魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

クマさん

2023年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

「40代の男性が妻に襲われ死亡しました・・・」
よくある話だと聞き流していると、道に倒れているのを発見された・・・
何か変だとTV画面を見ると「クマに襲われた」だった。
老人アルアル、また、一人で笑った。

熊に女性が襲われ、熊を逮捕!?実はくまモンの着ぐるみを着ていた・・・
そんなシュールなニュースまで聞くかも知れないと、妄想が膨らむ。
日本全国クマさんだらけ。落語のハッつあんには出る幕もない。

クマさんと言えば、昔は女性でもトラが普通にいた。戦後でも聞いたような気がする。明治生まれの祖母は、「コシゲ」が恥ずかしく自分で「シゲ子」と名乗っていた。その当時は「子」が貴族風でハイカラだったが、今では逆に、「子」は絶滅危惧名だ。
「コシゲ」は「小春」と同時代で、坂田三吉の女房の「小春」や陽水の「小春おばさん」の頃には可愛い名前で、祖母と同世代の小学校の先生は「小菊」だった。
近頃は、個性的な名前の一方、大谷翔平など男子名の「平」や「太」「介」のような古風な名前も流行っている。あまり斬新な名前ばかりになると、古風な名前の方がかえってカッコ良くなる。

命理学的には、名前が人生を支配するのではなく、運命が名前を支配する。どんな名前を付けても、運命と合致していなければ、その名前では呼ばれない。あだ名や役職名で呼ばれたり、結婚で姓が変わったりする。
古代の人物紹介のような長々しい名前でも、現代のキラキラネームでも、意味が同じなら同じ名前ということになる。木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と花や咲の付く名前は同じ意味になる。
名前の始まりは、その人を形容するあだ名のようなものだったようだ。映画の「小さな巨人」はアメリカ原住民の伝統的名付けの例で、日本の古代名の付け方とも似ている。欧米の職業名や、誰それの子と言った名前なども、状態を説明する名前だったが、近頃は「かくあって欲しい」親の希望が名前になることが多いようだ。クマやトラや、沖縄に多いカマドなども丈夫で食いっぱぐれのない事を願う親の願望だった。

しかし、名前は運にそぐわなければ呼ばれないし、本人が自分の名前が嫌なことも少なくない。昔は一人の人間に様々な名前があり、東洋では表向きの名前と秘密の名前などの使い分けが多く、偉い人に命名されたり、自分で変えることも自然だった。
一つの名前を一生通すのは、税や兵役、契約社会のために国が戸籍を定めているからで、本来は、イカとスルメのように、情況により自由に変わっても良いものだ。

日本人は真面目だから国の意向に従っているが、香港人などは、ブルースリーやジャッキーチェンのように使い分ける。これは芸能人だからではなく香港の二重性だろう。カナダの英語学校で、香港人のビリーに先生が本名かと聞いたら、普通に「そうだ」と答え、先生が一瞬沈黙した。
日本人の芸名でカタカナ名の人は、そういう意味で逆に東洋的であり、日本人離れした国際感覚があるのかも知れない。

クマさんのK
落語のクマさんの本名は大抵、熊五郎で、あまり熊一郎は聞いたことがないところを見ると長男ではなさそうだ。ハッつあんは「初」も考えられるが大抵は「八」だろうから、何れも跡継ぎではない愉快なお人好しだ。ところが、落語の「トクさん」という名前は結構、抜け目ないところを見ると、頭文字が影響しているかもしれない。
ハッつあんの「H」は優しいお人好しだが、クマさんの「K」は可愛いの「K」なのか、センチメンタルでナルシスト。この「K」と相性の良いのが、腹の据わった男気の「M」で、ピンクレディーのミーとケイや、かこ様まこ様のようにバランスが良い。
トクさんの「T」は、大変で飛んでもない。見かけによらない根性があるから、落語では隅に置けない存在で、ヤマトタケルも活躍したのだろう。

森の中で出合うクマさんも、プーさんも、本当は怖い存在なのになぜか憎めないのは、「K」さんのせいかも知れないが、では、外国ではどうなのだろう。
熊が国の象徴のようなロシアでは、「蜜をなめる者」と形容し熊を直接呼ばないらしいがメドヴェージェフという。ロシアタカ派の元大統領がこの名前だ。