魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

楽しみだ

2015年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

温暖化のため、日本で生産可能な農産品が変わってきているそうだ。
コーヒー豆やバナナまで、日本で生産できるようになってきている。裏を返せば、米や麦に適さなくなると言うことだろう。この先、美味い米は北海道が中心になり、本州では沖縄のように、二毛作や三毛作が可能になるのかも知れない。

米の種類も変わってくるから、食生活も東南アジア風になっていくのかも知れないし、野山に咲く花も変わってくるから、風景もがらっと変わる。

温暖化とは関係ないが、一頃、ススキを浸食して日本中を黄色に染めていたセイタカアワダチソウが、増えすぎて自滅し、また、ススキに変わりつつある。
一生のうちにこれだけ変わる風景を見られたのは、日本の歴史の中では、結構、貴重な体験なのかも知れない。

外来種と在来種のせめぎ合いを、これだけ短期間で見るのは、人と物の交流が激しくなった現代ならではだが、温暖化を招いた人間は、自ら毒を出すセイタカアワダチソウと同じ自滅行為で、あれこれ言いながら、結局は、手遅れになるまで自省できないだろう。

元のススキに取って代わられたセイタカアワダチソウのように、人類も別の種に席を譲ることになるのだろうか。
それが、猿の惑星のように別の知性に替わるとは限らない。むしろ、新環境に適した鳥や恐竜、あるいは植物のような、知性とは全く関係の無い生命体なのかも知れない。
地球の生命活動にとっては、知性など関係ない。自分(地球)の機能維持に適した体内微生物であれば良いわけだ。

人類絶滅がいつ来るかは知らないが、とりあえず今は、環境変化で、日本産コーヒーが、普通に飲める日を楽しみにしていよう。
生きているうちの話しかな?


現実理解

2015年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

電車のワンデイチケットを良く利用するが、バスにもあるので時々利用する。
先日、バスを乗り換えて利用する必要があったので、コンビニに入って、
「バスのワンデイチケット有りますか?」
と、たずねると、店員が
「え、あ、すみません」
と、問い直す。見ると名札に「劉」と書いてあったので、
「バスの、ワンデイ、チケット、ありますか」
と、嫌みにならない程度に、ハッキリしゃべると、
「あ、はい。少々お待ちください」
と、言って、向こうのレジの店員の所に行き
「バスの一日乗車券は、どこですか?」
と聞いて、収納ケースから一枚出して、持ってきてくれた。

極めて頭が良いことに感心した。
そうでなくても聞き取りにくい日本語を理解し、教えられていた「一日乗車券」に訳し直し、それがあったことを記憶していて、先輩に聞いた。
ここが中国人らしい、臨機応変の現実理解だ。

近頃の日本人は、マニュアル通りでなければ動けない。
仮に理解しても、「一日乗車券ですね」と、念を押す。それは確実性を高めるためには有効なことだ。だが、それは、マニュアル上の正確さで、自分の職務のロボット的遂行の段取りに過ぎない。客は「あ、そう言うんですか、すみません」と、謝ることになる。
彼は、そのシチュエーションで、何が大切なことかの現実を理解し、そのために知恵を使い、すべきことをした。

中国が、あっという間に技術をパクって新幹線を売って回るのは、この全体理解力があるからだ。
逆に、日本がパクられて、インドネシアで負けたのは、正確さにこだわったからだ。

ほんの少し前まで、日本人も、この現実感で動いていた。ところが、高度成長で成功した頃から、社会全体が守りに入り、旧態維持だけに注力するようになった。
それがマニュアルであり、前例主義であり、保証や担保、裏付けの要求となり、失敗を叩き、失敗を恐れるようになった。
今日の臆病な企業体質も、この教条主義であり、実はバブル崩壊前から始まっていた。

コンビニの中国人店員の臨機応変ぶりは、ヘタをすれば、単なる思い込み、早トチリの失敗を招きかねない。しかし、今の日本人に必要なものこそ、失敗を恐れぬこの、イケイケの、やる気ではあるまいか。


無言の真

2015年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

VWの不正と、トヨタのブレーキ問題の比較は、どちらも国民性が表れているようで面白い。

トヨタの場合は、意図的ではなかったが、曖昧さや反応の悪さが災いし、誤解が広がり、名誉挽回に時間が掛かった。言い訳はせずに、ひたすら誠意を見せようとした。

VWの場合は、何から何まで合理的だ。目的を持って不正をし、しかも、不正にまで高い技術を駆使した。不正の指摘に対しても、トコトン抵抗し、バレたら、素早く徹底的に謝り、一部の社員のせいにしようとしている。

この態度の違いは、いわゆる「歴史問題」に対する態度と、全く同じだ。
日本は、悪意ではなかったことを解ってもらいたいため、言い訳はしないが、曖昧な謝り方をして、実質的な誠意で理解してもらおうと時間をかけた。
これが今日、中韓の理解できないところで、同時に、付けいる隙となった。

ドイツは、徹底的なことをやりながら、完全に破綻したとたん、一部のドイツ人=ナチスのせいにして、大々的に謝って見せた。

日本人としては、日本の方が、ドイツより誠実だと思う。
しかし、世界は日本人が考える以上に単純だ。目に見えるところで判断する。ドイツの方がよほど世界原理なのだ。

が、だからと言って、世界は、複雑なことが理解できないと思ったら大間違いだ。むしろ、現実の複雑な裏を知るから、目に見える表面を単純化して、互いに付き合っている。
日本人は、この世界原理に対し、自分たちの内輪の一貫性、つまり、均質な価値観と思考方法からしか、世界を理解しようとしない。「誠意」に言葉は要らないと信じている。
だから、責められれば責められるほど、沈黙しようとする。

誠実さを見せるには、言葉は邪魔になると考るのは、心と現実は同一化できると信じ、最終的には、誰もが一つの現実を理解するようになると信じているからだ。
「真心は通じる」と

狭い日本ではそれも可能だったが、広い世界は、互いに知らない者同士だ。心や本音を解ってもらい、同化することなど不可能だと考えている。
だから、共存のためには、「嘘でもいいから」表面だけでも合意、一致したことにする。日本人がそれを理解できないのは、日本はそれだけ極楽だったということだろう。

日本人の沈黙
ところで、このたび、忍者に関係のある県が連携して、地域興しをするそうだ。
海外で忍者が人気するのは、日本の神秘性を感じさせるからだが、本来、秘められたものを表面化させて扱えば、それはもう神秘ではない。こういう扱いは忍者の価値を落とすことになる。いわゆるディスることになる。

忍者は、本来、「ニンジャ」ではなく、「しのびのもの」だ。「ニンジャ」は漢語だが、和語なら「しのび」のもので、忍者の神秘性はそれでこそ高まる。

「しのび」の「し」は、「シーッ!」「シーン」と言う時の、「し」に通じる。
「しずか」「しめやか」「しのぶ」「しぬ」「しる」「しみじみ」「しじま」「しみる」「しま」・・・など、
音はしないが、確かに存在していることを表す言葉であり、
もしかすると、「しし」や「しか」なども密やかなことに関係しているかも知れない。

音を立てない、実在や実力は、「男は黙って」のように、日本人の感性であり、真(まこと)のあるものに音は要らない。音や言葉は不実であると信じる日本人の価値観は、現代の国際社会では直ちには評価されないが、そう信じている日本人の姿が、徐々に、世界に認められつつある。忍者もその一つだ。

地球が狭くなり、世界全体が島国日本のようになってきているからだ。嘘をついても結局はバレるという認識が、情報の世界共有化で広まりつつある。
昔なら、旅の恥はかき捨て、所変われば品変わるの常識や、大盗賊が英雄になる物語が通用した。しかし、もはや、そんな時代ではない。嘘はいずれバレる。
VWの巧妙な嘘は莫大な対価を払うことになり、未だに情報統制を試みるような国もやがて破綻するだろう。

日本の役割
近頃、言った者勝ちの世界原理に苦しんだ日本人の中には、「黙っていては馬鹿にされる、認めたことになる」と、積極的に発言しなければと考える人が増えている。
そして、負けてはいられないから、世界方式に倣おうと、単純に日本の「沈黙」の逆をやれば良いと考え、どこかの国のように、積極的に噛みつき、抗議する局面が増えた。

しかし、それは、よけいに世界に誤解されることになる。本当の世界原理を理解もせず、口数だけ増やして騒ぎたてるだけでは、せっかくの日本の叡智、美徳を失い、むしろ、強請国家以上に、情けない国に成り下がってしまう。

世界が徐々に、沈黙の誠意を理解し始め、雄弁は銀から、沈黙は金に変わりつつあることを良く理解し、日本は、本来の日本の「誠意」を磨き直し、率先して、誠意を実践していく時ではなかろうか。


トラゴマ

2015年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、80年頃だったと思うが、ある小企業の社長が接待で、取引先の女性社長と食事した時のことをグチっていた。
その人は、ラー油が好きで、常にラー油を持ち歩いていて、出てくる料理にことごとくラー油をかける。
『うえっ、うえっ』と思っていたが、終いに、ご飯にまでかけたのを見て、
「吐き気がした」と、今にも吐きそうに話していた。

その時は、世の中にはいろんな好みがあるから、そういう人もいてもおかしくないな、ぐらいに聞いていた。
その後、「マヨラー」が話題になったが、これが元祖「ラ王」、「胡麻ラー」だ。

近頃、胡麻ブームで、やたら胡麻が使われる。
胡麻が健康に良いのは知っている。長寿効果もあるそうだ。食べ物に好き嫌いは無いし、胡麻が嫌いなわけでもない。
しかし、何でも胡麻を使えば良いというものではない。

総菜を利用する者としては、サラダぐらいは我慢するとしよう。パンも我慢する。食べなければ良いだけだ。だが、酢の物には片っ端から入っている。この辺りになるとだんだん我慢できなくなる。煮物にも入っている・・・もう、いい加減にして欲しい。

先日、「当店特製」と書かれたサバ寿司を買って、食べようとして驚いた。
酢飯に胡麻が混ぜ込んであるのだ。
今更、返しにも行けないし、食わず嫌いはいけないと思い、食べてみた・・・
これはこれで、美味しいと思う人には美味しいのだろうと、理解はした。

だが、サバ寿司に、何の断りもなく、「胡麻を入れるな!」
サバ寿司だと思って買ったのだ。口がサバ寿司を待っている時に、胡麻入りに気づいた時の、「怒り」・・・解ってもらえるだろうか

当然、二度と買わない。しかし、総菜を買う時、胡麻の恐怖がトラウマになった。


古代より

2015年10月04日 | 占いばなし

インドネシアの高速鉄道。案の定、中国の逆ギレが始まった。「日本は中国に敗れたことを口実に、日本国内に中国嫌悪のキャンペーンを張っている」と、きた。
「やましいこと」があるから、勝ちに喜ぶ自国民の勢いに乗り、先に日本攻撃をすることで、内外の批判勢力の口を封じ、国内の懐疑的な目を押さえ、一点の傷もない成功に仕上げようということだろう。政府見解にわざわざ「透明性が高い交渉」と付け加えた。

中韓のやり方で、どうにも理解できないのは、勝ったことを確定するために、落ち武者狩りをやることだ。
どういうやり方であろうと、勝ったのならそれで良いではないかと思うのだが、後ろめたさがある時ほど、声高に、敗者をバカにし、攻撃する。
スポーツでも政治でも、負けた相手をバカにすることで、初めて勝ちが確定するらしい。中国の場合、正々堂々と勝った場合は、そうでもないが、後ろめたさがある時は、冊封国のような、みっともない態度を取る。やはり似たもの親子だ。

日本に対し、敗戦国らしい態度を取れと、70年後の今も執拗にまくし立てるのは、自らが、正統な抗日主体ではなかったからだが、「正史」を書くには欠かせない。
今回の態度も、ムチャをやっていることを自覚しているからだが、騒げば騒ぐほど、正体が現れる。それでも、不安で、黙ってはいられない。

中国共産党の正体は、関心の無かった人にまで、もう世界中に知られてしまった。
世界が近代の目覚めから、個の尊重の未来に向かっている時に、食うか食われるかの動物的、古代の戦場から飛び出してきた、兵馬俑のゾンビ戦士だ。

陽にさらされた妖怪は、ガスを吹き出しながら消滅してしまう運命にある。
それでもなお、中国に期待して、中国から引き揚げない経営者は、もしかすると、現代人の認識を超えた、超人的な先見の明があるのかも知れない。これはこれで恐るべしだ。

中国共産党は、仮の姿だが、古より変わらぬ中国人の哲学は、どんな時代だろうが、どこに行こうが、儲けてなんぼだ。政権、政治、ルールや正義などどうでも良い。それは環境に過ぎない。どんな環境だろうが、それに合わせて生きれば、儲けは出る。インドネシア高速鉄道も、大局の儲けを見込んで獲得した、狐と狸の化かし合いだ。
それでも中国に期待する経営者は、毒が回っているか、商の大局観を持つ偉大な哲人だ。

星座の因縁
中国の原理を見ていると、やはりユダヤ人と裏表のところがある。
中国はカニ座で、ユダヤやインドはカニ座と裏表の関係になる山羊座だ。
国と民族と商才という点で、共通項がある。商のリアリズムは共通するが、拠点とする大地を持つカニ座の中国、国を持てなかったユダヤ、たどり着いてもなお安住しないインド(死生観)、
いずれも、民族と大地に対するこだわりを持ちながら、生きるために、どこまでも移動して生活する。
カニ座は故郷と先祖を表し、山羊座は野心を表す。


要注意日

2015年10月03日 | 占いばなし

スーパーで、男の子が
「誕生日だから、買ってーッ」
と、頼んでいるが、お母さんは知らん顔で行ってしまった。

帰ったら、ニュースで、盲導犬を連れた視覚障害の人が、バックしてきたトラックに轢かれて死亡し、盲導犬も死んだ。盲導犬は今日が10歳の誕生日だったそうだ。
もちろん、亡くなった人についても解説していたが、盲導犬は誕生日だったことがニュースなのだろう。

今日が誕生日の人は、あまり良い事が無かったようだ。
何時も言うように、誕生日というのは、あまり良い日ではない。
盲導犬も、勘が狂ったのかも知れない。

夏じまい」、「ワイルドだど


真空地帯

2015年10月02日 | 自動車人間学

維新の発起人の橋下市長は、国会議員とはやれないと、離脱再結成をするらしい。
詳細な経緯は良く知らないが、これは、自動車人間のガソリン気質が影響している。
ガソリンは、天才的集中力のため、他人の思考とは共存できない。
宇宙ロケットのように、特化された精密機器ほど、部品の使い回しが難しい。

ガソリンの経営者の下では、本人の思考にピッタリ一致した言動しか許されないため、部下は、ピリピリして過ごす。結果的に、独裁者になり、天才的思考がハマまっている時は破竹の勢いだが、一度狂い始めると一枚看板はもろく、一気に崩れ落ちる。
典型的な例がヒトラーだが、天才と言われる経営者にはよく見られる。

ただ、面白いことに、ガソリンが頭角を現すのは、意外と、独立独歩の目的意識を持ったたたき上げではない。初めは、主軸リーダーの、ちょっとした知り合いだったり、メンバーの一員だったりするが、いつの間にか、祭り上げられるような格好でリーダーになっている。
橋下徹の場合も、マスコミ媒体を通しての「人気」に乗っかって頭角を現したタイプで、ガソリンは、何らかの形で最初に引き立てる人がいなければ存在できない。ここが、エンジンでもシャーシでもない、形を持たない「気」のエネルギーだ。
ちなみに、石破地方創世相も、辻元清美も稲田朋美もガソリンだ。

ヒトラーのような典型例は特別としても、政治は衆意を実現させるものだから、妥協と共存が基本であり、個人の天才は必ずしも生かされない。だから、結局は衆愚となり、それが極まると、リーダーシップの不在となり、そうした真空地帯には、突然、ヒトラーのような悪魔的天才が出現することになる。
今、政治の真空地帯が、アメリカを始め、世界中に蔓延している。


ドジョウ

2015年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

安倍政権は、気合いを入れ直して経済対策をすると意気込んでいるが、安倍ちゃん自身が裏目に入った。  「裏目の時
各種の経済指標が落ちてきて、アベノミクスは正念場だと懸念されている。

裏目に入ると、それまでうまくいっていたこと、自分の得意分野ほどうまくいかなくなる。逆に、得意でもないことで、好結果が出る。そしてそれが、悪運の種まきになる。
一白、申酉空亡の安倍首相の得意分野は、「ムードづくり」だ。

金融緩和で、円安を誘導し、株価を上げたが、相場はムードで動くものだから、これは大当たりをした。しかし、飾り付けや昭明でお祭りムードが高まっても、実体が動いていなければ、場外で、ドカーンと音がしたり、雨が降ってくれば、会場は一度にしらけてしまう。

一白の苦手なことは、基礎を打ち込んで家を建てる、辛い汚れ仕事だ。絶好調の時はごまかせたが、裏目になれば、一瞬にして照明が消えて、元のみすぼらしい廃墟があらわになる。そこで、さらに拍車をかけて、光り物、鳴り物を持ち込んでも、既に誰もが気づいてしまっている。

人間、裏目になったら、自分の得意技を引っ込めた方がいい。一番良いのは、一端、雲隠れすることだが、責任者としてはそうも行かないから、これまで、自分に反対してきたような人に、謙虚に相談をし、事実上その人に任せることだ。生きてるように見せて、死に体になることで、事業を継続できる。そして、それを見ながら反省と勉強をする。

しかし、今の今までうまくいっていたのに、裏目など考えることもできないから、当然、責任者として、努力する。それが、ますます事態を悪化させる。
アベノミクス第二弾とやらは、ムードづくりのための新しい目くらましだが、正にそれが、いけない。
ムードに魂を入れ、実体化させる事こそ、辛い汚れ仕事だ。それができないから、また同じ手を持ち出している。二匹目のドジョウより、元のドジョウを柳川鍋にして欲しい。自分でできなければ、できる人を利用してでもだ。