魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

おやおや

2019年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の発展は、アジア人として共に喜びたいところだが、そのやり口は、全く受け入れられない。何から何まで、全くの「ヤクザ流」だ。
親切を装い、高利貸しで他国の自由を奪う。安売り攻勢に慣れたところで販売を拒否する。友好を装い観光客を送り込み、それを突然遮断して脅しをかける。相手が拒否すると力を誇示して脅し、実際に、暴力を振るう。
ヤクザの賭博は、始め儲けさせて、深入りしたところで、根こそぎ剥ぎ取る。うまく取れなければ夜道で襲う。全く同じだ。

中国に儲けさせて貰った政治家も商売人も、日中友好を盛んに唱える。
日中友好は市民レベルでは成り立つし、大いにやるべきだと思う。しかし、どんなに魅力的な娘がいても親分の娘と結婚すれば、親分の枠の外に出ることはできなくなる。
今やるべきことは、親分の娘を目覚めさせること以外にない。そして、これは極めて難しい。 始め迎合したように見せ、親しくしながら親分に気づかれないように、娘に解らせていく。
ところが、親分はそれを承知で、娘を監視しながら親しくさせている。既にミイラになった政治家や商売人も親分に加勢する。

これを書いている最中、ふと見ると、日本は「仇の一家に生まれた、美しい娘のよう」だから、日本に移り住みたいという中国の記事が紹介されていた。
仇の日本の親はとっくに死んで、もう、ひ孫の世代だが、そう言っている中国の、ヤクザの親はバリバリの現役だ。