珍しいものを見つけた。1964年の東京オリ
ンピックの時の台東区上野観光連盟の看板である。どこに掲げられていたのだ
ろうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/6c/418fbf097e3061c55bffd724f9cf12ec.jpg)
不忍通(しのばずどおり)に出て横断、不忍池のボート池の北側を回る。
池のほとりの柳が、かすかにふくらんでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f1/e5c12196f8d45029fe63322405ec6511.jpg)
池の中ほどにある弁天島に入り、弁天堂に参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/22/886301298a82ed901b8e55f75131261c.jpg)
アシの茂る池に泳ぐ、たくさんのカモやユリカモメなどを眺め、上野公園に
向かった。 (続く)
朝には、この冬初めての積雪となりそうです。
暖かだった1月最後の日曜日、きのう1月31日(日)は、カントリーウオーク
グループの有志で、東京下町ウオークをして、江戸の名残の地などを巡りました。
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2010年1月31日(日)
JR御茶ノ水駅の聖橋(ひじりばし)際前に集まったメンバー15人は、10時4
分にスタートする。
南へ下り、ニコライ堂の下を過ぎて、東側の神田淡路町に入った。通りの両側
には、名の知られた病院や医院が幾つかある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/0e/d09e8a64e2b008d4f60c9e4ad7e8c68a.jpg)
さらに進んで、老舗のそば屋や料理店などの建物の残る一角を過ぎ、旧交通博物
館前まで行って線路側を折り返して昌平橋を渡る。橋の欄干にカモメが羽を休めて
いた。
神田川左岸沿いを緩やかに上がって湯島聖堂に入った。元禄3年(1690)、5代
将軍綱吉が、上野の孔子廟を移し、漢学の府としたところ。
のち昌平坂学問所が設けられ、これが東京大学の前身となったという。
広い敷地の西側にある孔子像。背後の大イチョウは、枝を大きく広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/e7/fc34f27268aea990e4e365716d2c20ad.jpg)
入母屋造りの大成殿に上がる大きな鴟尾(しび)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/67/eabe68b8cc35420c47e3bdeff47af8ac.jpg)
聖橋の北側に出て、本郷通りから国道17号に回って近くの神田明神へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/05/2c10bfe312a6423cbd8e428f212eb486.jpg)
天平2年(730)創建と伝えられる古社。江戸時代の神田祭は、江戸城内に
入った山車を将軍がご覧になるので、天下祭りとして有名だったという。
きらびやかな山門を入った社殿前の広場では、11時半から伊勢大神楽の奉
納があるとか。いすに座って待つ人もいた。
社殿の西側から北側に幾つもある摂社を見ながら回り、北側の急階段を下り、
湯島3丁目に入って立瓜坂を上がる。
通りのそばに、古いポンプが残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/6b/29020dcd9f63a48922acc22fafaee523.jpg)
ひとつ西の通りに出て、突き当たりが湯島天神。今日もかなりの人出である。
遅れてきたTさんが、ここで待っていて合流した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d2/0872ded910f7057eefad036c18a2c0e3.jpg)
湯島天神は文和4年(1355)、湯島の郷人が菅原道真を祭り、のち文明10
年(1478)、太田道灌が再興したという。
学問の神とあり、受験生による合格祈願のお札が何重にも納められていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/dc/02e1729d13a18ee02caaa9b96a51a391.jpg)
梅の名所としても知られているが、梅園の梅は、まだ咲いている木はわずか
だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/1c/c72877c0affddff173e34abc960dd053.jpg)
北側の春日通に出て西へ少しで、麟院(りんしょういん)がある。
嘉永元年(1624)、徳川3代将軍家光の母、春日局(かすがのつぼね)が
再建し、65歳で没するまで20年の余生を送ったところとか。
広い境内には樹木が多く、都心とは思えぬ静かなたたずまい。この周辺は
何度も歩いているが、この寺のことは知らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/dd/23e7250ddfa9c5ddfbe33d5eabcb2869.jpg)
境内の西北の隅に、春日局の墓がある。墓の中央に丸い穴があるが、局が
「黄泉(よみ)の国からこの世を見通せる墓をつくるように」と遺言したことから
だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/1d/92120e98238dc9bb31bbb793dfb20d91.jpg)
寺の背後に向かって、細い路地を鍵の手のよう縫って進み、文京区総合体育
館の横を過ぎる。この体育館のプールには、土曜半ドンの頃、仕事を終えた午
後、よく通って泳いだことを思い出す。
その通りを北に突き当たったところに、東京大学の鉄門がある。狭い門から
東大構内に入った。
ちょうど正午になったので、構内で昼食をすることにした。近くの東大病院の
建物の地階にあったコンビニで弁当を買い、そばのベンチで食べる。
昼食を終えて病院の表側に回ると、建物の上部にあるデザインが目に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/de/068e61ccb9f1e58e8061de7e0f91dd74.jpg)
近くの広場には、明治初期にドイツから来日し、わが国内科学の基礎を築い
たベルツと、外科学の基礎を築いたスクリバの像が並んでいた。
グランドと剣道部の間から、構内の中心にある三四郎池に回る。もと加賀藩
前田家の上屋敷に築造された育徳園の園池で、夏目漱石の小説「三四郎」の
主人公が、よくここを散策したことから、名づけられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b4/a9daf28f574cbdf289b033aa8ebecb74.jpg)
安田講堂や理学部、工学部などの建物の横を回り、北側の弥生門で東大を
出た。
近くには、竹久夢二美術館を併設する弥生美術館があるが、入館はせずに
通過して不忍池に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b7/dbf5c97f77d67e5a07ded2022748192c.jpg)
少し先の建設業者の建物内に、珍しいものを見つけた。1964年の東京オリ
ンピックの時の台東区上野観光連盟の看板である。どこに掲げられていたのだ
ろうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/6c/418fbf097e3061c55bffd724f9cf12ec.jpg)
不忍通(しのばずどおり)に出て横断、不忍池のボート池の北側を回る。
池のほとりの柳が、かすかにふくらんでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f1/e5c12196f8d45029fe63322405ec6511.jpg)
池の中ほどにある弁天島に入り、弁天堂に参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/22/886301298a82ed901b8e55f75131261c.jpg)
アシの茂る池に泳ぐ、たくさんのカモやユリカモメなどを眺め、上野公園に
向かった。 (続く)