あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

塩の道 千国街道を歩く(安曇沓掛から木崎湖畔)(2002年)

2009-07-26 23:11:33 | 塩の道を歩く
 古く神話時代から「塩」を運んで信州の人々の生活を支え、上杉謙信が
敵方、武田信玄の窮状を察して、牛馬により塩を運ばせたと伝えられる、
塩の道・千国(ちくに)街道は、松本から糸魚川までの約30里(120㎞)。

 北アルプスの東側を平行して南北に伸びる道は、どこも景観が素晴ら
しいという。以前から歩いてみたいと思っていた塩の道。思いがけず、こ
の春からのウオークで知ったKさんから、「歩きませんか」とお誘いをいた
だき、参加することにした。

 これが、私が塩の道・千国街道を全コース歩くことになったきっかけ、
今から7年前の夏のことである。

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=安曇沓掛から木崎湖畔まで=
 
 2002年7月20日(土)


 
 Kさんと一緒に、白馬村(はくばむら)神城(かみしろ)のKさんの別荘を
出て、JR大糸線飯森(いいもり)駅から上り電車に乗る。隣の神城駅で、
この歩きの主催者でペンション経営のTさんと、ペンションに宿泊してこの
歩きに参加するHさんも乗り込む。

 8時37分、無人の安曇沓掛(あづみくつかけ)駅で下車。ホームは一面
だけで駅舎はない。駅の東側は田んぼが広がり、北の雲間から爺ケ岳が
顔を見せる自然が一杯の駅である。


 塩の道は、東に見える標高1,000m前後の山並みのふもとを南北に走
っている。

 踏切を越えて東に向かい、「日本海へ292㎞」と記された高瀬川の宮本
橋を渡る。大きな石がたくさん堆積された川原、幾つかの川筋に急流が音
を立てて流れる。

 「昔はたびたび氾濫したので川の周辺には住めず、塩の道は山すそにつ
くられたのだ」とTさん言う。

 緑あふれる田んぼの間を進んで宮本集落に上がり、まず仁科(にしな)
神明宮に詣でる。大町地方の豪族仁科氏が、伊勢から勧請した鎮守。

 うっそうとした杉木立に立つ檜皮葺(ひわだぶき)の社で、鳥居や本殿
などの配置は伊勢神宮にならい、日本最古の神明造りの様式を伝える国
宝である。

 20年ごとの式年遷宮が、600年間にわたり守られているという。荘厳な
境内の一隅に、山菜の逸品コシアブラの小木があった。


 十字路まで戻り北に向かう。かやぶきの家が残る宮本から、信州独特
の本棟(ほんむね)造りの家(下)も見える曽根原にかけては、大町市郊
外の家並みや田園の展望が気持ちよい。


 その向こうに北アルプスも望めるはずだが、今日は雲に隠れて前衛の
山々しか見えないのが残念。


 曽根原の北には「ホタルの里」と記された清流が里の方に下っていた。
たくさん並ぶ馬頭観音やキキョウの咲く閏田(うるうだ)集落を抜けると、
大町市民俗資料館があった。

 昭和53年(1978)3月で閉校した社(やしろ)小の建物を利用したもの。
江戸から昭和30年代まで、この地の主要産業だった宮本紙・松崎紙と呼
ばれた二つの和紙の資料や、民具、農具、小学校の古い教科書などが展
示してあった。

 馬頭観音や双体道祖神の残る山すそを更に進む。山下集落を過ぎると、
大町市街の展望が広がる。田園地帯に下り、昭和電工の工場群の横を通
過、農具川の橋近くにある松崎和紙の工房を訪ねる。

 松崎和紙は、長久3年(1042)に仁科神明宮の祭り用に製造したのが
始めとされ、その後、農家の冬の副業として発展したが、現在はここ、腰原
康雄さんご一家だけが伝統を守っておられる。

 腰原さんから、原料のコウゾが和紙になるまでの工程を詳しく説明して
いただく。一定の厚みで漉けるようになるのに年期がいるようだ。

 ご主人が漉いたばかりの和紙に奥さんがモミジの葉を並べ、その上に薄
く漉いた和紙を重ねるという、独自の製法も拝見した。

 農具川を越えると市街地。信濃大町駅の北に出て、塩の道博物館のそ
ばにある「タカラ」というそば屋で昼食にした。

 歩き始めは風もあったが、市街に近づくにつれ気温が上がり、かなりの汗
をかいた。冷たい水とビールがのどにしみる。注文したそばも美味しかった。

 昼食後は、斜向かいの塩の道博物館の見学。建物は、庄屋であり塩問
屋でもあった平林家の母屋と奥行きのある土蔵。平林家は味噌、醤油の
製造販売も行い、庄屋よりも商家という感じが濃い。

 接待の場だった奥座敷、いろり、帳場などに残る古い道具や装飾、牛に
荷を背負わせて塩などを運んだ歩荷(ぼっか)の装具や道具、土蔵にある
塩のにがり溜、農具や民具など、多数の資料をゆっくり見た。

 隣接する流鏑馬(やぶさめ)会館では、京都の加茂神社、鎌倉の鶴岡八
幡宮とともに、伝統を伝える大町の流鏑馬と、夏祭りに関する資料を展示
していた。大町の流鏑馬は、射手が少年というのが珍しいという。

 アーケードのある本通り商店街を北へ。大町市一番の通りだが、閉店し
ている店が目につき、車や人通りも少ない。この時期は同じ市内でも、
アルプス銀座の方が賑わっているようだ。

 アーケードが終わるとナナカマドの街路樹。中にはもう紅葉した木もある。

 大黒町のY字路には、大きな大黒天石像と太いしだれ桜がある。大黒天
像は高さ172㎝、江戸末期の嘉永5年(1852)の建立。松本平で最も古
く、最も大きい像だという。

 推定樹齢約150年というしだれ桜は、樹高8.5m、目通り周囲3.05m、
市内最大のしだれ桜である。

 少し先を標識に従い左に入り、若一王子(にゃくいちおうじ)神社へ。立派
な杉木立を背にした神社は、垂仁天皇の御代にこの地を守った仁品王が
建立、鎌倉時代初期、仁科盛遠宿禰が熊野権現の若一王子を勧請して、
若一王寺の宮となったという古社。

 承応3年(1654)に大修理した、春日造りで檜皮葺の本殿、宝永3年
(1706)建立、かやぶき屋根の観音堂、宝永8年(1711)建立の三重
塔が風格と落ち着きを見せて立つ。


 スギを中心とした広い神社の森は県の天然記念物。流鏑馬会館で見た
大町流鏑馬は7月29日、この神社の夏祭りに奉納されるものである。

 一旦国道に戻り、大黒天のある借馬(かりま)のY字路を左に入る。道路
沿いの水路はコンクリート護岸だが、清流が音を立てて流れ、暑さを和ら
げてくれる。


 借馬から木崎にかけては、何体かの大黒天と、二、三のかやぶき農家が
残っていた。田園の向こうに広がる、蓮華岳などの展望が気持ちよい。






 15時15分、今日のゴール、木崎湖南岸の「ゆーぷる木崎湖」に着く。
プール棟と温泉棟に分かれていて、夏休み最初の土曜日とあって、どちら
も賑わっている。われわれは温泉棟で、1日の汗と疲れを洗い落とした。

(天気 晴、距離 15㎞、歩行地 大町市、地図(1/2.5万) 大町南部、
 信濃池田、大町)
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