魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ビジョン(2)

2010年07月19日 | 星の流れに

No.971

還暦60年前のイメージと現在。
昭和25年、朝鮮戦争は南北朝鮮に引きずり込まれた中ソと西側の、事実上の直接対決だった。

いま、青息吐息の日米と、鼻息の荒い中国の、国連の場での直接対決に加えて、朝鮮半島周辺で軍事上のつばぜり合いも起こっている。
ロシアは虎視眈々と漁夫の利を狙っている。

東西冷戦は、昭和22年のトゥルーマンドクトリンで顕在化し、昭和24年の中華人民共和国建国、翌年の朝鮮戦争へと続く。
半年ぐらいは前後しているが、イメージは大体再現されている。

核が現れるまでの世界は、軍事力がベクトルを支配していた。
皮肉にも、その後は、核抑止のもと、あからさまな軍事衝突で、物事は解決しなくなった。経済力こそがパワーゲームの主体になり、戦争はビジネス問題になった。

今、起こっていることは、建国当時そうであったように、中国は勢い余って、損得を顧みない拡張をしようとしている。
だが、「極まれば転ずる

昭和25年以降、アメリカはヒステリックに赤狩りを始め、双方大損失の狭間で、日本は復活していった。
時代の変わり目を理解しない毛沢東の硬直が、やがて、中国の衰退をもたらす。

現在の中国は胡錦涛の賢政で、どうにか上手く進んでいるが、軍事独裁国家は、進むのも速いがコケるのも速い。
7~8年後が毛沢東の失政の始まりとなるが、胡錦涛政権はまもなく代替わりする。

戦後10年=昭和20年代。食糧難で、みな家庭栽培をしていた。引き揚げ者の開拓入植も広がった。
今、エコブームとして、家庭菜園が流行り、失業対策や産業転換として、農業ビジネスが広がっている。
事情も趣も違うが、イメージ現象は同じだ。(自動操舵

5年後は昭和30年。日本は復興するのだろうか。

再来再見


ビジョン(1)

2010年07月19日 | 新鎖国論

No.970

天王星。84年前のイメージはどう再現されるのだろうか。
昭和初期は政党が政争に明け暮れているうちに、世界的な利権確保のブロック経済が進み、力ずくの利権争いの中で、軍部の力が強まり、最終的に昭和13年の国家総動員法、15年の大政翼賛会と、政治が自滅した。

第一次大戦後の金融恐慌、関東大震災から大恐慌への10年。そして、その後の10年。大きな波の中で、政治は混乱するばかりだった。
結局は、軍部や財閥の生命活動に引きずられ、「祭り」ごとの茶番を繰り返した。

今の政治状況。うっとうしい歳月の中で、国民は誰でも良いから何とかしてくれと思っている。昭和初期も、軍部の暴走や国際連盟脱退などに国民は賛同し、冷静な論調が影を潜めた。

中国や北朝鮮の強引な「外交」に、日本人は非常に過敏になっている。
冷静に考えれば、軍事より、経済バランスの方が重要であるにもかかわらず、経済対策の無策への苛立ちが、軍事問題への単純化に、目が引き寄せられていく。

ビジョン
この重大な岐路で、政治は泥仕合より、国民に目標を提示すべきだ。
「所得倍増」私は嘘は申しません!
あの時、池田勇人は偉かった。

昨日のNHK「ほ乳類の戦い」でも、ほ乳類が生き残ったのは、恐竜のような大量消費体質ではなかったからだと言っていた。
産業革命パラダイムとは、まさに、恐竜時代だった。そして、所得倍増の日本は、経済大国の恐竜になった。

今、日本が目指すものは、一刻も早く恐竜を止め、鳥か、ほ乳類になるために、自己完結型のコンパクトな島国精神を思い出すことだ。
コアな日本「新鎖国主義」こそが、壮大なビジョンではなかろうか。

バカでかいアメ車は滅んだ。日本の軽自動車は誰にもマネできない。エコカーへの飛躍。
これからの時代は、「小さいことは良いことだ」が目標になる。
「小日本」とバカにしながら、遅れて来た恐竜は、やがて滅ぶ。

言霊立国