魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

日本浄化(1)

2011年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

関東だけではなく、日本全国に戦後のような節電時代がきた。
節電は、不自然な社会を自然に戻す、社会浄化の良い機会だ。

節電対策として、冷房が効くように窓を二重硝子にする方法を、TVで紹介していた。
40゜にもなれば、冷房もやむを得ないかも知れないが、そんな極端な気温は、すでに災害だから、避難所で集中避暑にした方が良い。

寒暖の避難所のことは、むかしから言ってきたのだが、最近、そういう動きが出てきて、好評のようだ。
せっぱ詰まれば、誰でも思いつくが、問題のない時にこそ考えておくべきだ。問題のない時に非常時の話をすると、誰も聞いてくれないばかりか、白い目で見られる。原発にしても、多くの人は目の前のことしか考えない。
ガソリン高騰

二重硝子は、暖房には必要だが、そこまでして冷房にこだわるのは、産業革命パラダイムに毒されているからだ。
冷房によって、若い人の汗腺は本来の半分くらいしかないそうだ。
冷房が使えなくなったら滅ぶのだろうか。

原点
家相はクーラーのような人工空調を前提にしていない。
家相の思想は自然調和だ。光・水・風、自然との付き合い方を説く。
それ故、風水や気学という。

自然の子である人間は、寒さにはどうにか耐えられるが、暑さには、裸以上は耐えられない。クーラーはこの掟を破る不自然なものだ。
だから、温帯や亜熱帯の日本家屋は、古来、開放的にできている。

洋風建築に憧れる日本では、クーラーが普及して以来、日本中が閉鎖的な建築になってしまった。これこそが不自然な社会であり、節電には、二重硝子でクーラーの効率を考えるより、昔のように解放して、自然に近づくことを考える方が早い。

最近は、ハウスメーカーも、日本建築の良さに気づき、相当開放的な家も出てきたが、大方の家は、壁を中心にした耐震設計で、今更、解放もできないし、密集した都会では風も通らず治安も悪く、その上、鍵社会で閉め切りだ。

この密閉建築と密集した都会が、関わり合いを嫌う孤独な閉塞社会の一因ともなっている。
節電を機に、互いのコミュニケーションを増やし、治安を守りあえる社会になれば良いのだが、なかなかそう簡単にはいかないだろう。
せめて、寒暖の避難所を町広場、井戸端のように利用して、共同体が再構築できないものかと思う。

忍耐より知恵
クーラーをなるべく使わないためには、いかに密閉するかではなく、いかに熱気を抜き、屋外と同じにするかが重要で、昔の生活を再考する方がいい。打ち水や屋外に出て、「夕涼み」なども、近隣のコミュニケーションや防犯にもなる。将棋の流行も役立ちそうだ。

言うまでもなく、家の熱気を抜くには、家の中で一番高い位置にある窓を開け、全室を解放して空気の流れを一体のものとして、熱気を送り出す。
金銭的ゆとりのある人は、大屋根の破風(三角面)などに換気扇を付けるか、天窓を開けるなどして、屋根裏の熱気を抜く。
クーラーを使う場合も、先ず家の熱気を抜いてからの方が効率が良い。

こんな当たり前のことに、案外気づかない人がいて、そういう人に限って、いきなり、クーラーに頼ろうとする。

竜が理由ではない」「旬の復活


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