熱心な訪問診療の医師が逆恨みで殺された。何とも腹立たしくて言葉がない。
医療関係者が災難に遭う例は後を絶たない。
身体に変調を来すと心も病むから、患者の異常行動は、ある程度予防できるかも知れない。しかし、看病や介護をしている人の異常心理には備えるのが難しい。
立前上、正常の人として扱わなければならないが、身内に死なれたばかりの親族は感情が高ぶり、犯人捜しをすれば目の前に医者がいる。どんなに誠意を尽くしても死んだのは事実だから、悪いのは他でもない医者になる。
さらに、今回の例のように、看病や介護という、正しいことをしていると思い込んでいる人の多くは、実は「介護依存症」になっている。
世の中では、様々な依存症が取り沙汰されるが、なぜか、「介護依存症」と言う言葉を聞かない。これは、立前上正しいことをしている人を、問題があるとは言えないからだろう。近年ようやく取り上げられた「カスハラ」も、お客様は正しいという前提があるから声を上げられなかった。どんな正しい立場であろうが、他人の心身に危害を加えることは許されない。
「介護依存症」によって起こる悲劇は、恩を仇で返すだけではなく、被介護者への暴力や殺人、心中や自殺もある。看病や介護をしているうちに状況が見えなくなるケースもあるが、看病や介護という、愛や孝行の絶対正義に飛びつく人がいることも認識しておくべきだろう。
看病や介護はする人の気持ちではなく、客観的に考えて、される人にとって最良のことを考えることが目的で、子育てと同じように、過剰介護は被介護者を悪化させる。
ところが、奉仕に酔う人は相手のことより自分の快感しか考えない。自分は「なんて優しい人だろう」、「オレがやらなきゃ誰がやる」・・・ヒロイズムや悲壮感に酔い、それを邪魔する第三者の意見を聞こうとしない。さらに、自ら背負い込んだ辛さを耐えるために敵を作り出す。家族が面倒を見ないと怒り、医者が怠慢だと怒る。
ほとんどの場合が独善だが、絶対正義の立場で批判されないから、どんどんエスカレートする。
こういう人は、「介護依存症」だ。客観的に考えて正しい看病や介護をしていない人に対し、医療や介護の専門家が「介護依存症」と認定し、被介護者や医療機関と遠ざけることができるようにすべきだ。事件を起こしてからでは遅いし、決して、被介護者のためにはならない。
医療事故ばかり取り沙汰され、産科の医師が減るなど、医師ばかり責められるが、患者や家族の責任も明確にすべきだ。嫌なら、病院に行かなければ良い。
そして、こんな時代の患者の意識と、医療現場という極限の場を和らげるためなのだろうが、「お医者様」「患者様」と呼ぶ、欺瞞に満ちた環境がさらに勘違いを生む。互いに敬意があるなら、医者と患者で良いはずであり、そのルールを作ることが先決だ。
病院に行かない覚悟で、病院を最後の手段だと考えれば、世話になる時は感謝の念しか起こらない。
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