お店に梅が並ぶ季節になった。梅干しや梅酒用のセットもある。
何でも既製品が売られるようになった昨今だが、やはり自分で味加減を考えながら仕込んで、できあがりを待つ楽しみは格別なのだろう。
昔は、既製品がなかったから、何でも自家製だった。ことに農家は、味噌、醤油からコンニャクにいたるまで自家製で、餅や梅干しラッキョなどは当然だった。
幼児期から小学校低学年の頃まで、たびたび母の実家の農家に預けられていたので、農家の暮らしの中で育った。
季節ごとに、作り置かれる味噌や梅干しは、毎日の食卓に出て来るので、特に珍しい物ではなかったが、最も楽しみにしていたのは、干し柿だった。
祖母が出してくれる干し柿が楽しみで、何かと言えば、おねだりをするので、孫に甘い祖母は、結局、その都度、喜んで出してくれた。
ある日、祖母の留守中に、木箱にぎっしり詰まった干し柿を発見、と言っても、隠されていたわけでもなかったが、箱を勝手に開けたのは初めてだった。
最初は躊躇したが、お腹もすいていたので、一つぐらい良いだろうと、食べたら、うまい!
もう、子供の自制心など、あっけなく飛び去ってしまった。
憶えていないが、少なくとも20個ぐらいは食べたに違いない。
その後、叱られることもなく、一人で留守番をするたびに、干し柿のマイ・パーティーを楽しんだ。
当時は、食糧難の時代だったので、子供の栄養補給に、肝油ドロップを食べさせられた。本来、肝油は不味いものだが、ドロップにして飲みやすくしたものや、砂糖で固めたゼリー状のものがあった。
特に、砂糖で固めたゼリーは、直径1cmぐらい、黄色がかった、岡山土産の吉備団子のようで、1日、2~3粒食べさせられるのだが、美味しいからもっとくれと言っても、「薬だから」と、決してよけいに貰うことはなく、駄菓子屋さんのように、ガラスケースの入れ物にびっしり詰まったものが、棚に置かれていた。
で、当然これも、留守中に開けて食べたのだが、初めは、時々、一粒づつだったものが、だんだんエスカレートしていくのが人情だ。
見る間にガラスケースの水準は下がり初め、最後に、底が見えた時、さすがに、重大事態に気づいて、そこで止めてしまった。叱られたかどうかは記憶にない。
小学校6年の時、母が梅酒を作った。母は全くの下戸だったので、何を思って仕込んだのか、今もわからないが、多分、水で割って来客に出す、清涼飲料用に考えていたのだろう。
だいたい飲み頃になった頃に、水で割って飲ませてくれたのだが、初めて飲んだ、梅の香りと、甘酸っぱさが美味しくて、お代わりを頼んだが、「子供はここまで」と、入れてくれなかった。
ある日学校から帰ると、留守だった。麦茶を飲みながらふと、梅酒の大瓶があったことを思いだして、『そうだ、今のうちに』と、少しだけストレートで飲んでみたら、これが、甘さも濃いから抜群に美味い!
『一杯ぐらいなら、バレ無いだろう』とコップにナミナミとついで、グビグビと、甘さを楽しみながら飲み、思いの丈を果たして、満足した。
「さあーて、遊びに行こうか」と、表に置いてあった自転車にまたがろうとするのだが、なぜか、ちゃんと、またげない。
一所懸命、こぎ出そうとするのだが、「あれっ?」「あれっ?」
と、立つこともできない。
終いには、自転車ごと、路上に倒れ込んでしまった。
その後のことは憶えてないのだが、まあ、多分、家に帰って寝たのだろう。今もこうして無事だから。