このところ、老舗のデパートが相次いで、閉店している。
ニュースでは、不景気の象徴のように扱っているが、違う、
大転換の象徴なのだ。
3年前、「デパート合併」でも話したように、デパートは産革パラダイムの象徴的な仕組みの一つだった。
大量生産を「大量消費する儀式の場」として生まれた。大量生産品に付加価値をつけ、購買意欲を刺激する。
さらに大量生産が広がるとスパーマーケットに替わり、通販から、ネット販売に替わっていく過程で、大量生産そのものの価値、人類の豊かさの基準が変わっていった。
逸品の価値に擬して、大量生産品をデーパートやブランドという器や包装で売っていたが、工業生産品に慣れるに従い「手仕事品」さえ意味が無くなり、工業規格生産ならどれも同じ、同じなら、安い方が良い。
「物は物以上のものではない」と悟り、人間にとって、本当に必要なものは何だったのだ?
そう言うことが考えられ、求められるようになってきた。
肉体の死から、完全な消滅までには時間がかかる。
目の前に存在していても、とっくに死んでいる物は多い。
デパートがそうであるように、今現在、威光を放ち絶対的で揺るぎないものは、実は既に死んでいる可能性がある。
国家、金融、教育、婚姻・・・
死ぬものを生かすことより、新しい命に目を向けなければ、人類に明日はない。
全てを「もし、それが無かったら」と、ゼロから考えなければ、今ある可能性をも失うことになる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます