魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

長男相続

2012年01月09日 | 兄弟関係

国を兄弟タイプで言えば、中国は長子だ。
長子は試行錯誤する。先ず、信念に基づいて突っ張るが、間違ったと思えば撤退する。正しいと思っても形勢不利と観れば撤退する。

ただし、弟妹型が何事も無かったように、その話題に触れなくなるのと違い、何らかの立場を作って(言い訳をして)撤退する。
この言い訳は他人に対してではない。自分自身の納得のためだ。

長子は他人にどう思われるかより、自分が惨めにならないために、心のバランスをとろうとする。
時には、相手が気の毒だと思い、時には、バカを相手にしても始まらないと思い、時には、これがみんなのためだと思う。
そして、その場では認めないが、後になると自分で反省し、次の行動の教訓にしようとする。

弟妹型は、失敗を無かったことにして、すぐ次のことを元気よく始めるが、長子は次の行動までに時間がかかる。
この結果、長子は同じ失敗を繰り返さないが、不可能と観るとその世界から離れてしまう。しかし、弟妹型は反省しないので、懲りないで同じ事を繰り返すが、先人を重視するので、そうしている内に、助け人が現れて達人になったりする。

長子は何事も自分で工夫して身につけるものだと思っているから、誰かに助けてもらっても喜ばないが、助けてもらった場合には、そのことを強調する。これは、自分が独自性を重視するから、他人の独自性を尊重せずにはいられないからだ。

一方、弟妹型は上から助けられるのは自然の恵みのように当然のことだと思っているから、助けてもらいたがるわりには、成果をすべて自分の手柄だと思ってしまう。したがって、誰の助けも借りずに一人で苦労して成し遂げたと強調する人が多い。

弟妹型が、政治家や経営者に向くのに対し、長子は研究者や技術者に向く。ただ、成果は要領の良い弟妹型の方が得やすい。
ハーバードの学生の80パーセントが長子だったことは、ペーパーテストの結果(要領)だけで評価されない、アメリカ式の進学システムが影響しているのだろう。

また、中国が、昔世話になった人間に礼節を尽くすのは、筋道論者の長子が現れている。(失墜した田中角栄を厚遇した)
逆に、その中国が、高速鉄道を自分の独自技術だと言ったのは、元来の現金さに加えて、長子の横暴が出たと考えるべきだろうし、そのことで失敗したことに、おそらく中国自身が強く反省をしているだろう。
(今度からは、もっと慎重にパクろうと?)

独自の道
長子は、どんな場合も、誰かが助けてくれるとは思っていない。
誰にも頼りたくない。だから見習うとは言っても、そっくりそのまま同じ事をする気はない。(高速鉄道事故にしても、そっくりそのまま見習っていれば、ああいう事故も起こらなかっただろう)

経済も政治も、それなりに常に独自路線だ。それが、歩みを遅くしたり、バカげた大失敗をする。
しかし、全く新しい状況には、独自性が生きてくる。

昔から長男相続が尊重されるのは、一族単位で動いていた昔は、リーダーは常に「前例のない事態」に立ち向かわなければならなかった。
初めての事態に立ち向かうには、ガムシャラの勝負根性では集団を危険にさらすし、相手が人間でなければ要領の良さも役に立たない。

集団には、智恵と創意、責任感のある慎重な判断が必要になる。
つまり、「長男相続」の真の意味は、集団の維持には、男女にかかわらず「長子」的生き方が必要だ、ということなのではなかろうか。


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