魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

母系復古

2015年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

出生率「1.42」、晩婚化、晩産化が問題視され、政府も頭を悩ませ、地方自治体もあの手この手で「人口」競争をしている。
毎度のニュースを聞いて、毎度の突っ込みが口をついた。
「婚姻制度だよ!」

自治体が婚活の手伝いをしたり、経済専門家が、就職問題や保育環境を挙げる。
こうした騒ぎに、根本的に欠けているものが、
「今の婚姻制度、戸籍制度に問題は無いのか」の議論だ。

「♪世の中変わっているんだよ~、家族親子も変わるのさ~」
自然界の動物も、地域環境、生活手段で、家族の形は様々だ。
人間の家族も、環境文化で、男女関係や家族のあり方は様々だ。
現在の、日本の一夫一婦制度など、キリスト教的価値観の模倣であり、明治以降のものに過ぎない。元々、守るようなものではない。

押しつけられた憲法だから、自主憲法をと騒ぐ人が、なぜ一夫一婦制度を守ろうとするのか不思議でならない。
一夫一婦は押しつけられたわけではないが、欧米に認められたくて、進んで欧米を模倣した結果だ。そしてまた、それ以前の支配層による婚姻も、中華思想を模倣した結果であり、本来の日本列島のものではない。

日本列島は、南方系の妻問いをベースにする自由結婚で、長年の付き合いの結果、実際に気の合う者同士が結婚をする。その間、子供ができた後、別れても、母系の親が面倒を見るから、子育てに問題は起こらない。
もちろん、財産権は女にある。男は基本的に、親のために働くが婿入りもある。女は実母といるから、男の親との葛藤など起こらない。
極めて解りやすい関係だ。

中華思想や欧米方式の一夫一婦の考えは、基本的に遊牧民の、男の腕力を前提とした「移動」の為の結束であり、侵略と闘争に適している。
一方、日本など南アジアの母系、妻問いは、海や島の山海の幸に恵まれ、争う必要の無い環境に適している、日本も、渡来人が来るまでは、狩猟採取中心の平和な島だった。

一夫一婦制の中で生まれた産業革命は、始めから、経済侵略に向けられたから、植民地や奴隷を必要とした。したがって、一夫一婦制でなければ、ここまで発展できなかったかもしれない。
一方で、産業革命で豊になり、機械生産によって腕力を必要としなくなると、男女は対等になり、男の力に従う必要がなくなって、一夫一婦制そのものが不要になってきた。それでも宗教が残っているから、どうしても一夫一婦制を止めることができず、離再婚を繰り返す。同性恋愛まで、その制度に入れる入れないともめる。
もう、古代宗教は成り立たなくなっていることを、欧米はもちろん、それを模倣している日本も、悟るべきなのだ。

一夫一婦制による産業革命が、一夫一婦制を破壊しているのに、その枠の中で、子供を増やして生産を増やすのは、無理なのだ。
産業革命パラダイムを離れるか、一夫一婦制を止めるか、どちらかしかない。
先進的なフランスなどは、婚姻に関係なく出産を進めているが、さすがと言える。

日本人の感性は、本来、一夫一婦制ではないのだから、戸籍、財産、婚姻を母系前提で抜本改革をしても、当初はもめるだろうが、あっさり馴染むだろう。福祉の無駄も同時に解消する。
そこまではできないとしても、婚姻が前提となっていることを、すべて廃止しなければ、やがて、日本は亡ぶだろう。


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