魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

3D時代

2010年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム

No.958

立体写真という物に初めてであったのは、小学雑誌の付録に、赤青のメガネが付いていて、雑誌の赤青の写真印刷を見るものだった。
紙も印刷も悪く、何を見ているのかよく解らない代物だった。

中学生の付録はもっと高度だった。紙ボックスを組み立てて、二個のレンズを通して見る「覗き箱」で、二面の立体写真や図が付いていた。
完璧な立体に驚いたが、写真の数が少なかった。

同じ頃、観光地の土産物屋で、同じレンズ方式の立体写真セットを発見し、中学生には高かったが、写真が多いので買って帰った。
風景観光写真だが、どういうワケか、ほとんど、風景の前にヌードのお姉さんがポーズをとっている。

思いがけない「掘り出し物」に、中学生は大興奮
店頭では、とにかく立体写真であることに興奮して、焦って買ったので、ここまでの「宝の山」とは気づかなかった。(本当で~す

じっくりヌード・・・いや、立体写真を見ていると、立体写真のすごさの意味が解かってきた。
ただの白黒写真にはないリアリティーだ。山や木立の遠近感が分かり、風景のスケール感が実感できる。もちろん、お姉さんのスケールも。

そして、ついに発見したのだ
大自然の前で、片ヒザを抱えたお姉さんのくつろぎポーズから、チョロッと一本、はみ出ているものを。

直接見ると見えない。しかし、立体ボックスをのぞき込むと確実に存在する。この不思議。
何度も何度も、片目だけで見たり、裸眼で見たりするのだが見えない。
なのに、立体になると認識できるのだ。ちなみに、当時の視力は2.0以上あった。

それ以来、立体写真のおもしろさに取り憑かれ、実際に自分でも立体写真を写してみたりした。一台のカメラでやるので、動く物は撮れなかったが、そこそこの成果を収めた。

最近、アバターなど、また、3Dが盛んだ。
日本のテレビ製造業界は、液晶で奪われたシェアを取り返そうと3Dに期待をかけているが、はたして、思惑通りに行くだろうか。

何よりも、3Dにどれほどの、一般的な商品価値があるか疑問だ。
3Dそのものは、無いよりある方が良いが、問題はメガネを掛けなければならない技術的初期段階に「付加価値」があるか?だ。

もっと大きな問題は、「物作り技術」だけで勝ち抜けると思う、日本企業の前世紀的な、技術主導のビジネスセンスだ。
変わった物(体験)を見せれば、世の中の人が飛びつくような時代ではない。大量生産の産革パラダイムは、飽和状態なのだ。

「生活スタイルの新提案」こそが商品なのであって、メガネを掛けるような「生活後退」を、消費者が受け入れると思っている時点で、初めから負けている。世界は、物好きな中学生ばかりではないのだ。


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