死人の髪(カミ)は伸びるそうだが、だんだん近づいているのか、年を取るほど髭(ヒゲ)が濃くなるような気がする。
髭というのは元来、ライオンのたてがみのようなもので、男らしさのアピールのためにあるのだろうが、産業革命パラダイムで、安全カミソリが大量生産されるようになってからは、髭を剃るのが文明人の身だしなみになった。(大草原、難行苦行)
水事情の悪いアラブ諸国のようなところでは、いまでも髭は男の身だしなみで、髭を生やしてない男はみっともなくて、見ている方が恥ずかしいそうだ。
慣れというのは、恐ろしくも滑稽なもので、見慣れたスタイルと違う格好をすると、周囲からは非難されるし、自分もそわそわ落ち着かなくなる。
文明開化で髷(マゲ)を切るようになった時、断髪令以前から、総髪や散髪していた人が相当いたようだ。初めて西洋式の散髪を見た人は、相当違和感があっただろう。ビートルズのマッシュルーム・カットも、当初は世界中が大騒ぎで、若者がマネをすると、年寄りが怒り出し、至る所で混乱が巻き起こった。
何時の時代も若者は、新しいものに挑戦する。しかし同時に、旧概念を守ろうとする若者も必ずいる。保守の若者も、新しいものを否定する年寄りのように、旧概念を守りたいのではない。若者にとっては、旧概念も新鮮であり、どちらの側であれ、新しいものへの挑戦なのだ。
理想に向かうことは、エネルギーにあふれる若者にとって、当然のことであり、新旧の入り口の違いにかかわらず、より良い結果を模索すればいいのだが、残念なのは、自分の衝動の意味に気づかず、姿の違いにとらわれて対立し、消耗してしまうことだ。
明治維新の混乱の後、あるいは、家康の天下統一の後、志を失わなかった人々は、敵味方にかかわらず、協力して国家建設に当たった。
対立感情にとらわれ理想を忘れる人は、何時の時代も必ずいる。大乱の後には、西南の役や五稜郭、島原の乱のような、意地の戦争がつきものだ。負け試合の後のフーリガンのようなもので、今の政局混乱も、ほとんどこれだ。
また、倒閣運動が成功しないのも、理想の無い年寄りの抵抗だからだ。見慣れないスタイルに戸惑い「変な髪型を切れ!」と怒鳴っているだけで、新しい方向性を打ち出すわけでもない。試合に勝てないのは髪型のせいだという監督のように、何の根拠も、説得力もない。
身だしなみ
志のない人は、見た目、形にとらわれる。
世の中が、停滞している時には、ファッションや髪型は変わらない。
混乱が起きると、異様なスタイルが流行りだす。それは、人々の中に熱気と志がわき起こるからだ。
フランス革命後の女性の短髪は有名だが、冷戦下のベトナム戦争にはヒッピースタイルや、ミニスカート。不況下の丸刈りなど・・・
「常識にとらわれていてはダメだ」という気持ちが、思い切ったスタイルの変化になった。
しかし、どういったファッションにしても、身だしなみを整えるには、大変な労力がいる。化粧と言えば、女の仕事のように思われているが、宿命的にオシャレに気を遣わなければならないのは、オスの方だ。
髭が伸び、頭が禿げるのはセックスアピールで、本来、ヒゲを剃ったり冠り物をするのは、鷹の爪隠しなのだが、モノセックス化する現代では、ヒゲ、ハゲ、体臭は、隠すのがスタイルの常識で、ヒゲも刈り込みで整えなければならないし、ハゲは笑いものになる。
オシャレに費やすエネルギーは、社会的にも大変なものだが、個人的には必ずしも楽しいものではない。スイッチオンで変身できればどんなに楽だろう。髪や髭が伸びるたびにそう思う。
これだけ特殊メイクが発達したのだから、ヅラなどケチなことをしないで、頭からスッポリかぶれる、美人マスクや男前マスクはできないものだろうか。
→「一髪解決(2)」