わが家の西側、玄関先にあるキンモクセイが咲き出しました。2階
東側のパソコンの前に座っていても、ほのかな香りが感じられます。
市内を歩くと、住宅地のそちこちでも同じ香りが漂っています。
いま四国を遍路中の方も、感じておられるのでしょうか。
四国遍路道ある記、12日目の写真は4枚だけでした。
第12日 2004年3月2日(火) 曇後晴 <28番大日寺>
=海岸の自転車専用道を行く=
6時起床、7時朝食、7時35分に西内旅館を出る。
幅広い歩道と街路樹のある安芸市本町の新しい通りは400mほど
続き、終端に阪神タイガースの「虎いちばん」という彫刻があり、回り
に「歓迎阪神タイガース」ののぼりが並ぶ。
安芸市は阪神のキャンプ地だったことを思い出す。
その先は古い家並みの本町商店街、中ほどに「菊水」銘の酒造店
があった。
安芸漁港の横で国道55号に出て、「高知36km 南国25km」の
道路標示の先で、海岸沿いの自転車専用道に入った。
堤防越しに波静かな海を眺めながら進む。漁を終えた小さい漁船が
次々に安芸漁港に帰ってくる。
車を気にせずに歩ける自転車道、通学の高校生の自転車くらいしか
来ないので安心。欲をいえば透水性の舗装にしてもらうと足に優しい
のだが…。
暖かくなったので、最初の岬にあった東屋で厚いシャツを脱ぐ。八流
では道路に野ウサギがいたが、近づいたら草むらに逃げ込んだ。
ツバキなどの広葉樹の多い魚つき保安林の間を進んで、番外霊場、
八流山極楽寺の近くを通過。花盛りの桜が1本だけある。
御殿鼻という岬を回る。薄日が背後から差してきて、お大師様の
ような(自分の)影が前に進む。だが、まだお遍路をしているという
よりウオークの気分である。
桜並木になったが、咲き出したのは若木2本のみ。土手のナノハナ
がやわらかな彩りを見せる。

岬を回ったところにある赤野休憩所からは、前方に緩いカーブで長く
のびた松林と砂浜が見え、北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲、「雨」の
歌碑があった。

弘田はこの地の出身、歌碑の字は、サリドマイドのハンディを克服して
熊本市役所に勤める辻典子さんが足指で書いたものと記されていた。
赤野駅の100mほど手前に遍路接待所があった。木材加工場の
一部を解放しており、居られたKHさんから、「休んで行きませんか」
と声をかけられた。入って休ませてもらう。

お茶、コーヒー、ミカン、ふかしいもなどが用意されていたので、コー
ヒーを頂いた。
そのの先6kmほどは琴ヶ浜と呼ぶクロマツの林が続き、海からの
そよ風が心地よい。一帯は手結住吉県立公園に指定されており、琴ヶ
浜休憩所には、車で来た人が何人か休んでいた。
和食川の先、長谷奇の海岸はウミガメの産卵地で、「車は入らぬよう
に」と書いてある。この辺りは透水性舗装なので歩き易い。
国道55号が近づき、やがて平行して夜須町に入る。右膝にサポータ
を付けたのだが、きのうより痛む。
ジャガイモがやわらかな葉を伸ばしている。帰ったら私も植えなけれ
ばと思う。
手結岬へのカーブにかかる。岬の上に見えていた、ピンク色に塗った
国民宿舎海風荘の近くで2つのトンネルを抜ける。1車線のトンネルだが、
背の高いことから、もとは国道だったと思われた。
ところが、帰宅後調べたら、長い自転車道は土佐電鉄の廃線跡だっ
たと分かった。2つのトンネルも鉄道のトンネルだったのだ。
国道55号が近づいたところで休憩。そろそろ昼食の用意をと思い
国道に出て、豊栄橋先の交差点にあったローソンで弁当を買う。
海側は道の駅夜須のあるヤ・シイパークと呼ぶ海浜公園。ヤシの木や
広い芝生広場があり、夏は海水浴場になるようだ。
その芝生の一角にシートを敷き、突堤付近でのウィンドサーフィンを
見ながら昼食。公園には遠足の小学生や幼児連れの奥さんなどがいた。
旧道を進んで月見山の下で香我美町に入る。山すそを回り陸上自衛
隊高知駐とん地前を通過、香宗川を渡り、支流沿いに行き、城山高の
横から国道55号に出る。
すぐ先に「旅館かとり」の大きな建物があった。併設のレストランで
受付を済ませてから、ザックを預けて大日寺へ向かう。
右前方の山上に西洋の城のような建物が見える。国道55号と県道
22号に分かれるY字路には信号があるが横断歩道がない。歩行者
無視も甚だしい。
その県道を進んで野市町の中心地で右折、役場付近で夕刊配達の
若い人から「余ってますからどうぞ」と、高知新聞夕刊のご接待を
頂いた。役場前から北に向かうと、龍馬歴史館の建物が見えた。
急な石段のへんろ道を上がって28番大日寺へ。山の中腹にある
簡素な寺だった。

膝痛のため、帰り道は車道を回って下る。
大谷の動物公園があるという山に、3枚羽根の風力発電用プロペラ
が回っている。16時に、旅館かとりに戻った。
すぐに入浴。きょうは汗をかくほど気温が上がらなかったので洗濯
は休止とする。
夕食はレストランで。隣は、江東区からの2回目の歩き遍路。2年前
初めての時は、骨折のリハビリにと歩いたのだという。日本ウオーキン
グ協会の「空海のみち」の16人も久しぶりの同宿となった。
〈コースタイム〉西内旅館7:35ー安芸漁港8:00ー岬の東屋8:30~33
ー赤野休憩所9:17~28ー遍路休憩所(Kさん)9:45~10:01ー国道際
(十代)11:02ーヤ・シイパーク(昼食)12:00~37ー旅館かとり13:44~50
ー28番大日寺14:44~15:03ー旅館かとり16:00
(距離 29km、歩行地 安芸市、芸西村、夜須町、香我美町、赤岡
町、野市町、歩数 48,100)
東側のパソコンの前に座っていても、ほのかな香りが感じられます。
市内を歩くと、住宅地のそちこちでも同じ香りが漂っています。
いま四国を遍路中の方も、感じておられるのでしょうか。
四国遍路道ある記、12日目の写真は4枚だけでした。
第12日 2004年3月2日(火) 曇後晴 <28番大日寺>
=海岸の自転車専用道を行く=
6時起床、7時朝食、7時35分に西内旅館を出る。
幅広い歩道と街路樹のある安芸市本町の新しい通りは400mほど
続き、終端に阪神タイガースの「虎いちばん」という彫刻があり、回り
に「歓迎阪神タイガース」ののぼりが並ぶ。
安芸市は阪神のキャンプ地だったことを思い出す。
その先は古い家並みの本町商店街、中ほどに「菊水」銘の酒造店
があった。
安芸漁港の横で国道55号に出て、「高知36km 南国25km」の
道路標示の先で、海岸沿いの自転車専用道に入った。
堤防越しに波静かな海を眺めながら進む。漁を終えた小さい漁船が
次々に安芸漁港に帰ってくる。
車を気にせずに歩ける自転車道、通学の高校生の自転車くらいしか
来ないので安心。欲をいえば透水性の舗装にしてもらうと足に優しい
のだが…。
暖かくなったので、最初の岬にあった東屋で厚いシャツを脱ぐ。八流
では道路に野ウサギがいたが、近づいたら草むらに逃げ込んだ。
ツバキなどの広葉樹の多い魚つき保安林の間を進んで、番外霊場、
八流山極楽寺の近くを通過。花盛りの桜が1本だけある。
御殿鼻という岬を回る。薄日が背後から差してきて、お大師様の
ような(自分の)影が前に進む。だが、まだお遍路をしているという
よりウオークの気分である。
桜並木になったが、咲き出したのは若木2本のみ。土手のナノハナ
がやわらかな彩りを見せる。

岬を回ったところにある赤野休憩所からは、前方に緩いカーブで長く
のびた松林と砂浜が見え、北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲、「雨」の
歌碑があった。

弘田はこの地の出身、歌碑の字は、サリドマイドのハンディを克服して
熊本市役所に勤める辻典子さんが足指で書いたものと記されていた。
赤野駅の100mほど手前に遍路接待所があった。木材加工場の
一部を解放しており、居られたKHさんから、「休んで行きませんか」
と声をかけられた。入って休ませてもらう。

お茶、コーヒー、ミカン、ふかしいもなどが用意されていたので、コー
ヒーを頂いた。
そのの先6kmほどは琴ヶ浜と呼ぶクロマツの林が続き、海からの
そよ風が心地よい。一帯は手結住吉県立公園に指定されており、琴ヶ
浜休憩所には、車で来た人が何人か休んでいた。
和食川の先、長谷奇の海岸はウミガメの産卵地で、「車は入らぬよう
に」と書いてある。この辺りは透水性舗装なので歩き易い。
国道55号が近づき、やがて平行して夜須町に入る。右膝にサポータ
を付けたのだが、きのうより痛む。
ジャガイモがやわらかな葉を伸ばしている。帰ったら私も植えなけれ
ばと思う。
手結岬へのカーブにかかる。岬の上に見えていた、ピンク色に塗った
国民宿舎海風荘の近くで2つのトンネルを抜ける。1車線のトンネルだが、
背の高いことから、もとは国道だったと思われた。
ところが、帰宅後調べたら、長い自転車道は土佐電鉄の廃線跡だっ
たと分かった。2つのトンネルも鉄道のトンネルだったのだ。
国道55号が近づいたところで休憩。そろそろ昼食の用意をと思い
国道に出て、豊栄橋先の交差点にあったローソンで弁当を買う。
海側は道の駅夜須のあるヤ・シイパークと呼ぶ海浜公園。ヤシの木や
広い芝生広場があり、夏は海水浴場になるようだ。
その芝生の一角にシートを敷き、突堤付近でのウィンドサーフィンを
見ながら昼食。公園には遠足の小学生や幼児連れの奥さんなどがいた。
旧道を進んで月見山の下で香我美町に入る。山すそを回り陸上自衛
隊高知駐とん地前を通過、香宗川を渡り、支流沿いに行き、城山高の
横から国道55号に出る。
すぐ先に「旅館かとり」の大きな建物があった。併設のレストランで
受付を済ませてから、ザックを預けて大日寺へ向かう。
右前方の山上に西洋の城のような建物が見える。国道55号と県道
22号に分かれるY字路には信号があるが横断歩道がない。歩行者
無視も甚だしい。
その県道を進んで野市町の中心地で右折、役場付近で夕刊配達の
若い人から「余ってますからどうぞ」と、高知新聞夕刊のご接待を
頂いた。役場前から北に向かうと、龍馬歴史館の建物が見えた。
急な石段のへんろ道を上がって28番大日寺へ。山の中腹にある
簡素な寺だった。

膝痛のため、帰り道は車道を回って下る。
大谷の動物公園があるという山に、3枚羽根の風力発電用プロペラ
が回っている。16時に、旅館かとりに戻った。
すぐに入浴。きょうは汗をかくほど気温が上がらなかったので洗濯
は休止とする。
夕食はレストランで。隣は、江東区からの2回目の歩き遍路。2年前
初めての時は、骨折のリハビリにと歩いたのだという。日本ウオーキン
グ協会の「空海のみち」の16人も久しぶりの同宿となった。
〈コースタイム〉西内旅館7:35ー安芸漁港8:00ー岬の東屋8:30~33
ー赤野休憩所9:17~28ー遍路休憩所(Kさん)9:45~10:01ー国道際
(十代)11:02ーヤ・シイパーク(昼食)12:00~37ー旅館かとり13:44~50
ー28番大日寺14:44~15:03ー旅館かとり16:00
(距離 29km、歩行地 安芸市、芸西村、夜須町、香我美町、赤岡
町、野市町、歩数 48,100)