魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

むしろ旗

2012年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

オスプレイで日本中大騒ぎだ。
これも原発と同じで、知らぬが仏というか、原発事故が起こるまで、こんな危険物を日本人は有り難がっていた。そのくせ、事故が起こった途端、ヒステリックに反対している。活断層が有るの無いのと今さら言っているが、問題は「エネルギーをどうするか」であって、原発の好き嫌いの問題では無い。

オスプレイを入れる入れないと言っているが、問題は「安全保障をどうするか」であって、危険でない武器など無い。例えば、日本に核を持ち込ませないなど、真面目に現実直視をすればあり得ない話で、今さら騒ぐまでも無く、当然、、入っていただろう。

原発安全神話とか、非核三原則とか、現実を直視しないお為ごかしで、「寝た子を起こさぬよう」にアヤされていることに気づかず、あるいはそれに甘えて、むしろ、加担者にさえなっていながら、一度、事が起こると、「ウワーン」と泣き叫ぶ。
これでは、全く子供と同じ、あるいはそれよりまだ悪い、家畜並にあしらわれる愚民だ。

原発は15%もくそもない。「まったく違う道を選ぶのか、危険を知りつつ立ち向かうのか」きっぱり、けじめを付ける問題だ。
何%が理想ですか?という設問自体が、国民を愚弄している。こんな態度がまかりとおるのも、国民が主体性を放棄してきたからだ。

オスプレイの危険性など、米軍の言う通りヘリコプターより安全かも知れない。
問題は、日本は丸腰外交をするのか、するとすれば具体的にどうやってするのか。できないなら、米軍依存か自主防衛か。
先ずはそういう「国家戦略」の問題こそ語られるべきで、オスプレイかメスプレイかコスプレかの問題では無い。
矮小マスコミの問題矮小化に国民が引っかかっている。ウンザリだ。

民主主義への成長
原発でデモが起こると、「デモの無い国、日本でデモが起こった」と、デモの盛んな国、韓国の新聞が、仲間ができたと喜んでいた。

統制の厳しかった江戸時代から、日本は元来、一揆やデモの盛んな国だったが、70年を境に、憂さ晴らしでは何の解決もできないことに気づいた。もはや、「お上の温情を引き出す一揆」の江戸時代では無い。

しかし、この成長が「しらけ」になり、政治無関心となって、40年の政治不毛を招いた。デモの消滅が、草の根から政治に直結する、「手作り民主主義」への成長につながったわけでは無かった。

民主主義を放棄して眠っている間に、不毛政治と利権の癒着による、原発事故の大事件が起こり、慌てて目覚めては見たものの、寝とぼけて走り回るだけしかできない。

原発だ、オスプレイだと政治屋に文句を言う前に、地域地域の人が立場を越えて自分達の望むあり方を議論し、政治目標に結集させ、既存政党と決別した、独自の政治目標を掲げた政党を立ち上げる。
それは「新エネ党」でも、「国軍党」でも、「人類党」でも、何でもいい。自分達の信じるところを結集させ、連携し、国政を動かそうとしてこそ民主主義だ。
幕末には各地の民衆がそれぞれ立ち上がったが、一揆では無かった。政治が無能な時には、草の根から知恵と力を出すしか無い。

つまり、これまでそういうことを放棄して、政治屋をお上のように、お願いする対象と考えてきた。だから、騒ぎまくることしかできない。
自分達で、無能な政治屋を駆逐する行動を、着々と積み重ねるのが本筋だ。
今の、原発騒ぎやオスプレイ騒ぎは、日本の民主主義の未熟を曝しているだけで、涙が出るほど情けない。

今日は、ちょっと、腹を立ててしまった