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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行・つくばエキスプレス八潮駅

2006-09-17 23:43:27 | カタツムリ歩行
 九州北部は台風13号の上陸で大きな被害が出たようです。被害に
あわれた方には謹んでお見舞い申し上げます。

 首都圏は、夕方から雨の予報でしたが午前中は大丈夫そうなので、
JR武蔵野線周辺を歩いている「カタツムリ歩行」の第157回例会に
参加しました。

 今日のスタートは、昨年8月に開通した新しい鉄道「つくばエキス
プレス」の八潮駅(埼玉県八潮市)です。

 改札口のそばにきれいなステンドグラスがあり、7月に英国・コッツ
ウォルズの教会で見た、幾つかのステンドグラスを思い出しました。

 10時に駅北口をスタートしました。駅周辺は鉄道の開通に合わせて
区画整理が進み、新しい道や、新しい商店、住宅などが出来ていま
した。

 駅東側を南北に走る県道54号に出て、首都高速6号三郷線の八潮
料金所東側下をくぐり、八潮1丁目に入ります。

 民家の軒先の棚に、小さいけれどもたくさんのヒョウタンが、鈴なり
にぶら下がっていました。

 まず、その家の近くの照富久稲荷神社に寄りました。

 入口に復旧碑というのがあり、それによると、「住民の意向を無視
して明治政府によりこの神社が上木曽根地内の氷川神社に強制的に
合祀(ごうし)されてしまったのを、第2次大戦後、交渉して分社して
もらい復興した」ことが記されていました。

 東に進んで大原公園に入りました。この辺り一帯の区画整理で出来
た公園のようです。園内に、「里帰り桜」というのがありました。

 明治45年(1912)に東京市長が日米友好の証としてソメイヨシノ
など12品種の桜苗を米国ワシントンに送りましたが、その苗は、現在
の東京都足立区江北一帯に植えられていた「荒川の五色桜」とよばれ
たもののようです。

 その五色桜が、堤防工事や公害などの影響で衰退したので、足立区
で昭和56年(1981)にワシントンのポトマック河畔から桜の枝を持ち
帰り、里帰りをしたのですが、それを分けてもらったのがこの公園の
5本の桜とのことでした。

 さらに東に進み、八潮7丁目に入ると、「畑まるごと直売所」と書かれ
た小屋がありました。かたわらの畑の生産物を直売する小屋のよう
ですが、なんだか「畑そのものを売る」のかと、一瞬勘違いしました。

 近くにある円照寺には、元禄5年(1692)と読める古い青面金剛が
残っています。

 ほかに江戸時代の五輪塔も幾つかあり、境内のイチョウは、ギンナン
が鈴なりでした。



 墓地の入口に12地蔵尊があったのですが、その真ん中にあるお地蔵
さんは、なんだかこわいような様相です。どうしてこうなったんでしょうか。


 すぐ近くに、明治初期には八幡村村社だった稲荷神社がり、社殿裏手
のマテバシイに実がいっぱい実を付けていました。

 本殿の木彫はなかなか精巧なものです。

 浅い流れにカルガモが遊ぶ葛西(かさい)用水の中馬場橋を渡り、
小さいけれども緑の多い西袋児童公園の横から東に進み、県道115号
を越えて、武蔵三十三観音霊場第22番札所という蓮台寺に行きました。

 ところが正面の門は閉まっていて入れません。

 12時近くなってきたので、ゴールに向かうことにして、県道115号の
大曽根交差点西側の福寿院に行きました。

 境内に、元禄3年(1690)の庚申塔がありました。この辺り一帯は
新興住宅地で、当時の面影はありませんが、ここにも江戸の名残が
あるのです。

 ゴールの大曽根八幡神社はすぐ近く、ちょうど12時に着きました。

 拝殿に参拝して裏手に回ったら、本殿の周囲は精巧な彫刻が施されて
いました。

 神社略記によればこの社は、文亀2年(1502)に勧請されたが、
一説には、後3年の役に源義光が兄義家の援軍のため奉納したとも
伝わるとのことが記されていました。


 昼食後、記念撮影し、Y・敬子さんのオカリナ演奏「小さい秋」「あかと
んぼ」「里の秋」を聞き、私が入れなかった蓮台寺でOさんがもらって
きたというクリの実も見せてもらい、小さい秋を感じながら帰途につき
ました。
 
コメント
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