魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

取り戻す

2013年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

連休のニュース。駅で帰省から帰ってきた中年男性が、
「親が寂しがっているので、帰って親孝行できた」と話していた。

大都会で働かなければ生活できない日本になって、百年近くになる。
都会に出ることが憧れになったのは明治維新以降のことだが、中央集権の立身出世の場が東京であり、商売も、権限集中でやりやすい東京に集中し、大阪さえも活力を失った。

ものごとは、「極まれば転ずる」。
 ぼーくの恋人東京へいっちっち~どうして東京がそんなにいいんだろう」(1959)の歌の後。60~70年代に東京一極集中が進んで、マスコミの発達とともに、日本中が東京化した。

異端、異物を排除する均質化は、農場も牧場も一つの病害虫で一気に亡ぶ。人間社会も全く同じ理屈だ。神の智恵であるDNAは、無限の多様化を意図しているが、その逆を行う愚かな集団は、いずれ神の怒りに触れて亡ぶだろう。

日本の衰退は、東京一極集中の60年代に、既に始まっていた。
江戸時代は、京・大阪・江戸の違う機能がそれぞれに影響し合っていたからこそ発展し、黒船にも対抗しうる底力を育んでいた。

しかし、今の日本は、言葉、情報、生産、消費、すべてが単一化されている。マスコミも、ネットも異端を叩き、出る杭を打とうとし、常識を超越した見地で行動しなければならない政治家までを、凡庸な「見識」で叩く。会社では凡庸の塊が権力を握り、あらゆる冒険的アイデアを排除する。

一極集中、均等化で、日本は死んでいることにさえ気づかない。
死人が、生きている者のように行動するのが、ゾンビだが、ゾンビの大活躍は、やがて引き返すことのできない壁にぶち当たる。
戦前、大正金融恐慌、震災、大不況の後、ブロック経済、満州建国で、日本中に活況かのような高揚感があった。

いま、経済対策、経済協定は、とりあえず結構なことだが、天王星84年周期を考えると、かなり、ハラハラドキドキのサスペンス歴史ドラマだ。

他の対策も大切だが、おそらく日本に最も重要なことは、権力と経済の分散であり、例えば、むしろ関西に遷都し、東京をニューヨークのような商業都市として残す事なのかも知れない。
そうで無くても、誰かが言うように、皇室を京都に戻すのも一つの活性化になるかも知れない。
もっと根本的に日本パワーの底上げを図ろうと思えば、どうしても連邦制だ。

地産地消で各地に経済圏ができれば、帰省ラッシュは無くなり、親子三代が共に暮らす生活も戻り、道徳教育のような変なことをしなくても、自然に道徳は行き届く。
「親に顔を見せに」帰らなくても、家族も地域も暖かい社会に戻すことが、「美しい日本」を「取り戻す」ことなのではありますまいか。


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