「海老蔵は裸で土下座の写真を撮られているらしいな」
と、バカにしたような、興味津々のような話をしている人がいた。
『くだらない!』と思った。
おそらく、TVのワイドショーや週刊誌の記事が溢れているのだろう。
真偽のほどは知らないが、「世間」が寄ってたかって、ゲスな好奇心を膨らませている。
もとより、たかが、「かぶき」役者であり、そうした俗情を飯の種にするのが商売だ。そういう意味では、むしろ正統派ともいえそうだ。
人間国宝とか格式とか、歌舞伎本来の存在理由とは関係ないところに祭り上げ、立場や自覚を迫り、やっかんだり、非難したりする。
歌舞伎役者は道徳の先生でもないし、「ゲイジュツカ」の先生でもない。客を楽しませてナンボだ。
もし、裸で土下座がホントなら、素晴らしい。役者魂ここに極まれりだ。人生を演じて尽きることがない。裸で土下座という「世間常識の最低」の価値など、超越している。
その意味で、「ゲイジュツカ」ではなく、芸術の世界の人だ。
芸術とは、社会の停滞や膠着を刺激し、活性化させるものであり、常識という老廃物を破壊するものだ。
裸や土下座を恥ずかしいと思うのは、固定概念そのものであり、そんな感覚では、役者にも物書きにもなれない。
もっとも、そういう人にすれば「なれなくて結構」と言うところだろうが、ドラマや小説が好きなのはそういう人々なわけで、
これはやはり、心の老廃物をリフレッシュしたい、無自覚な願望があるのだろう。
海老蔵は射手座だが、射手座は、詩人だと言われている。
詩人は現実より遠くの世界に生きて、いまの世界に啓示する。
だから、言葉使いはストレートで、時には非常識であり、時には人を怒らせ、時には心を打つ。
俗世から逃避したいのか、酒好きの射手座は、酒で失敗する。
尾崎豊は泥酔で死亡。大地喜和子は酒の上溺死。酒ではないが薬物では勝新太郎。このほか有名無名にかかわらず、酒の上の失敗、武勇伝はいくらでもある。
海老蔵はこれまでも、似たようなものだろうが、今回の事態に至ったのは「下げマン」のせいだろう。もう一つ言えば、魚座時代の末期症状、エビ天中毒ということもある。
それでも、長子は末っ子に弱い。相性の損得にかかわらず何となく続いてしまう。
ちなみに、本当の意味で相性が良いとは、結婚的な発展性があることで、本人が心地よく思うかとは別問題だ。恋愛で、相性が良いとは逆のことが多い。