古く神話時代から「塩」を運んで信州の人々の生活を支え、上杉謙信が
敵方、武田信玄の窮状を察して、牛馬により塩を運ばせたと伝えられる、
塩の道・千国(ちくに)街道は、松本から糸魚川までの約30里(120㎞)。
北アルプスの東側を平行して南北に伸びる道は、どこも景観が素晴ら
しいという。以前から歩いてみたいと思っていた塩の道。思いがけず、こ
の春からのウオークで知ったKさんから、「歩きませんか」とお誘いをいた
だき、参加することにした。
これが、私が塩の道・千国街道を全コース歩くことになったきっかけ、
今から7年前の夏のことである。
==============================
=安曇沓掛から木崎湖畔まで=
2002年7月20日(土)
Kさんと一緒に、白馬村(はくばむら)神城(かみしろ)のKさんの別荘を
出て、JR大糸線飯森(いいもり)駅から上り電車に乗る。隣の神城駅で、
この歩きの主催者でペンション経営のTさんと、ペンションに宿泊してこの
歩きに参加するHさんも乗り込む。
8時37分、無人の安曇沓掛(あづみくつかけ)駅で下車。ホームは一面
だけで駅舎はない。駅の東側は田んぼが広がり、北の雲間から爺ケ岳が
顔を見せる自然が一杯の駅である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/9d/804006f2e1c965c6227b3d66a93243c0.jpg)
塩の道は、東に見える標高1,000m前後の山並みのふもとを南北に走
っている。
踏切を越えて東に向かい、「日本海へ292㎞」と記された高瀬川の宮本
橋を渡る。大きな石がたくさん堆積された川原、幾つかの川筋に急流が音
を立てて流れる。
「昔はたびたび氾濫したので川の周辺には住めず、塩の道は山すそにつ
くられたのだ」とTさん言う。
緑あふれる田んぼの間を進んで宮本集落に上がり、まず仁科(にしな)
神明宮に詣でる。大町地方の豪族仁科氏が、伊勢から勧請した鎮守。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f5/ac8958d2aa4f0ea56758a00434d6c3c6.jpg)
うっそうとした杉木立に立つ檜皮葺(ひわだぶき)の社で、鳥居や本殿
などの配置は伊勢神宮にならい、日本最古の神明造りの様式を伝える国
宝である。
20年ごとの式年遷宮が、600年間にわたり守られているという。荘厳な
境内の一隅に、山菜の逸品コシアブラの小木があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/1c/c3f6a3fb7e93d368ec27cae59b8049c0.jpg)
十字路まで戻り北に向かう。かやぶきの家が残る宮本から、信州独特
の本棟(ほんむね)造りの家(下)も見える曽根原にかけては、大町市郊
外の家並みや田園の展望が気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/07/c280a4cad42039f35af1b27d47df196f.jpg)
その向こうに北アルプスも望めるはずだが、今日は雲に隠れて前衛の
山々しか見えないのが残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/88/6d5c372b546aab41395239304a019b55.jpg)
曽根原の北には「ホタルの里」と記された清流が里の方に下っていた。
たくさん並ぶ馬頭観音やキキョウの咲く閏田(うるうだ)集落を抜けると、
大町市民俗資料館があった。
昭和53年(1978)3月で閉校した社(やしろ)小の建物を利用したもの。
江戸から昭和30年代まで、この地の主要産業だった宮本紙・松崎紙と呼
ばれた二つの和紙の資料や、民具、農具、小学校の古い教科書などが展
示してあった。
馬頭観音や双体道祖神の残る山すそを更に進む。山下集落を過ぎると、
大町市街の展望が広がる。田園地帯に下り、昭和電工の工場群の横を通
過、農具川の橋近くにある松崎和紙の工房を訪ねる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f2/2ab00cbf648d2c9afc73ff412e914823.jpg)
松崎和紙は、長久3年(1042)に仁科神明宮の祭り用に製造したのが
始めとされ、その後、農家の冬の副業として発展したが、現在はここ、腰原
康雄さんご一家だけが伝統を守っておられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b6/67e2b7daa5cd167ce0b34f0ef6765883.jpg)
腰原さんから、原料のコウゾが和紙になるまでの工程を詳しく説明して
いただく。一定の厚みで漉けるようになるのに年期がいるようだ。
ご主人が漉いたばかりの和紙に奥さんがモミジの葉を並べ、その上に薄
く漉いた和紙を重ねるという、独自の製法も拝見した。
農具川を越えると市街地。信濃大町駅の北に出て、塩の道博物館のそ
ばにある「タカラ」というそば屋で昼食にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ff/e150d32fc3a1d939f5c0db1fc142a6ed.jpg)
歩き始めは風もあったが、市街に近づくにつれ気温が上がり、かなりの汗
をかいた。冷たい水とビールがのどにしみる。注文したそばも美味しかった。
昼食後は、斜向かいの塩の道博物館の見学。建物は、庄屋であり塩問
屋でもあった平林家の母屋と奥行きのある土蔵。平林家は味噌、醤油の
製造販売も行い、庄屋よりも商家という感じが濃い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/3f/dc76208e52a70e458a1202960467cb3d.jpg)
接待の場だった奥座敷、いろり、帳場などに残る古い道具や装飾、牛に
荷を背負わせて塩などを運んだ歩荷(ぼっか)の装具や道具、土蔵にある
塩のにがり溜、農具や民具など、多数の資料をゆっくり見た。
隣接する流鏑馬(やぶさめ)会館では、京都の加茂神社、鎌倉の鶴岡八
幡宮とともに、伝統を伝える大町の流鏑馬と、夏祭りに関する資料を展示
していた。大町の流鏑馬は、射手が少年というのが珍しいという。
アーケードのある本通り商店街を北へ。大町市一番の通りだが、閉店し
ている店が目につき、車や人通りも少ない。この時期は同じ市内でも、
アルプス銀座の方が賑わっているようだ。
アーケードが終わるとナナカマドの街路樹。中にはもう紅葉した木もある。
大黒町のY字路には、大きな大黒天石像と太いしだれ桜がある。大黒天
像は高さ172㎝、江戸末期の嘉永5年(1852)の建立。松本平で最も古
く、最も大きい像だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/6d/bf4e1a560be051bef06dcc3c82736cca.jpg)
推定樹齢約150年というしだれ桜は、樹高8.5m、目通り周囲3.05m、
市内最大のしだれ桜である。
少し先を標識に従い左に入り、若一王子(にゃくいちおうじ)神社へ。立派
な杉木立を背にした神社は、垂仁天皇の御代にこの地を守った仁品王が
建立、鎌倉時代初期、仁科盛遠宿禰が熊野権現の若一王子を勧請して、
若一王寺の宮となったという古社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/2e/955efdca3dfdbe3369c78a3b9de549f4.jpg)
承応3年(1654)に大修理した、春日造りで檜皮葺の本殿、宝永3年
(1706)建立、かやぶき屋根の観音堂、宝永8年(1711)建立の三重
塔が風格と落ち着きを見せて立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f2/95aa9c15b2d5ce2b265f8dfa8c50f762.jpg)
スギを中心とした広い神社の森は県の天然記念物。流鏑馬会館で見た
大町流鏑馬は7月29日、この神社の夏祭りに奉納されるものである。
一旦国道に戻り、大黒天のある借馬(かりま)のY字路を左に入る。道路
沿いの水路はコンクリート護岸だが、清流が音を立てて流れ、暑さを和ら
げてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/25/728662e85dbdcdfd640d16d2ebc4b76b.jpg)
借馬から木崎にかけては、何体かの大黒天と、二、三のかやぶき農家が
残っていた。田園の向こうに広がる、蓮華岳などの展望が気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/32/005741175c15cc573f272d859bda84f1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a9/cd92487e2064a233e6995226378fa768.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/56/40deb8d0da7480a629143effc0275a4d.jpg)
15時15分、今日のゴール、木崎湖南岸の「ゆーぷる木崎湖」に着く。
プール棟と温泉棟に分かれていて、夏休み最初の土曜日とあって、どちら
も賑わっている。われわれは温泉棟で、1日の汗と疲れを洗い落とした。
(天気 晴、距離 15㎞、歩行地 大町市、地図(1/2.5万) 大町南部、
信濃池田、大町)
敵方、武田信玄の窮状を察して、牛馬により塩を運ばせたと伝えられる、
塩の道・千国(ちくに)街道は、松本から糸魚川までの約30里(120㎞)。
北アルプスの東側を平行して南北に伸びる道は、どこも景観が素晴ら
しいという。以前から歩いてみたいと思っていた塩の道。思いがけず、こ
の春からのウオークで知ったKさんから、「歩きませんか」とお誘いをいた
だき、参加することにした。
これが、私が塩の道・千国街道を全コース歩くことになったきっかけ、
今から7年前の夏のことである。
==============================
=安曇沓掛から木崎湖畔まで=
2002年7月20日(土)
Kさんと一緒に、白馬村(はくばむら)神城(かみしろ)のKさんの別荘を
出て、JR大糸線飯森(いいもり)駅から上り電車に乗る。隣の神城駅で、
この歩きの主催者でペンション経営のTさんと、ペンションに宿泊してこの
歩きに参加するHさんも乗り込む。
8時37分、無人の安曇沓掛(あづみくつかけ)駅で下車。ホームは一面
だけで駅舎はない。駅の東側は田んぼが広がり、北の雲間から爺ケ岳が
顔を見せる自然が一杯の駅である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/9d/804006f2e1c965c6227b3d66a93243c0.jpg)
塩の道は、東に見える標高1,000m前後の山並みのふもとを南北に走
っている。
踏切を越えて東に向かい、「日本海へ292㎞」と記された高瀬川の宮本
橋を渡る。大きな石がたくさん堆積された川原、幾つかの川筋に急流が音
を立てて流れる。
「昔はたびたび氾濫したので川の周辺には住めず、塩の道は山すそにつ
くられたのだ」とTさん言う。
緑あふれる田んぼの間を進んで宮本集落に上がり、まず仁科(にしな)
神明宮に詣でる。大町地方の豪族仁科氏が、伊勢から勧請した鎮守。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f5/ac8958d2aa4f0ea56758a00434d6c3c6.jpg)
うっそうとした杉木立に立つ檜皮葺(ひわだぶき)の社で、鳥居や本殿
などの配置は伊勢神宮にならい、日本最古の神明造りの様式を伝える国
宝である。
20年ごとの式年遷宮が、600年間にわたり守られているという。荘厳な
境内の一隅に、山菜の逸品コシアブラの小木があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/1c/c3f6a3fb7e93d368ec27cae59b8049c0.jpg)
十字路まで戻り北に向かう。かやぶきの家が残る宮本から、信州独特
の本棟(ほんむね)造りの家(下)も見える曽根原にかけては、大町市郊
外の家並みや田園の展望が気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/07/c280a4cad42039f35af1b27d47df196f.jpg)
その向こうに北アルプスも望めるはずだが、今日は雲に隠れて前衛の
山々しか見えないのが残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/88/6d5c372b546aab41395239304a019b55.jpg)
曽根原の北には「ホタルの里」と記された清流が里の方に下っていた。
たくさん並ぶ馬頭観音やキキョウの咲く閏田(うるうだ)集落を抜けると、
大町市民俗資料館があった。
昭和53年(1978)3月で閉校した社(やしろ)小の建物を利用したもの。
江戸から昭和30年代まで、この地の主要産業だった宮本紙・松崎紙と呼
ばれた二つの和紙の資料や、民具、農具、小学校の古い教科書などが展
示してあった。
馬頭観音や双体道祖神の残る山すそを更に進む。山下集落を過ぎると、
大町市街の展望が広がる。田園地帯に下り、昭和電工の工場群の横を通
過、農具川の橋近くにある松崎和紙の工房を訪ねる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f2/2ab00cbf648d2c9afc73ff412e914823.jpg)
松崎和紙は、長久3年(1042)に仁科神明宮の祭り用に製造したのが
始めとされ、その後、農家の冬の副業として発展したが、現在はここ、腰原
康雄さんご一家だけが伝統を守っておられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b6/67e2b7daa5cd167ce0b34f0ef6765883.jpg)
腰原さんから、原料のコウゾが和紙になるまでの工程を詳しく説明して
いただく。一定の厚みで漉けるようになるのに年期がいるようだ。
ご主人が漉いたばかりの和紙に奥さんがモミジの葉を並べ、その上に薄
く漉いた和紙を重ねるという、独自の製法も拝見した。
農具川を越えると市街地。信濃大町駅の北に出て、塩の道博物館のそ
ばにある「タカラ」というそば屋で昼食にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ff/e150d32fc3a1d939f5c0db1fc142a6ed.jpg)
歩き始めは風もあったが、市街に近づくにつれ気温が上がり、かなりの汗
をかいた。冷たい水とビールがのどにしみる。注文したそばも美味しかった。
昼食後は、斜向かいの塩の道博物館の見学。建物は、庄屋であり塩問
屋でもあった平林家の母屋と奥行きのある土蔵。平林家は味噌、醤油の
製造販売も行い、庄屋よりも商家という感じが濃い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/3f/dc76208e52a70e458a1202960467cb3d.jpg)
接待の場だった奥座敷、いろり、帳場などに残る古い道具や装飾、牛に
荷を背負わせて塩などを運んだ歩荷(ぼっか)の装具や道具、土蔵にある
塩のにがり溜、農具や民具など、多数の資料をゆっくり見た。
隣接する流鏑馬(やぶさめ)会館では、京都の加茂神社、鎌倉の鶴岡八
幡宮とともに、伝統を伝える大町の流鏑馬と、夏祭りに関する資料を展示
していた。大町の流鏑馬は、射手が少年というのが珍しいという。
アーケードのある本通り商店街を北へ。大町市一番の通りだが、閉店し
ている店が目につき、車や人通りも少ない。この時期は同じ市内でも、
アルプス銀座の方が賑わっているようだ。
アーケードが終わるとナナカマドの街路樹。中にはもう紅葉した木もある。
大黒町のY字路には、大きな大黒天石像と太いしだれ桜がある。大黒天
像は高さ172㎝、江戸末期の嘉永5年(1852)の建立。松本平で最も古
く、最も大きい像だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/6d/bf4e1a560be051bef06dcc3c82736cca.jpg)
推定樹齢約150年というしだれ桜は、樹高8.5m、目通り周囲3.05m、
市内最大のしだれ桜である。
少し先を標識に従い左に入り、若一王子(にゃくいちおうじ)神社へ。立派
な杉木立を背にした神社は、垂仁天皇の御代にこの地を守った仁品王が
建立、鎌倉時代初期、仁科盛遠宿禰が熊野権現の若一王子を勧請して、
若一王寺の宮となったという古社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/2e/955efdca3dfdbe3369c78a3b9de549f4.jpg)
承応3年(1654)に大修理した、春日造りで檜皮葺の本殿、宝永3年
(1706)建立、かやぶき屋根の観音堂、宝永8年(1711)建立の三重
塔が風格と落ち着きを見せて立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f2/95aa9c15b2d5ce2b265f8dfa8c50f762.jpg)
スギを中心とした広い神社の森は県の天然記念物。流鏑馬会館で見た
大町流鏑馬は7月29日、この神社の夏祭りに奉納されるものである。
一旦国道に戻り、大黒天のある借馬(かりま)のY字路を左に入る。道路
沿いの水路はコンクリート護岸だが、清流が音を立てて流れ、暑さを和ら
げてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/25/728662e85dbdcdfd640d16d2ebc4b76b.jpg)
借馬から木崎にかけては、何体かの大黒天と、二、三のかやぶき農家が
残っていた。田園の向こうに広がる、蓮華岳などの展望が気持ちよい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/32/005741175c15cc573f272d859bda84f1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a9/cd92487e2064a233e6995226378fa768.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/56/40deb8d0da7480a629143effc0275a4d.jpg)
15時15分、今日のゴール、木崎湖南岸の「ゆーぷる木崎湖」に着く。
プール棟と温泉棟に分かれていて、夏休み最初の土曜日とあって、どちら
も賑わっている。われわれは温泉棟で、1日の汗と疲れを洗い落とした。
(天気 晴、距離 15㎞、歩行地 大町市、地図(1/2.5万) 大町南部、
信濃池田、大町)