魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

自然の子

2011年07月02日 | 動物

今年のツバメは、寒い春のせいか、来るのが遅かった。
ようやくやって来たものの、メスの勧誘に手間取ったらしく、巣に泊まるようになったのは、5月23日からだった。

2、3日すると、卵が一つ落ちて割れていたが、卵は抱き続けている。
何があったんだろう?

それから、雛が生まれるまで、異常に長く、例年より一週間ぐらい長く抱いている。
一個落ちた経緯から、もしかしたら、オス同士の争いで、ちゃんと交尾できず、無精卵を抱いているんじゃなかろうか。と、心配になって、気を揉んだが、どうにか生まれたらしく餌を運び始めた。

すると、また2、3日して、卵が一個落ちていた。今度は割れてない。
指が触れた途端、割れて、中はカチカチに乾燥して凝縮していた。
結局、雛は2羽だけだ。

2羽しかいないから、親が餌を運んでくるのもノンビリで、雛も、争うでもなく、5羽の時のような騒がしさもない。

それでも、栄養充分だったのか、生まれてからの成長は早かった。
6月30日に飛んだが、夜はまだ帰ってきて、日が暮れるまで親が餌を運んでいる。

初めて飛び立った日に、空き巣を除いたら、やっぱり、卵が1固残っていた。ちゃんと5固は産んでいたが、成長したのは2羽。
それでも、ヘビやカラスにやられた時から考えれば、まだ上出来で、出生率2.0と言うことになるが、難しい自然界を考えれば、日本の少子化より問題だ。

いつもいつも大変な目に遭いながら、毎年やって来るツバメに、ここは危険だぞと言ってやりたいが、ドリトル先生にはなれない。
巣が造れないようにしておこうかとも思うが、近頃は、手頃な環境が減っているとも聞く。

近くの大型店舗には、毎年、多くの巣が並んで、騒がしく子育てをしていたが、出入り口の真上だから、文句を言った客がいたのか、今年は、巣作りできないようにアミが被せてあった。
それでも、ここと決め込んだツバメが、アミの上に巣をかけ始めて、できあがったら、重みでゴロリとアミごと前にひっくり返り、ぶら下がってしまった。

「業」
それぞれ、様々な困難に遭いながら、全体には激減するわけでもない。個々の不幸では絶滅しないが、気候変動による環境変化の方が、繁殖適地の喪失や移動につながる。

人間も、病気や災害など、様々な困難に見舞われながら生きているが、そう簡単には絶滅しない。
人間にとって、最も危険なことは、目の前で起こる悲劇や辛い体験より、そうしたもの全てを巻き込みながら進んでいく、営みそのものの毒性だ。

セイタカアワダチソウは、ススキの繁殖地に毒をまき、ススキを滅ぼしながら繁殖し、ススキが絶滅すると、今度はその毒で自分達が亡ぶ。
人間は、考える葦だそうだから、このままでは亡ぶ、と気づく人はいるが、人類が方向転換出来るとは限らない。

温暖化問題をインチキだと言う人も、原発をやむを得ない選択だという人も、神の忠実なしもべだ。
自然の摂理である「滅びへの必然」に忠実に従い、抗おうとはしない。
人間が滅びるとすれば、それは神の選択なのだろう。