魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

十万馬力

2011年07月31日 | 自動車人間学

菅叩きもたけなわだが、もうこれ以上ないと言うほど、悪菅ぶりが出てきて、中には「極左」だと言う人もいる。

しかし、自動車人間的観点からすれば、そんな「立派?」なものではない。
だいたい、「極左」とはどういうものなのかよく解らないのだが、
徹底した思想や信条に基づいて行動するなら、「極」と言えるかも知れないが、共産主義者ともアナーキストとも思えない。

左翼というなら、この世代の、いわゆる「心情左翼」とか「ムード左翼」に属するのだろう。
共産主義革命を目指したわけでも無さそうだし、徹底した反戦や反核平和でもなさそうだ。もちろんそれも含むとは言え、女性運動から出発した人だ。(この辺りがいかにも天秤座なのだが)
あえて言えば、中道左派社会改革派「のようなもの」だろうか。
よく解らない??? とにかく、極左には当たらないだろう。

自動車人間のエンジンは、よく働く
目の前に「やるべきこと」があると直ちにやってしまう。
ひたすらガンバルが、何の為に頑張っているのか考えない。
行動に、原理や理想はなく、計画も作戦もない。業績を誇る為でも、いい顔をする為でもない。「そこに山があるから登る」のだ。
とにかく、すぐ結果を見たがるために、大きな目的を忘れてしまう。というか、大きな目標をイメージできない。

政治家が好きな「為にする」ということが全くない。そのことが、かえって、政界やマスコミの、違和感と不快感をかき立てる。
それまでの政治の常識が、全く通用しないからだ。

「ありえない」事が次々起こる。
何の予告もなく、予定が覆される。いわば、事後承諾で、独断専行する。スケジュール発表もない。周囲は、ますますわからなくなる。

自動車はエンジンが無ければただの飾りだ。シャーシもボディーも
エンジンの行動力には歯が立たない。だから辞めさせられない。

しかし、もし協力して利用する気なら、エンジンほど扱いやすい能力はない。右と言えば右に、左と言えば左に、目一杯動いてくれる。

何か問題があるとすぐ改める。必要ならすぐ謝る。署名をしてくれと言えば確かめずにするし、お金が要ると言えば、「いいよーっ!」と金を出す。問題があればやり直せばいい、と思っている。本当の意味で、「やり直しのできる社会」を実践する人だ。

やはりエンジンの鈴木宗男と同じで、おそらく今日まで、政界の便利屋として重宝がられてきたのだろう。
しかし、パワーは制御して初めて使い物になる。もし、カートに500馬力エンジンを載せたら、カートは潰れて、エンジンが飛び跳ね、怪我人が続出する。

今のこの事態を招いたのは、エンジンという「形無し」に協力したくない、お体裁屋のボディー達、つまり政界とマスコミだ。

ところで、忍の字と涙で話題の海江田万里経産相は、「見せ上手」のボディー魚座だ。エンジンには腹が立つが抵抗できない。