魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

現実理解

2015年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

電車のワンデイチケットを良く利用するが、バスにもあるので時々利用する。
先日、バスを乗り換えて利用する必要があったので、コンビニに入って、
「バスのワンデイチケット有りますか?」
と、たずねると、店員が
「え、あ、すみません」
と、問い直す。見ると名札に「劉」と書いてあったので、
「バスの、ワンデイ、チケット、ありますか」
と、嫌みにならない程度に、ハッキリしゃべると、
「あ、はい。少々お待ちください」
と、言って、向こうのレジの店員の所に行き
「バスの一日乗車券は、どこですか?」
と聞いて、収納ケースから一枚出して、持ってきてくれた。

極めて頭が良いことに感心した。
そうでなくても聞き取りにくい日本語を理解し、教えられていた「一日乗車券」に訳し直し、それがあったことを記憶していて、先輩に聞いた。
ここが中国人らしい、臨機応変の現実理解だ。

近頃の日本人は、マニュアル通りでなければ動けない。
仮に理解しても、「一日乗車券ですね」と、念を押す。それは確実性を高めるためには有効なことだ。だが、それは、マニュアル上の正確さで、自分の職務のロボット的遂行の段取りに過ぎない。客は「あ、そう言うんですか、すみません」と、謝ることになる。
彼は、そのシチュエーションで、何が大切なことかの現実を理解し、そのために知恵を使い、すべきことをした。

中国が、あっという間に技術をパクって新幹線を売って回るのは、この全体理解力があるからだ。
逆に、日本がパクられて、インドネシアで負けたのは、正確さにこだわったからだ。

ほんの少し前まで、日本人も、この現実感で動いていた。ところが、高度成長で成功した頃から、社会全体が守りに入り、旧態維持だけに注力するようになった。
それがマニュアルであり、前例主義であり、保証や担保、裏付けの要求となり、失敗を叩き、失敗を恐れるようになった。
今日の臆病な企業体質も、この教条主義であり、実はバブル崩壊前から始まっていた。

コンビニの中国人店員の臨機応変ぶりは、ヘタをすれば、単なる思い込み、早トチリの失敗を招きかねない。しかし、今の日本人に必要なものこそ、失敗を恐れぬこの、イケイケの、やる気ではあるまいか。