魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

女性と男

2015年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム

もう、いかに抵抗しても、「女性」には勝てなくなった。
存在に勝てないのではない、「女性」という言葉に抵抗できなくなった。
誰が始めたのか、「女」という言葉の持つ、ネガティブなイメージを避け、「女性」と呼ぶことで表面づらだけ平等な雰囲気にした。

今では、言葉の手本を自認するNHKが積極的にこれをリードし、逆に、容疑者を「女」と呼び分けることで、さらに、言葉としての「女性」の価値を上げようとしている。

いまや、「女」そのものを尊重していても、「女」と発しただけで、女性蔑視と見られてしまう空気が生まれた。「女」の呼称には確かにネガティブ要素もあるが、それは呼称そのものの責任ではなく、「輝く女」とか、「女の強さ」のように、使い方による。
「女のくせに」とか「やっぱり女だ」と言う人自身の心の問題だ。つまり、そう言われて怒る人の心の中にも、既に男尊女卑の価値観があるからだ。

大きい人が「ちび」と呼ばれて怒るだろうか。韓国人に、「ちょっぱり」とか「倭人」と言われたり、中国人に「小日本」や「鬼子」と言われて、怒る日本人がどれほどいるだろう。
ほとんどの日本人にとっては「意味不明???」「それがどうした」でしかないだろう。
これと同じように、本心から男女平等意識を持つ人にとっては、「女」の呼称は蔑称ではない。

にもかかわらず、「ONNA」よりも長たらしい「JYOSEI」という言葉に置き換えるのは、口先のごまかしだ。「女性」という物質に特化し、漢語でリアリティを除去する。それにより、「女」というズッシリと存在感のある和語を、無かったことに出来ると思うらしい。

古くは、「女=め」「男=こ」だが、ここ何百年かは「おんな、おとこ」として定着してきた。
もっと言えば、もともとは「おとこ」より、年かさを表す「おんな」(おみな)の方が位は上と考えられる。(おとこの反対は、をとめ/「をと」は劣るや弟で乙であり、年若いの意)

したがって、「女」の呼称は、本来は敬意を払われた言葉だと思われるが、社会変化で蔑称のようになった。だから、社会そのものを変えずに、呼称のせいにして抹殺しても、そのうち必ず、「女性のくせに」「やっぱり女性だ」と使われるようになるだろう。

「女」の抹殺運動は、一見、成功しているように見える。
しかし、まちがって、「おん・・・じょ、じょせい」と言い直している男が、「男はやっぱり女性には弱い」などと言っているのを聞くと、根本は何も変わっていない、むしろ不満がたまっていることを感じる。どこかで反動が起きるだろう、という思いが強くなる。

こういう不自然な呼称変更に逆らう動きとして、「女性」自身からの反撃が起きているのが、「女子」だろう。


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