魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

男尊女卑

2015年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

日本は男尊女卑の国と、世界の人々に固く信じられている。日本紹介の情報として、武士道が有名になり、フジヤマ、ゲイシャや、大奥のハーレムも、世界の男性の憧れの的として、過剰な夢を膨らませた。

実際、日本の社会は完全な男尊女卑で、足入婚や三行半など、女性の立場など全く無い証拠ばかりだ。その上、現代に至っても、政治に参加する女性は少なく、管理職の割合も極めて少ない。給与も低く、女性の価値があまりにも低く見られている。
欧米基準で、数値を見れば、明らかに、且つ、完全に、女性は無視されている。

幕末、終戦直後、そして今。欧米の基準に照らして、あまりにも真逆な、日本の女性を救済するために、様々な意見が述べられ、方策がとられ、女性自身もそう主張することが知的エリートであり、自分自身の解放だと信じられてきた。

ところが、機会均等法にしようが、参政をもり立てようが、一向に欧米基準の数値に上がらない。これは、日本の男尊女卑社会が、あまりにも根深く、物理的に心理的に女性の進出を阻んでいる証拠だと、さらに問題にされていく。
数値と論理だけ見れば、それに反論する余地は全く無い。

だが、しかし、このブログで、繰り返し訴えるように、日本の女性は、欧米基準とは全く次元の違うところで、男性より上であり、日本は女権の国なのだ。
古来より日本を動かしてきたのは、実は女性であり、男性は傀儡に過ぎない。
近頃は、日本の忌まわしい男尊女卑のイメージを払拭するために、「おんな」を抹殺して「じょせい」の世界にしようと、陰に日向にキャンペーンが張られている。

欧米流の価値観から見れば、忌まわしい「おんな」の姿なのかもしれないが、古来よりの海洋母系民族の「おんな」の響は、決して卑下するものではなかったはずだ。
大陸から渡来人が日本列島に現れて以来、遊牧文化が浸透していき、インドからの女人禁制を含め、表面上は男が支配する社会になっていったが、底流は、今日に至るまで「女」の文化が支配している。
それが、世界がどうにも理解できない、日本文化の不思議の源泉なのだ。

現在でも日本人の男が、女は家庭と考えるのは、アラブや中華のように、男の財産として人に盗られないように囲い込むのではなく、女に(自分の)母親の役目を期待しているからだ。家で待っていて欲しい妻とは、母なのだ。だから、稼ぎを全部預け、小遣いを貰って働きに出る。

古代も幕末も、外国人から見た日本の風習は、男女が集い酒を飲み、幕末には女も皆タバコを吸う、「驚くべき」乱れた社会だった。全て、大陸や欧米の男尊女卑社会から見れば無秩序かもしれないが、母系社会なら当然の、平等社会だったのだ。
今日の日本文化のファッションセンスも、女が自由に自分たちのために創り上げたファッションの積み重ねから生まれているのであり、男のためのファッションしかなかった男尊女卑社会では育まれなかったであろう感性だ。

日本が男社会かどうか、様々な意見があるだろう。
ただ、日本の平均寿命は男性より女性が長く、しかも世界一であることは、素朴な事実だ。

本来の姿」、「I Wanna Be」、「母系復古


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