魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

表裏一体(1)

2011年07月03日 | 占いばなし

「5年前から良い運に入りました」と、言うと
「でも、その間に両親が亡くなりましたが」と言われた。
そこから、少々長い説明が必要になった。

まず、良い運という場合、正しくは、強い運と、幸せな運がある。
良い時期と親の死が重なる人は、強い運だ。
親が死んで運が悪くなるのは、幸せな運の人だ。
世間的には強運とされる人でも、実は幸運の最大級の人もいれば、幸運と言われる人も、強運で得た結果だけでそう見られる人もいる。

何らかの結果を出しても、何か大きなものを失うような人は、強い運の人で、スペシャリストに多い。
スポーツ選手などが、試合の直前に親が死んで、金メダルを手にしながら「天国のオトウサン見ていますか」といったケースは実に多い。
選手は若いから、一般と比較して、明らかに若い時に死別している。

一方、田中角栄のようにお母さんが亡くなったとたん、バタバタと運が悪くなる人もいる。これは幸運型の最大級で、秀吉などもこれに当たる。

誰でも、親は何時か死ぬ。親の死が、開運につながる人もあれば、ケチのつき始めの場合もある。
立派に成功していながら、両親が健在で交流のある人は、幸運の人であり、生死に関わらず、早くから親に離別する人は強運の人だ。

昔は、養子で親と別れることが多かったが、多くは、それによって開運している。吉田茂などもその例だ。
最も開運した人といえば、お釈迦さんだろう。生まれたとたん生母が死んでいる。

強運の人は、人生において、何らかの壁をぶち破っていく。
幸運な人は、様々な人に好かれ、引き立てられて出世する。
田中角栄や秀吉は、敵らしい敵を作らなかった。
吉田茂などは敵だらけだったし、戦国武将の多くは親兄弟と対立、離別している。
お釈迦さんなど、何から何まで失って、悟りを得た、スペシャリスト中のスペシャリストだ。

親の死と良い運が重なる人は、親が死んで、そこから本当の自分の運が始まる。
親が死ぬことで、ガックリする人と、シッカリする人の違いが出る。
親が死ねば、怒る人も喜んでくれる人も居なくなり、それを自由と考えるか、張り合いが無くなるかが、強運と幸運の違いだ。

60も過ぎて親が健在の人は、幸運の人であり、親も自分の運の一部と考えて、大切にした方が良い。若くして、親を失った人は、自分の人生はいよいよこれからだと、気合いを入れ、早く亡くなった親に感謝して生きれば良い。親がなければ、プラスはないがマイナスもない。