魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

時の商売

2010年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

No.995

昭和30年代。知り合いの大金持ちが、自動車のディーラーを始めた。
同時に、自動車学校も始めた。

高度成長期は、今の中国のように、誰でも自動車を欲しがり、当然、運転をしたがった。自動車はモテるための必須アイテムであり、仕事に就職に、絶対、不可欠になった。

知り合いのお金持ちは、元々、その地方の山の、大半を所有する山持ちだったが、高度成長とともに林業が衰退し、山林を維持するための別の事業が必要だったので、自動車ビジネスは、儲かったかどうかは知らないが、役に立ったようだった。

自動車を売って、運転を教えて儲ける。こんなアコギ・・・上手い商売はない。パソコンを売ってコンピュータ学校をするのも似たような発想だが、自動車学校は運転免許の利権がらみだ。ケタが違う。
近頃では、運転免許証は、「事実上」唯一の身分証明書にまで成っている。

時代は変わった
最近、不景気もあるが、若者の車離れが広がり、車が売れなくなっているそうだ。
それは、素晴らしいことだと思う。本当に、若者が車離れをして、公共交通機関の利用が進めば、社会システムに影響を与え、鉄道やバスが充実し、安価で便利に使われるようになり、脱車社会に弾みが付く。

しかし、それでは困るという立場の人が、そうはさせじと思うなら、もっと、車に近しい環境を整えるべきだ。
まず、免許制度の合理化。更新手続きに金や時間をかけさせない。

また、車を運転するより、猟銃の所有が簡単であるとは、信じられない。
自動車免許は、講習と届け出で得られるようにし、むしろ不適格者の抽出の制度を考えるべきだろう。
軽い違反や事故を厳しく取り締まり、そこから厳しい更新手続き=講習と試験を始める・・・など、実効性で考える。
何事も入り口と形式に拘る、日本流を改めて欲しい。

制度を変えられないと言うなら、何より、自動車を売って儲ける側が、自動車学校を無料サービスにすればいい。
免許が無くて車を買う人には、自動車学校の無料券を出すとか、自社の車を使った自動車学校で免許を取った人には、自動車購入金額から教習料分値引くとか、本気で考えればいくらでも智恵は出るはずだ。
ただし、中途半端な補助金などでは、誰も振り向かない。

製品開発にしても、日本企業は小出しか全部出しをする。
開発も、販売も、消費者の溜飲を下げる「サプライズ」が必要だ。
主張のない中途半端が一番いけない。

自動車だけではない、行政も業者も、「おざなり」に埋没している。