魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

かけはし

2011年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

変なことばかりに遭遇する話(はてなの犬の人生)を書いたばかりだが、今日もまた・・・

うどん屋さんで、塗り箸を使いながら、ふと見ると・・・『あれっ?』
片方の箸が三角だ。
「これはこういうものですか?」と聞くと、
「えっ?まあ、申し訳ありません!」と慌てて取り替えようとする。
「捨てるのなら貰えますか?」と、貰ってきた。

話によると、これまで一度もそんな箸は無いし、未使用の在庫にも、一本も無いそうだ。

製造過程で欠けたのだろうが、そのまま塗装されて、製品になったのが面白い。
(下に写真↓)


これを書きながら、昨年の大河ドラマ「龍馬伝」の記念切手のことを思い出した。
たまたま郵便物を送りに行って、使うため「何んか、記念切ってありますか?」と聞くと、
「地域限定の記念切手があります。」と言うので、他府県に送るには喜ばれるかもと思い、日頃、記念切手など滅多に買わないのに、5シート買った。
そのくせ、結局、その時の郵便物には使わずに帰った。

2~3日して、テレビで、「龍馬伝の記念切手、著作権問題で販売中止」と言っている。
「え、もしかして、あの切手?」
聞いていると、その切手だ。お龍の肖像画の無断使用疑惑だそうだ。

何はともあれ、うかつに使えなくなったので、そのまましまい込んで忘れてしまっていた。あの龍馬騒動の顛末は、どうなったんだろう。

欠け箸(右の頭が欠けている)
Photo_2

龍馬伝記念切手(下段真ん中お龍の写真)
Photo_3


紙コップ

2011年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

5月27日、北海道JR石勝線の、特急おおぞらのトンネル内事故。
JRの膠着した運営管理で、あわや大惨事だったが、乗客の勇気と機転で免れた。まったく、日本全国、一事が万事だ。

テレビ・マスコミでは、菅総理辞めろの大合唱だが、そのマスコミに言わせると「意外にも」、内閣支持率は上昇し、小沢派や自民党の支持が下落した。

日本人がいかに見識が高いか、政治家やマスコミがいかに解ってないかが、ハッキリと表れた結果だ。
海外もこぞって、内閣退陣に懸念を表明している。
一言で言えば、「今、そんな時か」だ。

こと、ここに及んでも、政界のコップの中の嵐で騒いでいる。
本当に、どうしようもなく、日本のリーダー(のつもり)連中は腐っている。
炎に包まれた特急日本の運転席は、司令室からブレーキをかけられ、運転を替われ、替わらないと、車掌と運転手が乱闘をしている。

もう乗客は、こんな連中を無視して、自力で飛び出すしかない。
それでもまだ、車掌が告げる司令室情報を真に受けて、「運転手替われ」と車掌に同調している乗客もいるが、こんな乗客は、一緒に焼け死ぬしかないのだろう。

乗客は一刻も早く、自分達で飛び出すしかない。運転席の連中は燃えている車両など気にしていない。
乗客が飛び出せば、後からノコノコ付いてくる連中なのだ。

大多数の国民は、「誰がやっても同じだから、目くそ鼻くその争いなんか止めろ」と、嘆いている。
「目くそ鼻くそに期待できなくても、頭数なんだから、前を向いて歩け」と思っている。
自分達が、目くそ鼻くそだと解ってないのは、目くそ鼻くそだけだ。

どうすれば乗客は飛び出せるのか?
それが解らなくて、長きにわたり、日本中が手をこまねいている。
無党派と棄権率の高さからして、今の政治屋に、愛想を尽かしていることだけは明らかだ。日本の政治はとっくに破綻している。

何でこんなことになったのか、極めて悲観的な見方をすれば、
やはり、戦後日本の政権は、傀儡政権であったからではないのか。
親玉アメリカが、盤石で勢いがあった時は、国内は安定し、経済発展に専念できたが、アメリカの様子がおかしくなってくるに従い、要を失った。
あるいは、冷戦構造の突っ張りが外れたことで、存在意義を失い糸の切れたタコになってしまった。

どう転んでも日本は、今こそ本当に、草の根からの世直し蜂起が、全国的にわき起こる必要があり、それには、震災・原発では足りないと言うことのようだ。
日本人が本当に目を覚ますのは、結局、黒船と言うことなのか。


留守小僧

2011年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

お店に梅が並ぶ季節になった。梅干しや梅酒用のセットもある。
何でも既製品が売られるようになった昨今だが、やはり自分で味加減を考えながら仕込んで、できあがりを待つ楽しみは格別なのだろう。

昔は、既製品がなかったから、何でも自家製だった。ことに農家は、味噌、醤油からコンニャクにいたるまで自家製で、餅や梅干しラッキョなどは当然だった。

幼児期から小学校低学年の頃まで、たびたび母の実家の農家に預けられていたので、農家の暮らしの中で育った。
季節ごとに、作り置かれる味噌や梅干しは、毎日の食卓に出て来るので、特に珍しい物ではなかったが、最も楽しみにしていたのは、干し柿だった。

祖母が出してくれる干し柿が楽しみで、何かと言えば、おねだりをするので、孫に甘い祖母は、結局、その都度、喜んで出してくれた。

ある日、祖母の留守中に、木箱にぎっしり詰まった干し柿を発見、と言っても、隠されていたわけでもなかったが、箱を勝手に開けたのは初めてだった。

最初は躊躇したが、お腹もすいていたので、一つぐらい良いだろうと、食べたら、うまい
もう、子供の自制心など、あっけなく飛び去ってしまった。
憶えていないが、少なくとも20個ぐらいは食べたに違いない。

その後、叱られることもなく、一人で留守番をするたびに、干し柿のマイ・パーティーを楽しんだ。

当時は、食糧難の時代だったので、子供の栄養補給に、肝油ドロップを食べさせられた。本来、肝油は不味いものだが、ドロップにして飲みやすくしたものや、砂糖で固めたゼリー状のものがあった。

特に、砂糖で固めたゼリーは、直径1cmぐらい、黄色がかった、岡山土産の吉備団子のようで、1日、2~3粒食べさせられるのだが、美味しいからもっとくれと言っても、「薬だから」と、決してよけいに貰うことはなく、駄菓子屋さんのように、ガラスケースの入れ物にびっしり詰まったものが、棚に置かれていた。

で、当然これも、留守中に開けて食べたのだが、初めは、時々、一粒づつだったものが、だんだんエスカレートしていくのが人情だ。
見る間にガラスケースの水準は下がり初め、最後に、底が見えた時、さすがに、重大事態に気づいて、そこで止めてしまった。叱られたかどうかは記憶にない。

小学校6年の時、母が梅酒を作った。母は全くの下戸だったので、何を思って仕込んだのか、今もわからないが、多分、水で割って来客に出す、清涼飲料用に考えていたのだろう。

だいたい飲み頃になった頃に、水で割って飲ませてくれたのだが、初めて飲んだ、梅の香りと、甘酸っぱさが美味しくて、お代わりを頼んだが、「子供はここまで」と、入れてくれなかった。

ある日学校から帰ると、留守だった。麦茶を飲みながらふと、梅酒の大瓶があったことを思いだして、『そうだ、今のうちに』と、少しだけストレートで飲んでみたら、これが、甘さも濃いから抜群に美味い

『一杯ぐらいなら、バレ無いだろう』とコップにナミナミとついで、グビグビと、甘さを楽しみながら飲み、思いの丈を果たして、満足した。

「さあーて、遊びに行こうか」と、表に置いてあった自転車にまたがろうとするのだが、なぜか、ちゃんと、またげない。

一所懸命、こぎ出そうとするのだが、「あれっ?」「あれっ?」
と、立つこともできない。
終いには、自転車ごと、路上に倒れ込んでしまった。

その後のことは憶えてないのだが、まあ、多分、家に帰って寝たのだろう。今もこうして無事だから。


将棋再来

2011年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

31日のクローズアップ現代で、将棋ブームの話をしていた。
いま、将棋がブームで、中国までブームが広がっているそうだ。

天王星で考えると、まさに84年目の再来と言うことになる。
1924年が、日本将棋連盟の前身、東京将棋連盟が結成された年であり、今年は、天王星木星が牡羊座に来た1927年に当たるから、すでに、2~3年前から将棋の時代が来ていたことになる。

将棋は戦争ゲームだから、牡羊座で、ブームは当然だが、中国での広がりに見られるような、84年周期による、新たな展開が始まったと言える。前の84年が日本国内での成立なら、次の84年は世界化の時代になるのだろう。

牡羊座の時代は、何にせよ、新しい動きが始まる。今始まる動きが84年は続くことになる。自然エネルギーの時代もそういうことだ。

プロとアマチュア
ところで、将棋ブームの解説に出演していた、プロ棋士の人が、
「一般に、プロは何百通りもの手を考えていると思われがちだがそうではない。むしろ、直観的に要らない手を捨てて、有効な手に絞って考えている」
と話していた。
『プロの道は、何でも同じなんだな』と感銘を受けた。

プロと素人の違いは、「捨てる」ことにある。
素人は、目的が漠然としているために、価値判断が出来ない。そこで、無目的に、それに関わるものを片っ端から集める。どれが大切か解らないから、とりあえず残しておきたくなる。
何か学習する時も、知識だけは恐ろしいほどある。終いにはそれに関する辞書を作る人までいる。

スポーツでも、アマは勝ちたい一心で、全力を出すが、
プロは勝たなければならないし、見せなければならない。そのためには、無駄な力を使わない、最も効率の良い方法を考える。
学術研究でも、プロはニーズに合わせて答えを出そうとする。

プロとアマとどちらが優れているかと言えば、必ずしもプロが優れているわけではない。アマはプロが切り捨てたものも追求するから、思いがけない発見や、開拓をすることがある。
しかし、大半は、その人だけの世界であり、万人のため、後世に残さなければならないようなものは、滅多にない。

人生は、さまざまな思いで積み重ねられていく。その過程で出会う物が積み重なり、年を取ると、捨てられない「思い出の品」に囲まれることになる。

そうした、思い出の品を捨てられないのは、人生の素人だからだ。
人生の過程で、集められた品物は、何かの目的で集められた物ではない。たまたま、結果的にそこに残った物であり、後世に残さなければならないような物ではない。

一方、ある目的を持って生きてきた人生で、目的のため集められた物は、その人が死んでも、同じ目的を持った人の役に立つ物になる。
人生の達人は、人生の目的に供する物以外を必要としないし、その人の集めたものは、作家の資料書籍のように、後世に役立つ、残さなければならないものになる。

自分の身の回りにある物が、万人に役立たないような物であれば、その場で捨てるか、死んだら捨ててもらう物としてまとめておいた方がいい。

近頃、断捨離とか言う新興宗教のようなブームがあるらしいが、良く知らないので、もしかしたら重なる話かも知れないし、まったく逆の話かも知れない。

何はともあれ、自分自身は、人生の達人になれなくて、困っている


猿の惑星

2011年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

猿の惑星を初めて観た時、驚いた。映画として、よくもここまで人間社会への皮肉な目を持てたものだと痛快だった。
猿の神は猿の姿をしていた。

至る所に皮肉があふれる中で、人間の低脳を証明するために、猿の権力者が、「(猿の)法律を言ってみろ、言えないだろう!」という場面がある。手足を縛られた者に、跳んでみろと言うに等しい。

不可能なことをやれないから無能だ、と決めつけられる悔しさ。
この原作者の経歴を知って、納得した。
東南アジアの異邦の地で、第二次大戦に巻き込まれたフランス人で、レジスタンスに加わり捕らえられ、強制労働の刑を受け、その後脱走する。

あらゆる不条理を体験した怒りと冷徹な目が、皮肉に満ちた作品を生んだのだろう。「戦場にかける橋」も、このピエール・ブールの作品だ。

猿の常識を刺激すれば、猿は型通り反応する。喜び、怒り、興奮する。集団文化の内側の道理は、客観的には道理ではない。
しかし、その一方的な道理で測れば、人も猿に見える。

日本の政治やマスコミの世界には、人が猿に見えるらしい。

自分達が砂上の楼閣のような原発を作っておきながら、波がそれを押し流したからと、管理責任を追及する。
一体誰がそこに作ったのか。波が来た時、自分達は何をしていたのか。その後どんな協力をしてきたのか。内閣を倒し、自分達がそれに替わればその日のうちに解決するのか。自分達は一体、なぜ政権を追われたのか。

三重苦の大災害の最中で、有能とは言えなくとも、精一杯ガンバッテいる者に協力するどころか、後ろから石を投げる。手足を縛って飛べないじゃないかと罵る。
どんな言い分があろうとも、本当に国民のためを思っているとは到底言えないだろう。

国会は猿の惑星だ。
こんな地球にしてしまったのは、人間自身だったという映画のオチのように、この国会を生んだのは日本人自身であるという皮肉は、泣くにも泣けない。