あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

夏の奈良近郊古社寺めぐり②〈斑鳩の里〉

2009-07-18 21:05:21 | 奈良を歩く
 前日に続き、8年前の2001年7月に訪れた、奈良近郊の古寺めぐり
のレポートです。

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 ◇◇◇ 斑鳩の里を巡る ◇◇◇

 2001年7月17日(火)



 寝坊してしまい、8時半過ぎ奈良市内の宿を出る。さっそくシンシンシン
シンと鳴く西日本特有のセミの声が暑さを感じる。

 電車で近鉄郡山駅まで行き、少し離れたバス停から法隆寺行きバスに
乗り10時1分終点で下車する。

 松並木が続く参道入口にある法隆寺 i センターに入り、斑鳩(いかるが)
の里のジオラマなどを見て短時間で出る。車の多い国道を、西に役場前
まで進み、北側に平行する旧道を500mほど進んで龍田神社へ。

 神社前の通りは大坂と奈良を結ぶ街道筋。龍田は浪花、奈良、伊勢、
当麻(たいま)への分岐点として、龍田神社を中心に商家、旅籠が軒を並
べ商業の中心地だったところ。

 神社周辺には当時の面影をしのばせる家並みが残っている。

 龍田神社は聖徳太子が法隆寺建立の際、法隆寺の鬼門守護神として
祭られた。有原業平が古今集で詠んだ紅葉の名所でもある。



 境内には楠大明神のご神体で樹齢1,000年の楠の大樹(上)、樹齢
1,200年のソテツの巨樹(下)、能楽の大和猿楽の一つ、金剛流発祥
の地の碑などがある。


 神社の北に出て、水田や古い民家の間を東に進み、役場の北側山す
そにある藤ノ木古墳へ行く。

 草木に覆われた円墳は、6世紀後半のものと推定され、昭和60年
(1985)と63年の発掘調査で一躍脚光を浴びた。

 埋葬当時の姿がほとんど残され、被葬者は2人、豪華な副葬品が数
多く発掘されたという。そばに家形石棺のレプリカ(下)があった。


 古墳入口の三叉路には、「くさでんば」と呼ぶ瘡地蔵、病気身代わり
地蔵、延命地蔵、道祖神のような双体地蔵など、20体以上の小さな地
蔵さんが並んでいる。


 古墳付近から法隆寺までの間は「西里」と呼ばれ、かつて法隆寺を
支えた大工集団の本拠。長い築地塀で囲まれたT家、N家など、宮大
工の家ではないかと思われる家があった。


 いよいよ、修学旅行以来40数年ぶりの法隆寺へ。1993年12月、
日本最初の世界遺産に登録され、1,300年前の飛鳥時代の姿を現在
に伝える世界最古の木造建築群である。


 境内図を見てこんなに広く、こんなにたくさんの建物があったとは…。
広さ約18万7千㎡の境内に40以上の建物が並んでいる。

 金堂、五重塔を中心とする西院、夢殿中心の東院、さらに中間にある
大宝蔵院が拝観の中心。時期がら修学旅行や大口団体の人たちの姿
が全くないのがなにより。

 まず中門を入って五重塔、大講堂、金堂(下)などを回る。

 大講堂で国宝・薬師三尊像や四天王像を、金堂では釈迦三尊像、薬師
如来像、阿弥陀如来像などの国宝仏を拝観した。

 鏡池の前から、綱封蔵という細い建物の横を入って、3年前に落成した
大宝蔵院に入る。白鳳時代の夢違観音像、飛鳥時代の玉虫厨子、阿弥
陀三尊像、百万塔、金堂小壁画など法隆寺の貴重な宝物類が多数安置・
展示されている。

 中心の百済観音堂には、わが国仏教美術の代表として世界的に知ら
れる飛鳥時代作、八頭身のすらりとした百済観音像が優美で慈悲深い
姿で立つ。拝観の人たちもじっくりと見入っていた。

 暑さが厳しい。途中の休憩所で冷たいものを飲んで一休みする。


 古い築地塀の通りを東に進んで東院の夢殿(上)を拝観。聖徳太子の
遺徳をしのんで天平11年(739)に建立した八角形の伽藍。中央の厨
子に、聖徳太子等身の秘仏、救世(くせ)観音像を安置している。

 夢殿の北から東に回って中宮寺へ。聖徳太子の母、穴穂部間人(あな
ほべのはしひと)皇后の発願により、西の法隆寺と対照的な位置に創建
された。現在の建物は耐震耐火建築により昭和43年(1968)落慶の
もの。

 国宝の本尊如意輪観世音菩薩半跏像は、飛鳥彫刻の最高傑作であり、
エジプトのスフィンクス、ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界の三つの
微笑像」とも呼ばれているという。

 スピーカからの説明を聞きながら、気品あるお姿をゆっくりと拝観した。

 13時を過ぎたので昼食とする。法隆寺門前に戻り、民家風で古い農
具などが吊してある茶房・松鼓堂という店に入り、赤米御飯つきのざる
そば定食を食べた。

 西院と東院の間を北に抜け、山すその天神池に向かう。畑の一角に夢
殿を形取った、野菜を無人販売する建物があり、いかにも斑鳩らしい。


 南の空が暗くなりゴロゴロと鳴り出した。片野池の東にある斑鳩神社
に寄る。

 天慶年間(938~)に、旧法隆寺の守り神として建立され、元享4年
(1324)現在地に移したといわれる。

 神社裏を東に進み片野池の横から北に向かうと、正面に三重塔が見
えてきた。地名にちなんで三井寺とも呼ばれる法輪寺である。

 聖徳太子の子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)の建立で、創建
当時の三重塔は昭和19年(1944)に落雷で消失し、現在の塔は昭和
50年(1975)に再建したもの。

 講堂で薬師如来座像、虚空蔵菩薩立像、弥勒菩薩立像、地蔵菩薩立
像など、飛鳥時代や平安時代の重文を拝観した。

 上空が暗くなり、雷鳴が近づき雨も落ちてきた。傘を差して600mほど
東の法起寺(ほうきじ)に急ぐ。間は田んぼと畑、寄り道するような建物は
無い。

 途中から本降りとなり、急いで法起寺にかけ込む。間もなく激しい雷雨
になった。

 庭の一角にある休憩舎でしばらく雨宿り。小降りになった頃、受付の方
が来て、法起寺や法隆寺などにつきいろいろ説明して下さった。

 法起寺は、聖徳太子が法華経を講説した岡本宮を寺に改めたと伝えら
れ、太子建立の七ケ寺の一つ。幾度かの火災で荒廃したが、国宝の三
重塔は慶雲3年(706)建立の日本最古の三重塔。世界遺産でもある。

 1時間ほどで雨も上がった。三重塔、講堂、聖天堂などを回り、収蔵庫
の木造十一面観音菩薩立像を拝観し、寺を出る。

 芦川を越え、東1㎞ほどの庭園が見事だという慈光院にも寄りたかった
が、拝観時間の終了間近だったのあきらめ、小泉町からの細道を入って、
16時40分にJR関西本線大和小泉駅に着いた。

(天気 晴曇一時雷雨、地図(1/2.5万) 信貴山、大和郡山、距離 8㎞)

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〈注〉最初にお断りした通り、これは8年前の写真です。

 現在の藤ノ木古墳の様子は、当ブログ・ブックマーク欄のトップ、「冬青
(そよご)風」の「竜馬16」さんが、7月12日付けで投稿されていますの
で、以下をクリックしてご覧下さい。
 
 http://blog.goo.ne.jp/ryouma16_october/d/20090712


コメント (2)
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