あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(前編)・高知その4

2006-09-21 22:18:16 | 初めての四国遍路
 東京・品川駅東口の歯科医院に行き、先月から5回目で2つの歯
の治療を終えました。

 さわやかな好天だったので、品川から芝浦を経て、国道15号沿い
に田町、浜松町、新橋へ、さらに有楽町から東京駅八重洲口のブック
センターに寄り、東京メトロ大手町駅まで歩きました。歩行距離は約
9kmでした。

 昼食は、新橋の讃岐うどんの店で。四国遍路で何度か食べた、讃岐
うどんの味を思い出しました。

 というわけで、今日も「四国遍路道ある記」です。


 第11日 2004年3月1日(月) 雨後晴 <27番神峰寺>
 =台車のお遍路さんと一緒に=
 
 6時30分起床、7時朝食。きのう頼んておいた、靴に新聞紙を入れ
るのを忘れたと、おかみさんがわびに来たが、ほとんど乾いていた
ので歩くには支障ない。

 昨夜夕食後に来た歩き遍路氏は、途中で車のお接待を受けたとは
いえ、東洋大師から来たという。私のほぼ2日分を1日で来たのだから
疲れるわけだ。階段を下りるのも辛そう。素泊まりのようだった。

 小雨模様なので、ザックカバーを付けポンチョをかぶり7時58分に
出る。ポンチョを着ると暑くなりそうなので、厚手のシャツは初めから
無しにする。

 奈半利川の先で国道55号を外れて海側の旧道へ。古い町並みが
残っており、関御殿と呼ぶ土塀に檜皮葺(ひわだぶき)の旧家があった。
その先、さらに海沿いの通りには、白壁やひさしの低い旧家が多く残る。

 田野町に入ると、安永4年(1775)大地震の標石があり、近くの
公園には「東経134度のまち田野町」の標識が立つていた。

 すぐ先から安田町となり、国道の北側に旧道が続く。神社前に
「不動の海浜」「野根山23士会合の地」の標識があった。

 製材業の並ぶ町並みで、ビールのカートン箱4つを積んだ台車に、
取っ手を付けて押し歩く歩き遍路氏と一緒になり、しばらく同道する。

 大きな荷は野宿のためのもの。石川の人で、逆打ちで一番霊山寺
まで到達した後、折り返して順打ちを続けているという。

 安田川大橋を渡り、安田の旧道へ。高知県内に入ってあちこちの
町で看板を見かけた、清酒「土佐鶴」の工場があった。

 神峰寺(こうのみねじ)への上りはきついというので、東谷の土佐くろ
しお鉄道のガードの先の家に、台車の遍路氏と一緒にザックを預けた。

 棚田の横を上がり、「真っ縦」と呼ぶ急傾斜の山道にかかる。雨に
濡れた草をかき分けるところもあり、急斜面をゆっくりと上がる。

 3度ほど車道を横断、最後は車道を上がる。以前会ったことのある、
カートを引く歩き遍路氏が下りてきて、台車の遍路氏とカートの車輪
の耐久性のことなどをひとしきり話す。

 汗をかいたので駐車場そばの売店で飲み物を飲んで休憩。どうやら
雨はやんだようだ。更に少し上って27番神峰寺境内へ。

 本堂に上がるには、つつじの植え込みの間の急な石段があるが、膝
をかばい右側の車道を上がる。


 納経所で「歩きですか」と聞かれたので「そうです」と言うと、お茶と和
菓子のお接待を頂いた。


 石段の脇に「神峰の水」と呼ぶ霊水が流れ落ちていた。

 下りは膝痛が気になるので、台車氏には先に下りてもらい、ゆっくり
と下る。駐車場まで下ったら、東京と千葉の若い女性3人が上がって
きた。

 今日は休養日なのでゆっくりで、宿もこの近くとか。まだ膝が痛いと
話したら、「サポータを付けたら」と教えてくれた。

 下りはへんろ道を使わず、車道を下りる。桜並木のかたわらに
東屋があり、奈半利の町と海の展望がよい。


 棚田にレンゲが咲き、そばの桜は3分咲きくらい(この田ではない)。

 気になった膝も昨日の午後ほどは痛くない。それでもカーブでは
傾斜の緩い方を選んで下りた。

 ザックを預けた家まで戻り、高架の線路を越えて南東へ進む。
へんろ道は高架のそばから西へ行くのだったが気づかず、500m
ほど回り道になり、浜吉屋旅館の角から旧道を西に向かう。


 山の中腹に、上ってきた神峰寺のお堂が見え隠れする。
 
 国道に合してから海側の旧道に入る。土佐くろしお鉄道の線路に
平行するあたりで日が差し、やがて晴れてきた。

 安芸市に入り、大山岬にあった「レストランえびす」で昼食。この先
高知市を経て足摺岬まで伸びる大きな湾が、西から南にぐるっと
一望できる景勝地。すぐ先にはフェニックスの茂る展望台もあった。

 店を経営するご夫妻は、轟大権現大先達の免許を持つ大峰山系
の山伏。店にその免許状が飾ってあった。

 「病気で治らぬ病は霊に付かれており、自分たちはその霊を取り
払って治すのだ」というご主人の話が止まらない。折を見てトイレを
借り、店を出た。

 地元の農産物などを販売する、小規模な「道の駅大山」の先に、
波切不動尊があり、ご神木の梛木の木は樹齢300~400年と
いう。

 その木は、国道でただ一つという中央分離帯の中に残されていた。

 伊尾木で旧道に入ったら、伊尾木松尾公民館の裏手、クスノキの
下に新しい寅さん地蔵が2基ある。

 平成8年に、第49作「寅次郎花へんろ」の企画が決まったのだが、
寅さんが死んでまぼろしとなったので、記念に建立したという。

 伊尾木川橋と安芸川橋を渡り、安芸市内の旧道を進んで、15時
45分、西内旅館に着いた。

 鉄筋造りのビジネスホテル調で、畳敷きながらバストイレ付き。
洗濯機を借りて洗濯したあと、おかみさんに近くの薬局を教えて
もらい、サポーターを購入する。

 夕食は1階の日本間。25日から鉄道や車の接待を利用しながら
遍路しているという秋田の男性と一緒。「退職してやることがない
ので、遍路に来た」とのことだった。

〈コースタイム〉山本旅館7:58ー東谷の民家(ザック預け)9:30ー神峰
寺へのへんろ道10:07ー駐車場10:35~45ー27番神峰寺10:45~
11:20ー東谷の民家12:22~25ー下山駅入口13:15ーレストランえびす
(昼食)13:28~14:16ー波切不動尊14:46ー西内旅館15:45

(距離 24km、歩行地 奈半利町、田野町、安田町、安芸市、
 歩数 40,600)




 
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